第12話
「貴女は会社の人間ではありません。私を役職で呼ぶ必要はないでしょう」
琥珀の挨拶に対して、縁璃は腕を組みながら冷たい眼差しで睥睨を返す。
丁寧な口調だが全く母親の愛情のようなものを感じない。琥珀は胡乱な目を虚空に投げると「そうですね」と素っ気ない声で言い返す。それにしても、長男の西ヶ浦黒曜が二十代後半に見えたことから推察するに、年齢は四十は間違いなく超えており、十中八九、五十代のはずだ。しかしどう見てもその容姿は三十代程度にしか見えず、凄まじい若々しさだ。
青葉が緊張感と共にこっそりと縁璃を盗み見ていると、その目が青葉を捉える。
瞬間、琥珀は半身に構えながら真顔で間に立ち塞がる。目を見開いて敵意すら隠さない。
だが琥珀が何を言うよりも早く、縁璃は青葉へと慇懃に頭を下げた。
「初めまして、琥珀の母の西ヶ浦縁璃と申します。株式会社西浦サイバーセキュリティにて専務取締役を務めております。東条青葉さんでお間違いございませんか?」
琥珀の肩越しに頭を下げられた青葉は、一瞬狼狽える。
常識的には挨拶を返したいが、ここまで露骨に敵対している琥珀の前でどうするべきかは悩ましい。だが、奥歯を軋ませながらも何も言わない琥珀を見て、少し身体を横にずらして頭を下げた。彼女は琥珀の敵で、青葉としても好きになれない人柄だが――直接会って話したことはない以上、フェアにいくなら挨拶には挨拶を返すべきだろう。
「初めまして、琥珀さんとお付き合いさせていただいております。東条青葉です」
ただし、自分は西ヶ浦琥珀の恋人だ。その一点だけは突き通すし譲らない。
慇懃に頭を下げた青葉に、縁璃は僅かに口許を緩めて再び丁寧に頭を下げ――そしてその顔を上げる頃には能面を貼り付けたような冷たい顔で、琥珀を見詰めていた。
「驚きました、貴女が恋人を作って――あまつさえこんな場所まで連れてくるとは」
「兄さんが会いたいって言ったもので。それより、用件をお尋ねてしても?」
琥珀が単刀直入に尋ねれば、すっと縁璃の眼差しが疑問を示して細まる。どういう意味だとでも尋ねるような眼差しに、琥珀は遠慮なく考えをぶつけた。
「母さんが用件もなしに私に近付いてくるとは思えませんから」
鋭い目を受け止めた縁璃は、冷めた目を一度虚空に逸らす。動揺ではなく思案。
少しの間を挟んだ後、縁璃は再び琥珀を見詰めると、淡々と語り出す。
「母親として久方ぶりに会う娘へ最低限の挨拶を――と考えただけですが、まあ構いません。そう言っていただけるのであれば、この際です。胸襟を開いて話しましょう」
『この際』という言葉には琥珀との敵対的な関係に対する言及であることが示唆されており、思わず身構える琥珀と固唾を呑む青葉。縁璃は口元を手で隠すと、夜を思わせる昏い目で二人を見詰めた。そして――そのままボソリと本心を吐露した。
「琥珀さん。私は貴女こそが西浦の次期社長に相応しいと考えています」
続いた言葉は全く予想していなかったもので、数秒の沈黙が三者の間に流れた。
琥珀に縁談を仕掛け続け、会社の利益しか考えていない母親――それが琥珀から聞いた西ヶ浦縁璃に対する青葉の印象だ。しかし、その印象と大きく乖離はしないまでも、やや認識にズレがあったことを悟る。困惑に眉を顰める青葉と、目を見開いて言葉を失う琥珀。
「……は?」
辛うじて喉から上がってきた琥珀の言葉がそれだった。「失礼」と少し遅れて自らの口を塞いだ琥珀は、少し経って眉をぐっと顰める。そして胡乱なものを見る目で疑問を繰り出した。
「……次期社長は姉さんでは? そのつもりで副社長に任命したものだとばかり」
すると縁璃は腕を組んで考える素振りを見せる。
まるでどう説明するかを悩むように十秒ほど黙った後、そっと口を割った。
