↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
10/13

第10話

 それから青葉の背中も洗い終え、二人余すところなく身体を清め、揃って岩風呂に浸かることに。琥珀は手で身体を隠しながら湯船に足を入れると、じゃぶじゃぶと温かそうに歩いて湯口の傍まで辿り着き、岩肌に背中を預けた「あー」と心地よさそうな声を上げた。


 ふわふわと肌を撫でるように舞い上がる湯気と、匂いはついていないはずなのにどこか鼻腔を擽るような源泉の香り。半露天に湯口から注がれる湯が心地よい音を立てる。


 青葉は恥ずかしげもなく身体も隠さずニコニコと髪をまとめながら琥珀の傍に行くと、その真横でピッタリと膝を抱えるように入浴する。途端、身体を包み込む熱。思わず喉の奥から熱に声が絞り出され、「源泉だぁ」と漏らす。至福の青葉に「違い分かるの?」と琥珀の意地悪な笑顔が突き刺さるが、「分からないなら家のお風呂でいいじゃないですか」と青葉が頬を膨らませると、「まあ確かにそうだ」と琥珀も認めた。


「つーかこんだけ広いんだから、わざわざ隣に来なくたっていいでしょ」


 琥珀は湯船の中で膝を抱えるようにして隣の青葉を睨む。青葉はヘラヘラと軽口を返した。


「いやでも、どこまでいってもこの円形の岩風呂では全てが隣ですから」

「急にバンプの有心論みたいなこと言うのやめなさいよ」


 琥珀は「んしょ」と背中で湯口のお湯を受け止めながらその向こう側に距離を置く。これで近付いてこれないだろうと琥珀が青葉を見れば、青葉は不満そうに頬を唇を尖らせていた。しかし琥珀が膝に頬杖を突いて微笑を浮かべれば、次第に青葉の顔にも笑みが宿っていく。


「しかし、今日は本当に助かったわ。ありがとね」


 一日の疲れが取れていく中、一日を振り返って琥珀が目を瞑って天井を仰いだ。


「いえ、お仕事ですから。時給一万円ですからね! これくらい任せてください」

「あの時、社長室コンビに啖呵を切ったのはこちらの指定した業務の範囲外よ。それに助けられた以上、お金がどうこうじゃなくて感謝をする義務がある」

「うわ、結構面倒くさいこと言うんですね、琥珀さん。感謝は受け取った方がいいですよ?」

「アンタはいつかぶっ飛ばす」


 湯口から垂れるお湯越しに半眼で指をさせば、青葉は口を開けて間抜けな顔で『私のことですか』と言いたげに首を捻った後、自分の後ろに誰かいないか振り返って確かめる。「アンタだアンタ」と琥珀は思わずツッコんだ。それからフッと笑うと、大きく息を吸う。


