↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【打ち切り】チョーマ  作者: 近江もののふ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
7/31

第7話 次の出頭日

 午後になって、ようやく軍事委員会から出られた。


 最後の部屋では、机の上に俺の書類が開かれていた。担当者が次の出頭日時と持参する物を読み上げ、用紙の一番下を指した。

「ここへ署名を。受け取ったことの確認だ」


 書かなければどうなるかと聞いたが、ペンを差し出したまま待たれた。廊下でも誰かの名前が呼ばれている。俺の返事を待っているのは、目の前の男だけだった。


 署名して紙を受け取り、長椅子の並ぶ廊下を戻った。朝から貼ってあった検査室の案内も、出口までの間に何度見たか分からなかった。


 外へ出ると、日差しが眩しかった。入口脇では、まだ何人かが煙草を吸っていた。


 俺は階段を下りながら紙を裏返した。

「これ、親父が持っててくれよ。俺、なくすぞ」

「自分の書類だ。ポケットへ入れろ」

「なくしたら、いつ来るか分からなくなるだろ」

「家でも控えておく。安心しろ」


 何も安心できなかった。紙を折り、上着へ突っ込んだ。

「次に来る日、熱が出てたらどうするんだ」

「診てもらって、ここへ連絡しろ」

「腕が治ってなかったら?」

「それも医者に見せろ。今日の指示も守れ」


 左腕をさすった。朝ほどは痛まない。こういう時だけ、妙に治りが早い気がした。


 駐車した場所へ向かう途中で、親父の横へ並んだ。

「車の件はどうなる。セミョーノフに呼ばれたら、そっちへ行くんだろ」

「そうだ。今日も向こうで確認しただろう」

「軍より先に刑務所へ入るかもしれねえってことか」

「どちらなら楽か考えているのか」

「どっちも嫌だって話だよ」


 親父は車の鍵を出した。俺は助手席側へ回り、屋根越しに顔を見た。

「本当に空挺へ回されたら、何か教えてくれるんだろうな」

「何を知りたい」

「余計に殴られずに済む方法とか。うるさい奴を避ける方法とか」


 親父は鍵を差し込みかけた手を止めた。

「まず、注意された腹いせに殴るな。相手を殴っても、命令は消えない」

「殴られっぱなしでいろってことかよ」

「そうは言っていない。注意と暴行を一緒にするな」

「じゃあ、殴られたらどうする」

「誰に何をされたか、上官や医師に伝えろ。怪我を隠して済ませようとするな」


 俺はドアの取っ手を引いた。まだ鍵が掛かっていた。親父が運転席へ入り、内側から開けてくれるまで待たされた。


 助手席へ座ると、親父は書類入れを後ろへ置いた。

「知らないことは聞け。分かったふりをして失敗する方が面倒になる」

「聞いたら怒鳴られるんじゃねえの」

「説明を聞かず、同じことを何度も聞けばな」

「それは家でも聞いたよ」


 親父が俺の方を向いた。

「それと、俺の階級を持ち出すな」

「俺の親父は中佐だぞって?」

「そうだ。自分の失敗を俺の名前で済ませようとするな。特別扱いも頼まん」

「本当に役に立たねえな。息子のために少しは何かしてくれよ」

「今朝、誰が署へ迎えに行った」


 俺は窓の外へ顔を向けた。親父はエンジンをかけ、それ以上は言わなかった。


 帰り道のキオスクには客が並んでいた。小さな窓口へ男が札を差し込み、煙草の箱を受け取る。俺も吸いたかったが、親父の隣では出せなかった。


 信号で停まった時、窓へ向けて悪態をついた。

「クソ親父」

「聞こえているぞ」

「聞こえるように言ったんだよ」


 親父は前を向いたままだった。車が動き、俺は背もたれへ身体を預けた。少し目を閉じたつもりが、家の前で肩を揺すられるまで眠っていた。


 首が痛かった。階段を上がる足も重い。親父が鍵を出す前に、内側から扉が開いた。


 母さんが俺たちを見比べた。

「随分かかったのね。腕は診てもらえたの?」

「診てもらったよ。ほかも一通り調べられた」