「彼女は――」
その言葉は最後まで続かなかった。
二人組の男性社員が近くにやってきたからだ。
会場の壁際でぼそぼそと密談していた三人から少し離れた、しかし声は聞こえてしまうだろう距離に、この場に相応しくない電子タバコを持ってやってくる。見咎めるように目を細める琥珀と縁璃。だが今の話の流れを中断するというのも嬉しくない。
距離を取ろうかと離れるように青葉へ視線で促す琥珀。頷く青葉。
だが、二人とそれに続いて縁璃が歩き出す直前、二人組の会話がハッキリと耳に届いた。
「しかしアレだな――新副社長。あの人は全然ダメ。典型的な縁故採用だ」
思わず足を止める琥珀。二人組に背を向けた状態で、その双眸は大きく見開かれていた。青葉は激しい動揺に目を泳がせ、口を噤んで二人を盗み見。対照的に縁璃だけは冷静に、ただ何か思うところがあるように目を細めてその場で押し黙り、成り行きに身を任せた。
「そっか。お前経営企画部だっけ? どうなのよ、調子は」
「全然だめ。お前IR資料読んでるだろ? 今期の業績見たか?」
「目標に対して若干の下方修正っていうのは見たな。それが?」
「あの人が主導で動いてた部分がとにかく粗だらけ。それが原因。致命的なのは他部署のキャパを全く把握してないんだよ。ただ与えられた数字を機械的に割り振るだけ。エクセルに仕事やらせた方がミスがないだけまだマシだ。副社長を任されてからは特に酷い」
「はは。黒曜さんとかの方が向いてるんじゃないかね、同じ縁故でも」
「間違いない。とにかく、あの人は社長の器じゃないよ」
聞くに堪えず青葉が俯いて目を逸らし、そして案じるように琥珀を見ると――琥珀は振り返ることもなく唇を噛み締めて数秒後、重そうな足取りでその場を離れるように歩き出した。
さて、お互いの声も聞こえない場所まで離れると、沈痛な顔で俯く琥珀に縁璃は言った。
「思いがけないトラブルではありましたが――説明の手間が省けましたね」
娘を貶された怒りもなく淡々と切り出した縁璃を、琥珀は一瞬、睨み付ける。だが人を導く人間というものは、導いた結果に対して責任を負わなければならない。今期の業績が本当に彼女によって、つまり実姉の西ヶ浦阿子によって低迷しているのなら、誹りは甘んじて受け止めるべきだ。だからこそ、縁璃のこの態度を否定すれば、それは姉の在り方の否定に繋がる。
「――先ほどの問いに答えます。阿子さんは社長に求められる能力が備わっていません」
琥珀がやるせない表情で奥歯を軋ませ、震える拳を握る。
対照的に、縁璃は徹底して冷静に論理的に話を進めた。
「西浦をここまで大きくした現社長――私の夫でもある西ヶ浦太陽は一代でここまでの会社を作り上げた傑物ですが、後任育成への感心があまりにも低い。現状、社長候補とされているのは四名。西ヶ浦黒曜、西ヶ浦阿子、そして社長室長の増永と専務、即ち私です」
縁璃は四本の指を立てた後、真っ先に四本目の指から、そして順に曲げていく。
「まず私に経営の才はありません。そして増永は自らバイプレーヤーを自認し、実際、彼は上に立つ精神性を備えていない。必然的に候補は黒曜さんと阿子さんですが――黒曜さんは増永と同様に現場で活きる人間です。責任を持って誰かを牽引するという行いが本質的に向いておらず、社長が次期社長として期待できるのは、消去法で阿子さんしかいなかった」
「確かに」と縁璃は自らの話に言葉を続けた。
「彼女は他の候補者と違い適性も精神性も兼ね備えている――ですが一つ問題点を上げると、能力が欠如している。思慮は浅く視野が狭く、人を頼る力と見る目に欠ける。あくまでも社長に求められる能力と比べて相対的に、という話ではありますがね」