「でもまあ、アレね。アンタも思ったより性格が悪かったわね、料亭の一件は」


 そう言われると青葉としても少々思うところはあって、身体が温まってきたのとは別の理由でほんのりと頬を紅潮させると、開き直って笑みを浮かべた。


「意外と性格悪いんです。軽蔑しますか?」

「まさか」


 尋ねた瞬間、被せるように琥珀が即答。面食らう青葉の視界で琥珀は微笑んだ。


「私も性格悪いからね。私に利する性格の悪さは好きよ」


 琥珀は暫し呆けた顔で琥珀を見詰めた後――静かに、徐々にその顔を崩して無言で笑う。嬉しさとむず痒さに青葉は軽く頭を揺らすと、水面スレスレから覗くように琥珀を見た。


「琥珀さんも大概、性格悪いんですね」

「今知ったんだ? そ。案外私たちお似合いなのかも」


 琥珀は初めて、幼い顔立ちに似合わない蠱惑的な笑みを見せる。一瞬、青葉の心臓が不整脈を打った。胸がぎゅっと絞られるような感覚を覚え、首を傾げながら笑みを返す。


 そんな青葉の胸の内を知らず、琥珀は「でもまあ」と遠い目で口を覆った。


「もっと性格が悪くなれたら、色々と楽だったんだろうけどね」


 それは問答や相談をする為の言葉ではなく、自然と胸から出てきた本音だったのだろう。琥珀はそう言うと相槌すら聞かず、悩むように岩肌を枕にして浴室の天井を見た。


 青葉はそんな琥珀の真っ白い綺麗な首筋と、そこから繋がる胸元を見てしまう。先程は特に気にならなかったが、今は少しいけないような気がして目を逸らす。


 そして湯が湯を打つ音だけが響く浴室で、しばらく琥珀の言葉を考えた。


 性格が悪くなれたら色々と楽だった――ということは、今はなまじ情があるせいで困っているということ。そうなるとやはり思い浮かぶのは、母親との冷戦関係だろう。


 ――表立って敵対するより、疑われても『無理な理由』がある方が楽なの。


 ――意外と情けない女でしょ、私。


 ふと、料亭に行く前に琥珀がこぼした言葉を思い出す。


 生真面目で優しいからこそ、琥珀は母親が嫌な手口で縁談を押し付けてくる現状を断り切れず、『恋人がいるから無理』という方法で断ろうとしている。もっと性格が悪ければ、こんなやり方をしなくても色々と解決はできただろうという話なのかもしれない。


 そう気付いたら、黙っていられず、胸から湧き上がった言葉が口を衝いて出た。


「確かに意外と性格が悪いし、意外と情けない人かもしれませんね」


 胸の内を見透かしたように青葉が笑えば、どうやらそれが琥珀の悩みで間違いなかったらあしい。琥珀は怯んだように頭を揺らした後、徐に身体を起こしてこちらを見る。そして青葉の嫌な笑みを見ると、参ったと言いたげに苦笑して頭を掻いた。


 そこに、青葉はこう続けた。


「でも、できたらその情けなさは克服しないでくれると嬉しいです」


 続いた言葉に琥珀は目を丸くして、怪訝そうに眉を顰めながら首を傾げる。少し考えても真意を汲み取れなかった琥珀は、「どういう意味?」と疑うでもなく尋ねた。簡単な話だ。


「だって、情けなかったから私を頼ってくれたんじゃないですか」


 彼女が一人で解決できる人間だったら、今ここに青葉はいない。


 青葉はここにいる。そしてそれに助けられているし、それが嬉しいし、楽しい。何一つとして悪いことはないから、琥珀には悪いけれども、青葉は琥珀が不完全であることを望む。


 そんな青葉の我儘な笑顔に、しかし琥珀は驚くこと数秒、満更でもなさそうに眉尻を下げて笑う。言葉が出ずに湯から引き揚げた手で髪に指を通すと、赤い頬に杖を突く。


「そっか。アンタも仕事がないと借金返済できないもんね」

「です! 私は……欠けたところがあるからそこに誰かが入る余地があると思ってて、私はそこでこんな風に過ごせるのがとても楽しいです。欠点を見詰めて克服したいっていう琥珀さんには悪いですけれど、私はどうか、そのままの情けない琥珀さんでいてほしいですね」


 悪い笑顔で両手の指を立て、生意気なことを抜かす青葉。琥珀は何も言わず、ただ結んだ口元を緩めながらそんな青葉を見詰め――気持ちを噛み締めるように目を瞑る。そして、


「隣、いっていい?」


 先ほど自分から距離を取った琥珀のそんな提案に、青葉は鼻白んで言葉を失う。


 しかし了承の意を示すまで琥珀が近寄る気配はなく、青葉は丸い目で湯口越しにしばらく琥珀を見詰めた後、「か、構いませんけれども」と承諾する。


 琥珀は浴槽の底に手を突いて少しずつ身体を横に動かすと、やがて青葉の隣に来た。


 熱い湯の中で、それより更に少しだけ温かい気がする琥珀の二の腕が青葉に触れる。思わず弾かれたように琥珀を見れば、琥珀は唇をツンと結んだまま青葉を上目に見ていた。そして、逡巡に一瞬だけ湯面に視線を滑らせた後、ふんと鼻を鳴らす。


 そして琥珀は青葉に体重を預けるようにして寄り掛かり――肩に頭を乗せた。


 青葉は目を見開いて絶句し、表情ごと全身を硬直させる。自分の性的指向を理由に遠慮をしていた琥珀のこの行動にどのような意図を汲めばいいか分からず、困惑と硬直。ただ、ふわりと香る旅館備え付けのシャンプーと、肩に乗る確かな頭の重み、それから頬の熱と濡れた髪の不思議な存在感に、全神経を肩に持っていかれたような気分になる。


