第7話 次の出頭日
午後になって、ようやく軍事委員会から出られた。
最後の部屋では、机の上に俺の書類が開かれていた。担当者が次の出頭日時と持参する物を読み上げ、用紙の一番下を指した。
「ここへ署名を。受け取ったことの確認だ」
書かなければどうなるかと聞いたが、ペンを差し出したまま待たれた。廊下でも誰かの名前が呼ばれている。俺の返事を待っているのは、目の前の男だけだった。
署名して紙を受け取り、長椅子の並ぶ廊下を戻った。朝から貼ってあった検査室の案内も、出口までの間に何度見たか分からなかった。
外へ出ると、日差しが眩しかった。入口脇では、まだ何人かが煙草を吸っていた。
俺は階段を下りながら紙を裏返した。
「これ、親父が持っててくれよ。俺、なくすぞ」
「自分の書類だ。ポケットへ入れろ」
「なくしたら、いつ来るか分からなくなるだろ」
「家でも控えておく。安心しろ」
何も安心できなかった。紙を折り、上着へ突っ込んだ。
「次に来る日、熱が出てたらどうするんだ」
「診てもらって、ここへ連絡しろ」
「腕が治ってなかったら?」
「それも医者に見せろ。今日の指示も守れ」
左腕をさすった。朝ほどは痛まない。こういう時だけ、妙に治りが早い気がした。
駐車した場所へ向かう途中で、親父の横へ並んだ。
「車の件はどうなる。セミョーノフに呼ばれたら、そっちへ行くんだろ」
「そうだ。今日も向こうで確認しただろう」
「軍より先に刑務所へ入るかもしれねえってことか」
「どちらなら楽か考えているのか」
「どっちも嫌だって話だよ」
親父は車の鍵を出した。俺は助手席側へ回り、屋根越しに顔を見た。
「本当に空挺へ回されたら、何か教えてくれるんだろうな」
「何を知りたい」
「余計に殴られずに済む方法とか。うるさい奴を避ける方法とか」
親父は鍵を差し込みかけた手を止めた。
「まず、注意された腹いせに殴るな。相手を殴っても、命令は消えない」
「殴られっぱなしでいろってことかよ」
「そうは言っていない。注意と暴行を一緒にするな」
「じゃあ、殴られたらどうする」
「誰に何をされたか、上官や医師に伝えろ。怪我を隠して済ませようとするな」
俺はドアの取っ手を引いた。まだ鍵が掛かっていた。親父が運転席へ入り、内側から開けてくれるまで待たされた。
助手席へ座ると、親父は書類入れを後ろへ置いた。
「知らないことは聞け。分かったふりをして失敗する方が面倒になる」
「聞いたら怒鳴られるんじゃねえの」
「説明を聞かず、同じことを何度も聞けばな」
「それは家でも聞いたよ」
親父が俺の方を向いた。
「それと、俺の階級を持ち出すな」
「俺の親父は中佐だぞって?」
「そうだ。自分の失敗を俺の名前で済ませようとするな。特別扱いも頼まん」
「本当に役に立たねえな。息子のために少しは何かしてくれよ」
「今朝、誰が署へ迎えに行った」
俺は窓の外へ顔を向けた。親父はエンジンをかけ、それ以上は言わなかった。
帰り道のキオスクには客が並んでいた。小さな窓口へ男が札を差し込み、煙草の箱を受け取る。俺も吸いたかったが、親父の隣では出せなかった。
信号で停まった時、窓へ向けて悪態をついた。
「クソ親父」
「聞こえているぞ」
「聞こえるように言ったんだよ」
親父は前を向いたままだった。車が動き、俺は背もたれへ身体を預けた。少し目を閉じたつもりが、家の前で肩を揺すられるまで眠っていた。
首が痛かった。階段を上がる足も重い。親父が鍵を出す前に、内側から扉が開いた。
母さんが俺たちを見比べた。
「随分かかったのね。腕は診てもらえたの?」
「診てもらったよ。ほかも一通り調べられた」
「何か食べる?」
「その前に聞いてくれよ。空挺の候補にされそうなんだ」
