第27話 まだ飛ばない
野外訓練から戻って3日後、俺たちは朝食の後、営庭の奥の建物へ連れていかれた。
中には長い作業台が並んでいた。床へ置かれた袋から太い布帯が覗き、奥の鉄骨には、同じような帯と金具を組み合わせた装具が吊られている。
壁には落下傘の図と、降下中の兵士を描いた教材が掛かっていた。図の隅は破れ、透明なテープで貼り直してある。兵士の青いベレーだけが、日に焼けて薄紫になっていた。
アンドリューハが俺の脇を小突いた。
「おい。やっと落下傘だぞ」
「触った後は、また畳んで返すだけかもしれねえ」
「銃は撃てただろ」
「その後、どれだけ拭いたと思ってんだよ」
軍曹が振り向いたので、俺たちは列を詰めた。
チェルノフは作業台の横へ立った。
「今日から降下の地上教育に入る。装具の扱いと、着地の動作からだ。飛行機へ乗る日を聞く前に、今日の課題を覚えろ」
台の上には背負う落下傘と予備傘が置かれていた。厚い布の袋へ収まっていると、空で広がる物という感じがしない。縫い目も金具も、俺が想像していたより大きかった。
軍曹が一つを持ち上げ、身体へ当てて見せた。
幅広い帯が肩と胴を通り、脚にも回る。チェルノフが図を指しながら名前を言うので、俺は実物と見比べた。小銃の時と違い、どの帯も似ている。
隣ではアンドリューハが何度も頷いていた。
最初に聞いた名前を覚えているのか、少し怪しかった。俺も後で聞かれる前に、もう一度図を見た。
説明の後、隣の訓練室へ移った。
低い台の前に、着地練習用の厚いマットが敷かれていた。覆いには靴底の跡が重なり、端の補修だけ新しい糸で縫われている。
軍曹は台へ上がり、動きを区切って見せた。次に通してやる。派手に跳ぶわけでもなく、高さも大したことはなかった。
これならできそうだった。
俺の順番になると、台の脇からチェルノフが声を掛けた。
「勢いをつけるな。見本の通りにやれ」
「了解しました、同志上級准尉」
降りた途端、足裏から衝撃が来た。倒れまいと踏ん張り、上体だけが前へ出る。何とか立ち直ると、チェルノフが俺を指した。
「今のは違う。横へ出ろ」
「立てましたけど」
「立って終わればいいとは教えていない。次の者を見ていろ」
列の横へ退かされた。次の奴も直され、その次は俺とは別のところで止められた。
見ていれば分かるつもりだったが、自分の番では足に力が入った。2回目もやり直しになり、3回目でようやく次へ回してもらえた。
それで終わりかと思ったら、また列の後ろへ並べという。
ルスランが俺の前へ戻ってきたので、声を掛けた。
「お前も直されたのか」
「ああ」
「レスリングとは違うのかよ」
「同じつもりでやったところを、今直された」
こいつも次の着地を見ていた。俺は続きを聞きかけたが、台へ上がったのがアンドリューハだったので、そちらを向いた。
着地の後で足がずれ、尻がマットへ落ちた。すぐ起きたが、軍曹に止められる。
「コロトコフ。どこで崩れた」
「足をついた後です」
「そこからもう一度見せる。こっちへ来い」
俺が笑うと、アンドリューハがこちらを睨んだ。
次の番で俺も崩れた。戻ってくると、こいつが待っていた。
「よく見て覚えたな」
「お前の悪い見本が頭に残ったんだよ」
「軍曹を見ろよ。何で俺ばっかり見てるんだ」
言い返す前に次の号令が掛かった。
午前中は台へ上がり、降りて、直されることの繰り返しだった。前の奴が着地するたびにマットが沈み、重い音が床へ伝わる。開いた窓から風が入っても、室内の汗と埃の臭いは抜けなかった。
休めと言われると、皆が一斉に脚をさすった。
昼飯へ向かう階段で、アンドリューハが手すりへ手をついた。
「もう今日の分は跳んだことにしてくれねえかな」
「回数だけなら、随分降下したな」
「その分、飯を増やしてほしい」
「それは俺も賛成だ」