実母からの容赦のない評価。姉を想い琥珀は目を細めて歯を食いしばるが、ここで怒ったところで傷付いた姉の尊厳はきっともうどうにもならない段階まで来ている。
琥珀は頬を片手の指で挟んで一呼吸を挟んだ末、呼吸と脈拍を整えて話を自分に戻す。
「それで私が次期社長? 買い被り過ぎじゃないですか? 私は……」
琥珀が言い切る前に縁璃は話を被せた。こういう部分がやり難い。
「私は社長から本来の次期社長候補を聞いています。最初は貴女一人でした」
琥珀は完全に口を噤むと、真っ直ぐ縁璃に向けていた目をゆらりと泳がせる。
「……私ですか?」
「貴女は元々四人の中で最も経営の関心が強く、そして当時既に頭角を現わしていた。それは貴女が『働かずに生きていく』を実現するため、即ち早期リタイアのための資金稼ぎという明確な目的を有していたからに他ならないのでしょうが、どちらにしてもあの時点で社長の心は決まっていました。できるならば琥珀さんに――と」
親の心子知らずとはいうが、そこまで期待されているとは思っていなかったか、琥珀は動揺に口を閉ざしたままやや俯く。青葉はそれを、隣から見守ることしかできない。
「……貴女が会社に関わらないことを宣言した時、誰よりも惜しんでいたのは社長です。そして、その宣言を受けた日から彼は副社長のポストを意識し始めた」
琥珀は唇を噛んで細めた瞳を床に落とした後、緊張や苦悩を追い払うように顔を上げて大きく息を吸う。肩を上下させた末に幾らか平静を取り戻した琥珀は、鋭い眼光で訊く。
「仮に……私が社長になることが母さんの目的だとして、だったらどうして今まで私に嫌がらせのような真似を? 家族を紹介するだなんて名目で、暇さえあれば金のある独身男性に私を会わせて。断ろうとすれば父さんに借りがあることを引き合いに出してまで」
厭味ったらしい琥珀の質問に、縁璃の反応はしかし意外なものだった。
彼女は僅かに眉を上げて目を開くと、「……ふむ」と口を押さえて軽く頭を振った。
「何か誤解があるようですね」
そしてチラリと青葉を一瞥し、青葉は唾を呑み込んで視線を返す。
「確かに私は、貴女を名の知れた企業の重役に会わせる場を設けました。しかし貴女への嫌がらせだと解釈されるのは少々心外ですね。あくまでも目的は貴女が社長になるよう促すこと。そのための餌として、貴女が大好きなお金を持っている男性を集め、数を集めればその中に一人くらいは容姿や性格が気に入る相手もいるのではないか、と。そう考えました」
淡々と、まるで人の心を理解できない機械のように縁璃はそう答えた。
琥珀は理解が及ばないと言いたげに眉を顰めて目を丸くすると、少しの思案の後、「は?」とこぼす。そして更に思考して――嘆かわしそうに顔を歪めると、顔を片手で覆って俯いた。
確かに、縁璃の考えはあながち間違いとも言い切れない。実際、お金持ちを捕まえて生きていきたい――そう考える人もいるだろうから。問題は、それを確かめなかったこと。そして、目の前の西ヶ浦琥珀は、明らかにそれらの行為を拒んでいたこと。
「それなら何故、遠回しに断っても執拗に場を設けようとするんですか?」
下手なことを言えば掴み掛からん怒気と共に尋ねれば、縁璃はのらりくらり首を傾げる。
「難解な話ですね……? 私は強制していません。貴女が首を縦に振ったのでは?」
「父親から買収のためのお金を受け取っていることとか、経営にも関わらず、好き放題生きていることをネチネチ遠回しに言ってくるのは強制に近いじゃないですか……!」
「いいえ、貴女に決定権があるのだから強制はしていません。私は貴女に断った場合の不利益を提示した覚えもありません。良心を尋ねただけ――それに、しつこいと言われるのは少々心外ですね。前回は参加してくれたのなら、今回も。そう考えるのは人として当然では?」