母さんが親父へ顔を向けた。
「ヴァシーリー、あなたが頼んだの?」
「頼んでいない。向こうで候補の話が出た」
「この子が行きたいと言ったわけじゃないでしょう」
俺は上着から書類を出した。
「俺は帰りたいって言った。それなのに、次も来いってよ」
母さんは紙を受け取り、玄関脇の棚で折り目を伸ばした。次の出頭日時を読み、持ち物の欄へ指を移した。
「これは忘れないように書いておかないと。ほかには何て言われたの」
「まだ配属先は決まらねえって。車の件も確認するって言ってた」
「そう……」
母さんはもう一度、日付を見た。朝はあれほど俺を急かしていたのに、今は紙を持ったまま動かない。
俺は靴を脱いだ。
「空挺に決まったわけじゃねえって。そんな顔するなよ」
「どこへ行くにしても、軍へ行く話は進んでいるんでしょう」
そこは答えにくかった。
朝は親父さえ出し抜けば済むと思っていた。だが、向こうには俺の名前を書いた個人書類があり、俺が文句を言っている間にも、次の担当者へ渡されていた。
家から逃げても、あれは棚に残る。今日書いた無職の2文字まで一緒に。
俺は母さんから紙を受け取った。
「まあ、何とかなるよ。俺だけ行くわけじゃねえんだし」
「あなたの何とかなるは、もう信用できないわ」
「ちゃんと帰ってきただろ。腕もついてる」
「お父さんに引き取ってもらったのよ。自分で帰ってきたみたいに言わないで」
親父が足元を指した。
「靴をどけろ。入口に転がしておくな」
「今それかよ」
「今そこにあるから言っている」
俺は靴を壁際へ揃えた。母さんは台所へ戻り、鍋の蓋を取った。温めた飯の匂いがして、腹が鳴ったが、それより眠かった。
「起きてから食う。夜まで置いといて」
「傷もあるんだから、今日は家にいなさいよ」
返事をせず、自分の部屋へ入った。聞こえなかったことにしておけば、後でまだ言い訳ができる。
上着を脱ぐ時に左腕が引っ掛かり、悪態をついた。シャツは汗臭く、袖口には乾いた血が残っていた。片腕ずつ抜いて椅子へ放り、ベッドへ腰を下ろした。
窓の外では子供が何か叫び、近くの部屋からテレビの音が漏れていた。朝から動いていた連中は、まだ起きている。当たり前だが、俺だけ昨日が終わっていなかった。
軍事委員会の紙を机へ置いた。折り目を伸ばすと、次に来る日がまた目に入った。思ったほど先ではなかった。
空挺へ回されるかもしれない。
親父と同じところだけは御免だった。時間を守れ、靴を揃えろ、返事は1回。家に1人いるだけでも十分なのに、ああいう奴が大勢いる場所で暮らすのか。
俺は紙を裏返し、ベッドへ横になった。
今日のところは帰ってこられた。寝て起きれば、もう少しましな考えも浮かぶだろう。今は何を考えても、親父に言い返せなかったことばかり思い出す。
夜にはデーニャのところへ行きたかった。逃げ切ったなら、俺たちがどうなったか気にしているはずだ。ミーシュカが帰されたかも聞かなければならない。
あいつを起こそうとして捕まったのだ。次の酒くらい出させてもいい。
アーニャは怒っているだろう。包帯を見せれば少しは心配するかもしれないが、その後で、だから帰ろうと言ったでしょうと始まる気もした。
目を閉じると、昨夜の銃声が浮かんだ。肩に力が入り、俺は寝返りを打った。左腕が下になって痛み、すぐ仰向けへ戻った。
親父は怖かったと言った。
怒鳴りもせず、笑いもせず、ただそう答えた。俺が聞き返しても、取り消さなかった。
廊下で母さんたちが話していた。低い声で、何を言っているかは分からない。俺は耳を澄ませかけたが、瞼が重く、そのまま目を閉じた。
デーニャに会ったら、聞くことがもう一つある。
あの拳銃の野郎が誰なのかは、知っておいた方がいい。