「嫌だ?」


 不意の問い掛けは少し声が震えていた。青葉は頬を火照らせながら素直に答えた。


「いえ、まったく」


 その答えも少し震えていただろう。


 直後、お湯の中で青葉の手に琥珀の手が重なった。


 これでも?と指先が尋ねてくるので――これでも、と黙って受け入れる。


 困惑は拭えない。流石に驚いたし今も動揺をしている。だが、嫌ではない。あの西ヶ浦琥珀が自分に甘えているという事実が、嬉しく、そして嬉しさよりも――胸に締め付けられるような痛みを覚える。その痛みには心当たりがなくて、青葉はあちこちに目を泳がせ続けた。


 琥珀はハッキリと分かる呼吸を何度か挟んだ末、こう語り出した。


「私は社長でさ、色々な人とその家族の人生を背負ってる」


 青葉は何度かの瞬きの後、頷いた。


「はい」

「学校でも成績はいいし色々な人に頼られるし、実家でも知っての通り。買い被られていたり、私の数十倍性格の悪い母親に縁談を押し付けられたり」


 そう並べられると、ずっと肩肘を張って過ごさざるを得ない環境だと思い知らされる。


 だからだろう。そこに続いた琥珀の言葉が示す意味を、青葉はすぐ理解できた。


「――だから、ここだけ。貴女の隣でだけ、情けない女でいてもいい?」


 琥珀は青葉の肩に頭を預け、ジッと湯面を見詰めたまま何気なくそう言った。


 青葉は琥珀のお願いにはすぐに快諾をしたいから、すぐに頷こうとして、即座に言葉の意味を理解して首を錆び付かせた。驚きと共に琥珀を見ると――その姿は普段の彼女と違って小さく頼りないものに見えて、ああ、と胸の内で得心の声を上げてしまった。


 どれだけ頼もしくても、普通に一人の人間で、普通の少女で。青葉は琥珀の普通な部分が好きだから、そう伝えたから琥珀もここでは一人の女の子になってくれているのだろう。


 気付いた時から、頭が揺れるくらい脈拍が深く早くなる。


 沈黙が続いたせいか、琥珀が青葉の手に重ねた手に、不安そうな力を込める。気付けば、


「……――喜んで」


 そんな言葉が青葉の口を衝いて出た。琥珀の手が強張り、そして緩む。


 琥珀は青葉の肩に頭を預けたまま、少し首を捻って上目遣いに青葉を見る。


 目が合うと顔が熱くなる。目の前の存在があっという間にCPUとGPUを食べていく。債務だとかなんだとか、そういう様々なものに割かれていたメモリまで持っていかれて――頭の中が西ヶ浦琥珀で埋め尽くされていく。なるほど、重いゲームを起動した時のパソコンはこんな気分かと、自分のミドルスペックPCを少しはいたわろうかと思った時、


「……あぶっ⁉」


 突如、琥珀が離れたかと思うと、その手がバシャッと青葉の顔に湯を叩きつけた。


「ぶはっ、な、何するんですか!」


 青葉が顔の湯を濡れた手で拭いながら非難すると、琥珀はツンと唇を尖らせたままパタパタと湯気を自分の顔に仰ぐ。そして徐々に耳を赤くさせながら、鋭い目で青葉を指した。


「生意気――こんな風にされるから、簡単に人に気を許すなって言ってるの」


 なんでそんなこと言われなければならないのか。青葉は頬を膨らませて睨み付ける。しかし琥珀は青葉側の耳を隠すように手で覆い、平静を装って説教を始める。


「あのね、誰も彼もが私みたいに理性的に――ぶふっ!」


 言葉は最後まで続かなかった。


 青葉は両手でめいっぱい掬った湯を、まるで夏場の打ち水の如く琥珀の顔面に叩き付けた。


 琥珀は髪という髪からお湯を垂らしながら呆然と瞬きを繰り返す。「倍返しだ!」と青葉がおどけた顔で棒俳優の真似をすると、くっと琥珀は小さく吹き出した後、虚空を見て一言。