――ああ、と。青葉はそこで納得と同時に戦慄し、僅かな嫌悪感を覚えてしまう。
なるほど、これが西ヶ浦縁璃。これが琥珀やあの気の良い兄弟が嫌悪する母親。
決して戻ることのできない一線を踏み越えることはなく、その線を踏むことすらなく。突かれたら燻りながらも撤退できる際の部分で、相手の急所を小突き続ける。
許されざる大悪党などでは断じてない。けれども小悪党とも呼び難い。
彼女に『ざまあみろ』と言いたくなるような報復は決してできず、できることはまるで雨に傘を差すかの如く、降り注ぐ厄から先ほどの兄弟のように逃げるだけ。
なるほど、悪党とはまさしく彼女のような人間を指すのかもしれない。最悪のやり手だ。
「まあ、娘の失言の一つや二つ、許すのが母親というものでしょうか。さておき、私は是非、貴女に次世代の西浦を背負っていただきたい。顔と金のある男で釣れれば、竿を引き、社長のポストと引き換えに差し出す。難しければ釣るのに用いた餌を介して貴女を掴み取る」
縁璃はまるでお淑やかであるかのように臍の前で手を揉むが、胡麻を擂るような殊勝さはそこにはない。ただ少し省みるように冷めた目を虚空に投げて呟いた。
「しかし、同性愛者という可能性を完全に失念していたのは私の失態ですね。早く申し上げてくれればよかったものを――次回以降は女性の同性愛者に招待をかけましょう」
――少し、胸がざわっと騒ぐ。青葉は嫌な感覚に顔をしかめて縁璃を睨んでしまった。
縁璃は、青葉が琥珀の恋人であることを知っていたはずだ。それなのにこの発言は、つまりこの関係を偽装交際だと確信していなければ出てくるまい。或いは揺さぶりか。
しかし、動揺したのはそれだけが理由ではない。
気付いてしまったのだ。琥珀が今まで縁璃の縁談紛いの真似を拒絶していたのは、女性愛者である彼女が男性を紹介されていたからではないか、と。そして、真偽はどうあれそんなことを考えてしまった自分が嫌で、束の間、琥珀の方を見ることすらできなくなる。
だが、ほんの一瞬の間を置いて、母親の提案と青葉の疑惑を、琥珀が一刀に切り捨てた。
「結構です。私には既に恋人がいますから」
そう言って琥珀が青葉の皿を持っていない方の手首を強く握った。
瞬間、弾けるような熱をそこに感じた青葉は、水底から見上げる太陽の如く目を揺らす。そして、自分より小さい手が、大事な宝物を隠すように己の手首を握り締める。そんな感覚に場違いにも胸の奥に熱を抱いて、軽く唇を噛みながらされるままでいた。
だが――その直後。温かい心に氷の刃を差し込むように、冷たく無機質な縁璃の双眸が真っすぐ、青葉を捉える。直後、背筋にぞわりと冷たい悪寒が駆け上がる。『あ』と心が即座に理解した。これは、余程のことがなければ敵に回すべき存在ではない、と。
虫を彷彿とさせる無機質で不気味な目をゆっくりと閉じた縁璃は、少しして再び目を開く。その時には既に、その目は普段通りに琥珀を見詰めていた。
「――構いません。私の目的はあくまでも貴女の社長就任。嫌だというのなら引き下がりますし、強行するのなら他にも術がある。わざわざ嘘を吐く理由はありませんよ」
よくもまあ、いけしゃあしゃあと――そう思う反面で、青葉と琥珀が少しずつ築き上げてきた関係性が、まるで砂の城であったかのようにほろほろと崩れていく錯覚を抱く。
ここまでしなければ縁璃は引き下がらなかっただろうという期待。
しかし、実際はここまでしなくても、言われた通りに引き下がったのではという懸念。そうだとすれば、琥珀が青葉を雇うために使った金も、過ごした時間も不要なものだったのでは?