「何か食べる?」

「その前に聞いてくれよ。空挺の候補にされそうなんだ」


 母さんが親父へ顔を向けた。

「ヴァシーリー、あなたが頼んだの?」

「頼んでいない。向こうで候補の話が出た」

「この子が行きたいと言ったわけじゃないでしょう」


 俺は上着から書類を出した。

「俺は帰りたいって言った。それなのに、次も来いってよ」


 母さんは紙を受け取り、玄関脇の棚で折り目を伸ばした。次の出頭日時を読み、持ち物の欄へ指を移した。

「これは忘れないように書いておかないと。ほかには何て言われたの」

「まだ配属先は決まらねえって。車の件も確認するって言ってた」

「そう……」


 母さんはもう一度、日付を見た。朝はあれほど俺を急かしていたのに、今は紙を持ったまま動かない。


 俺は靴を脱いだ。

「空挺に決まったわけじゃねえって。そんな顔するなよ」

「どこへ行くにしても、軍へ行く話は進んでいるんでしょう」


 そこは答えにくかった。


 朝は親父さえ出し抜けば済むと思っていた。だが、向こうには俺の名前を書いた個人書類があり、俺が文句を言っている間にも、次の担当者へ渡されていた。


 家から逃げても、あれは棚に残る。今日書いた無職の2文字まで一緒に。


 俺は母さんから紙を受け取った。

「まあ、何とかなるよ。俺だけ行くわけじゃねえんだし」

「あなたの何とかなるは、もう信用できないわ」

「ちゃんと帰ってきただろ。腕もついてる」

「お父さんに引き取ってもらったのよ。自分で帰ってきたみたいに言わないで」


 親父が足元を指した。

「靴をどけろ。入口に転がしておくな」

「今それかよ」

「今そこにあるから言っている」


 俺は靴を壁際へ揃えた。母さんは台所へ戻り、鍋の蓋を取った。温めた飯の匂いがして、腹が鳴ったが、それより眠かった。

「起きてから食う。夜まで置いといて」

「傷もあるんだから、今日は家にいなさいよ」


 返事をせず、自分の部屋へ入った。聞こえなかったことにしておけば、後でまだ言い訳ができる。


 上着を脱ぐ時に左腕が引っ掛かり、悪態をついた。シャツは汗臭く、袖口には乾いた血が残っていた。片腕ずつ抜いて椅子へ放り、ベッドへ腰を下ろした。


 窓の外では子供が何か叫び、近くの部屋からテレビの音が漏れていた。朝から動いていた連中は、まだ起きている。当たり前だが、俺だけ昨日が終わっていなかった。


 軍事委員会の紙を机へ置いた。折り目を伸ばすと、次に来る日がまた目に入った。思ったほど先ではなかった。


 空挺へ回されるかもしれない。


 親父と同じところだけは御免だった。時間を守れ、靴を揃えろ、返事は1回。家に1人いるだけでも十分なのに、ああいう奴が大勢いる場所で暮らすのか。


 俺は紙を裏返し、ベッドへ横になった。


 今日のところは帰ってこられた。寝て起きれば、もう少しましな考えも浮かぶだろう。今は何を考えても、親父に言い返せなかったことばかり思い出す。


 夜にはデーニャのところへ行きたかった。逃げ切ったなら、俺たちがどうなったか気にしているはずだ。ミーシュカが帰されたかも聞かなければならない。


 あいつを起こそうとして捕まったのだ。次の酒くらい出させてもいい。


 アーニャは怒っているだろう。包帯を見せれば少しは心配するかもしれないが、その後で、だから帰ろうと言ったでしょうと始まる気もした。


 目を閉じると、昨夜の銃声が浮かんだ。肩に力が入り、俺は寝返りを打った。左腕が下になって痛み、すぐ仰向けへ戻った。


 親父は怖かったと言った。


 怒鳴りもせず、笑いもせず、ただそう答えた。俺が聞き返しても、取り消さなかった。


 廊下で母さんたちが話していた。低い声で、何を言っているかは分からない。俺は耳を澄ませかけたが、瞼が重く、そのまま目を閉じた。


 デーニャに会ったら、聞くことがもう一つある。


 あの拳銃の野郎が誰なのかは、知っておいた方がいい。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。