「ま、先にやったのは私だものね――なんて言うと思ったか馬鹿が!」

「ぎゃ!」




 のぼせそうになるくらいの長湯の後、上がった二人は制服をランドリーサービスに預け、浴衣を着てお洒落な和の客室を過ごす。テレビでは少し退屈なバラエティ番組がやっていて、二人遊び疲れて静かにそれを眺めた後――二十二時頃には布団を横並びに敷いて、消灯した。


 同じ部屋で寝るのは――なんて風に琥珀が言うかとも思ったが、意外にも彼女は「もう言うだけ無駄でしょ」と笑い、「よく分かってるじゃないですか」という青葉の憎たらしい笑顔にはデコピンを一発お見舞いしてきた。小さい指の、弱く優しい一撃だった。


 青葉は真っ暗な和室で、自宅のベッドよりもずっと柔らかい布団に身体を預ける。すぐには寝付けそうになかったので、ぼんやりと常夜灯の暖色の明かりを見詰めていた。


「来てくれてありがとね、今日」


 息遣いで起きていると分かったのか、隣から優しく小さな声がした。


 ちらりと視線だけ横に向けると、琥珀は目を瞑って天井を向いていた。


 青葉も同じようにわざわざ顔は向けず、同じ姿勢で答えた。


「こちらこそ、素敵な宿と温泉を経験させてもらって……至福の時間でした」

「ふうん、じゃあ呼んだらまた来るんだ?」

「また呼んでくれるんですか? 大抵の予定より優先して行きますけど」

「私、結構振り回すけど?」

「私、振り回されるの好きですけど?」

「生意気」

「へへへ」


 青葉は寝返りを打って身体を琥珀の方へ向け、ここ数日を振り返る。最初は若くして会社を牽引する怖い人かとも思ったが――蓋を開ければ中にはもっと沢山、彼女の顔があった。


「私、琥珀さんのこと好きですから。いつでも呼んでください」


 そう伝えると、ピクリと琥珀の瞼が動く。しばらく、返答はなかった。


 そこで青葉も自分の伝えた言葉が他意を含んでいると思われかねないことに気付き、暗がりの中で汗をかくくらい顔を赤く染め上げた後、目を瞑りながら言い訳をする。


「そういう意味ではなく」「分かってるから言わんでいい」


 今度はすぐに返答が来て、お互いに少し笑い合う。そして琥珀もこちらを見た。


「……別にいいけどさ、もう少し言葉を選んでよ。こっちも流石に動揺するから」


 青葉は自分が悪いとは分かりつつも、楽しくて少し会話を広げた。


「えー? でも、好きとか言われ慣れてるんじゃないですか?」

「そりゃね。まあでも、関係値がある相手かどうかって重要だから」

「ありますか。関係値! 私と!」

「クラスメイトが一だとしたら……貴女は十くらいあるかな?」

「琥珀さん……!」

「家族は百ね」

「琥珀さん……?」

「友達は千」

「琥珀さん!!!!!!!!」

「冗談よ、冗談」


 終いには布団を起き上がって涙目で訴え始めた青葉を、琥珀は満面の笑みでどうどうと宥める。ここまで楽しく過ごして友達だと思っているのがこちらだけだと、とても寂しい。いや、確かに友人である以前に業務契約を結んで偽装恋人ではあるのだが。


 悶々としながら再び布団に戻った青葉に、琥珀は――目を逸らしながら言った。


「まあ、ドキドキするくらいの関係値ではあるかな」


 その言葉に心臓を跳ねさせたのは青葉の方だった。僅かに湿気を帯びた艶やかな、大人っぽいのに、子供らしい声で、その言葉が持つ意味の深さに胸が強く絞られる。視線が奪われる、言葉の続きが聴きたくなる、初めての感覚。ぞくぞくと背中に不思議な心地よさを感じながら、青葉が丸くした目で琥珀を見詰めると――彼女は半眼で犬歯を覗かせた。


「あんまり動揺させないでね」


 その一言に対して、青葉は果たしてどんな返答をしただろうか。たった一言で脳のリソースの大半を持っていかれた青葉は、不明瞭な返事をしたような気がする。


 それから少しの会話を挟んでから、すっと眠りに入った琥珀の横顔を青葉は眺める。そしてぎゅっと胸を押さえると、戸惑いと共に毛布の中に潜り込んだ。








《債務総額》

 30,131,902円


《内訳》

 天海銀行:30,131,902円(年利3%)


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。