そんな青葉の疑問を裏付けるように、縁璃が口を覆って挑発的に呟いた。
「貴女にしては珍しく、無駄な出費をしましたね」
開いた指の隙間に、吊り上がる口角が見えた。
瞬間、青葉は琥珀のこめかみに青筋が浮かんだのが見えた。直後、彼女が踏み出す。一触即発。青葉の手首を離した琥珀が、縁璃の胸倉を掴もうと伸びた――その時だった。
「母さん! 琥珀!」
息を切らした理央が半ば走るも同然の急ぎ足でこちらにやってきて、琥珀は動きを止める。縁璃は胡乱な目をそちらへ。明らかに尋常ではない二人の様子に、しかし、その気迫さえも呑み込むような切羽詰まった様子で、理央はスマホを片手に睨み付けるように言った。
「阿子ちゃんがオフィスで倒れた」
流石に――琥珀も、縁璃も、その一言で矛を収めて気持ちごと理央に向き合った。
驚き呆けた顔で二人、理央を見詰める。
副社長。琥珀の姉にして縁璃の娘が倒れた。先ほど、社長の器はないと社員に陰口を叩かれ、それでも次期社長として奔走している彼女が、休日の今日に。オフィスで。
理央はスマホを差しながら息を乱しつつ、沈痛な表情を歪めて続けた。
「さっき……緊急搬送されて、今は病院……はぁ、曰く、過労らしい」
琥珀と縁璃は一瞬、視線を合わせる。二人ともすべきことは分かっている様子だが、一瞬、ぎこちなく動きが止まる。
それを見た瞬間、静観を決め込もうとしていた青葉は、口を開いていた。
「行くべきです。何かあってからでは遅いですから」
脳裏に働き詰めで疲れている母を想起しながら二人を叱咤すれば、弾かれたように琥珀が背筋を伸ばし頷く。そして、ガシッと引っ手繰るように青葉の手首を掴むと理央を見た。
「すぐ病院に向かうわ。場所は? 後でスマホに送ってほしい」
「了解。専務はどうしますか?」
「生憎とすぐには向かえません。火急の要件を処理したら直ちに」
「かしこまりました。タクシーの方を手配しておきます」
そう言ってスマホを操作し終えた理央は、鋭く踵を返して来た方向に戻っていく。
青葉も大慌てで手元の皿を近くのテーブルに置いておき、縁璃は「では」と一言を言い残してこの場を離れていった。琥珀は、その背を見送ることはなかった。
琥珀は「行こう」と、戻ってきた青葉の手を引っ張って歩き出す。
頷いてそれに続こうとしていた青葉は、しかし、ふと、先ほどの縁璃の言葉が引っ掛かって足を止めてしまう。「どうしたの?」と振り返る琥珀と、弱気な表情がぶつかった。
琥珀は怪訝そうに振り返り、顔を見て心配そうにして、数秒後に察した。
青葉が何かを言おうと口を開いた矢先、それに被せてまなじりを吊り上げた。
「あのね――悔しいけど、あの人が言った通りに無駄な出費だったのかもしれない」
ギクッと肩を震わせる青葉。目を逸らす。
会ったこともない彼女の姉を心配する気持ちはあるが、自分はこれからどういう立場で会えばいいのだろうか。大事な家族関係の邪魔にならないだろうかという葛藤が、今、急いでいるこの時に必要ないだろうと我ながら呆れるのに、消えてくれない。
消えてくれないはずだった。しかし、一蹴するように琥珀が青葉の顔を掴んで言った。
「確かに、親に面倒をかけられている女社長がわざわざ防波堤を雇う必要はなかったのかもしれない。だけど、西ヶ浦琥珀が、東条青葉に一緒に来て欲しい」
吸い込まれるような目に見詰められながら、聞き心地のいい声で、いつの間にか契約以上の関係を求めようとしていた青葉の胸を、言葉の鎚で叩いて鳴らした。
「それ以上の説明が要る?」
薄く口元を綻ばせた琥珀に、青葉は「お手間を」と申し訳なく笑い返す。そして顔に添えられた手を掴めば、琥珀はその手を微笑みながら「よし」と握り返した。