午後は、奥にあった吊り下げ式の訓練装置だった。
鉄骨の下へ入ると、頭上の金具と滑車がよく見えた。床には靴で擦れた跡があり、脇では軍曹が訓練用の吊帯を用意している。
装着すると、帯のねじれや締まり具合を順番に確かめられた。軍曹は俺の背後へ回り、肩に掛かった帯を直した。
脚の付け根が窮屈だったので、先に言った。
「同志軍曹。脚のところが食い込みます」
「ここか」
「はい。立っていても当たります」
「動くな。合わせ直す」
位置を直され、もう一度具合を聞かれた。何でも我慢しろと言われるつもりだったので、少し拍子抜けした。
これなら黙っていない方が早い。
足が床から離れると、帯へ体重が掛かった。
床はすぐ下なのに、足を置けない。落ち着かずに動かすと、身体が装具ごと揺れた。太腿のところへ帯が食い込み、思わず掴む。
チェルノフが前へ来た。
「ケルジャコフ。何をしている」
「揺れるんです」
「脚を動かすからだ。痛いところはあるか」
「いえ」
「では、まず説明を聞け」
吊られた姿勢で、降下中に行う動作を教わった。
軍曹が状況を読み上げ、指された者が答える。その後、指示に従って動きを確かめる。地上に置いて見ていた金具も、自分の身体へつくと見える位置が違った。
俺は最初のうち、聞かれた順に答えられた。
だが、途中から質問が変わった。覚えた答えを言いかけて、今聞かれていることと違うと気づく。
チェルノフが待っていた。
「次はどうする」
「……もう一度、状況をお願いします」
同じことを聞き直され、今度は答えた。続けて理由を聞かれ、また止まった。
上級准尉は壁の図を示した。
「何のためにやるかも覚えろ。順番だけ唱えて、手が動けばいいわけではない。コロトコフ、お前も聞け」
隣のアンドリューハが返事をした。
「聞いています」
「では今の問いに答えろ」
こいつも少し黙った。俺は笑いかけたが、まだ自分の説明も済んでいなかった。
床へ降ろされると、吊帯の当たっていたところがじんじんした。外した装具を渡し、長椅子へ座った途端、アンドリューハも横へ来る。
「空へ出たら、景色でも見てるのかと思ってた」
「見る暇はあるかもな。お前がやることを忘れれば」
「お前だって答えられなかったろ」
「だから聞き直したんだよ」
ルスランが水筒の蓋を閉め、俺たちへ向いた。
「次に同じことを聞かれたら答えられるか」
「今ならな」
「じゃあ、俺にも説明してくれ。途中のところを確かめたい」
冗談で言っている様子ではなかった。俺は覚えているところを話し、途中でアンドリューハに、それは逆だと言われた。
壁の図を見に戻ると、こいつの方が合っていた。
アンドリューハは得意そうだったが、その先をルスランに聞かれると俺へ顔を向けた。結局3人で図の前に立ち、軍曹が来るまで言い合うことになった。
煙草を吸う時間はなかった。
また装具を着け、確認を受け、吊られる。午前中は脚が疲れたが、午後は帯の当たる場所ばかり気になった。
それでも、名前を言われれば、どの帯や金具のことかは分かるようになってきた。軍曹の質問にも、さっき自分たちで確かめたところなら答えられた。
夕方、最後に床へ降ろされると、俺は両足へ体重を掛け直した。普通に立てるだけで、随分楽だった。
アンドリューハが外した装具を抱えた。
「明日もこれかよ」
近くで点検していたチェルノフが顔を上げた。
「今日のまま飛行機へ乗りたいか」
アンドリューハは口を閉じた。
俺も、まだ聞き直したいところがあった。だが、ここでそれを言えば、帰る前にもう一度吊られそうだった。
アンドリューハが姿勢を正した。
「明日も練習します、同志上級准尉」
「そうしろ。装具を戻す前に、今教えたところを確かめておけ」
俺も手元を見直した。帯が一か所ねじれていたので、直してから軍曹へ渡した。
飛行機へ乗る日は、聞かずにおいた。




