第25話 聞こえたことと見えたこと
夕方、林道の向こうからトラックが入ってきた。
荷台には大きなアルミの容器と、木箱に入ったパンや缶詰が積まれている。運転手の隣には兵士が乗り、到着すると飯盒を持った者を順番に呼んだ。温めた粥の湯気が立ち、土と汗の臭いに混じって、薄い脂の匂いが流れてきた。
俺たちは手を洗ってから列へ並んだ。水は鉄製の容器から分けられ、飯は大きな鍋から飯盒へよそわれる。黒パンと肉の缶詰を受け取り、ようやく地面へ腰を下ろした。
アンドリューハは、俺が座る前に缶詰を開けていた。
「お前、缶まで食うなよ」
「邪魔すんな。朝からこれだけを楽しみにしてたんだ」
「昼も食っただろ」
「あれじゃ足りねえ」
俺も飯盒へ匙を入れた。粥はぬるくなりかけていたが、塩気と脂が口へ広がる。兵舎なら味が薄いと文句を言ったかもしれない。ここでは温かい物が腹へ入るだけで、文句を言う気にはならなかった。
ルスランはパンを少しずつ千切って食べている。アンドリューハが、その手元を見た。
「残すならくれ」
「まだ食べている」
「聞いただけだろ」
「自分の分を見ろよ」
俺は残ったパンを先に口へ押し込んだ。誰かに取られる前に食べておく方が早い。
食後も、すぐには休めなかった。
プラシ・パラトカを広げ、木の支柱と紐を使って寝場所を作る。2枚を繋いだ奴らは、張り方を直されていた。雨が降れば水が溜まり、風が吹けば布ごと倒れるという。
俺とアンドリューハは、端を押さえながら布を張った。地面へ刺した杭が斜めになると、ルスランが無言で抜き、固い土へ入れ直した。
「そこまでやるか」
「倒れたら、夜中に張り直すのは俺たちだ」
「お前、こういう時だけ親父みたいだな」
「お前が何も見ていないからだ」
できあがった場所は、横になれるだけの幅しかなかった。背嚢を枕にし、小銃を身体の横へ置く。地面の小石が目についたが、全部取り除く気力はなかった。
最初の見張りは俺とルスランだった。
実弾は渡されず、小銃は安全を確かめた状態で持つよう言われた。異常があれば、勝手に確認しに行かず、交代の兵か教官へ知らせる。交代時刻はその場で言い直させられ、誰が何時に立つかを曖昧にすることは許されなかった。
アンドリューハは荷物を枕にして、さっさと布の下へ潜り込んだ。
「起こす時は優しく頼むぞ」
「一度で起きろ。何度も呼ぶと蹴る」
「じゃあ、ルスランに頼む」
「俺も一度しか呼ばない」
言い返していたが、俺たちが持ち場へ向かう頃には、もう目を閉じていた。
7月の空は、夕方になっても明るさが残っている。草地の向こうはまだ見えていたが、林の中は木の影から先に暗くなった。日中に見えていた根や窪みが、少しずつ地面へ溶けていく。
汗で湿った野戦服が冷え、背中へ張りついた。俺はヘルメットの位置を直し、AK-74のスリングを握り直した。
「寝ている奴を見てから来ればよかったな」
「眠いのか」
「最初から眠い」
「俺もだ」
ルスランがそう答えたので、俺は少し笑った。こいつでも眠いことがあるらしい。
葉が擦れる音が、風の強さで変わった。音が止むと、周囲が急に静かになったように感じる。林の奥で枝が鳴るたび、俺はそちらへ目を向けた。
「何かいるのか、風なのか分からねえな」
「分からなければ報告しろと言われただろう」
「毎回呼んだら、チェルノフも眠れねえぞ」
「お前が気を遣う相手か」
返す言葉がなかった。
煙草が吸いたくなった。胸ポケットの箱へ指を触れ、火をつけることは諦める。ここで明かりを出せば、見張りをしている自分から位置を知らせることになる。
しばらくして、左手の草を踏む音がした。
俺が顔を向けると、ルスランもすでにそちらを見ていた。もう一度、近いところで音が鳴る。
教官が、夜の見張りを試しに来たのかもしれない。そう決めつけるには音が近すぎた。
俺は教わった通り、銃口を向けずに声を掛けた。
「誰だ!」
人影が止まった。
「チェルノフだ」
声を聞き、肩の力が抜けた。上級准尉は近づいてから、俺たちの顔を順番に見た。
「何に気づいた」
「草を踏む音です。姿はまだ見えていませんでした」
「ほかには」
「ありません」
チェルノフは頷いた。
「聞こえたことと、見えたことを分けて報告したのはいい。見えないものまで、見えたように言うな」
俺は「了解しました」と答えた。
上級准尉は周囲を見回した。
「持ち場から離れた者は」
「いません」
「交代は何時だ」
ルスランが答える。チェルノフは腕時計を確かめ、それから俺の胸ポケットへ目を落とした。
「煙草は我慢しているようだな」
「それを確かめに来たんですか」
「お前なら、吸いながら寝ていても驚かん」
「起きていますよ、同志上級准尉」
「今のところはな」
チェルノフが戻っていくと、俺は小さく息を吐いた。
「吸わなくてよかったな」
ルスランが言った。
「火をつける前に来やがった」
「考えていたのか」
「考えるくらいいいだろ」
「実行しなければな」
交代が来るまで、時間はなかなか進まなかった。何も起きないのはいいことだと分かっている。それでも、目を開けたまま立っているのはきつかった。
ようやく交代して布の下へ戻ると、背中の下に小石があった。取り除こうと思ったが、手を伸ばすのも面倒で、そのまま横になった。
朝には、身体の片側だけが痛んでいた。
起こされて外へ這い出ると、アンドリューハも腰へ手を当てている。
「寝られたか」
「寝た気がしねえ」
「俺が出ていく前から寝てただろ」
「だったら、もっと寝かせろよ」
朝食を済ませると、撤収が始まった。
パラトカを外し、支柱を抜き、杭を回収する。掘った穴は土で埋め戻し、折れた枝や缶の蓋まで拾った。俺は背嚢を閉じてから匙がないことに気づき、もう一度中身を探した。
アンドリューハが、片づけた飯盒を指した。
「最後に入れただろ」
「……あった」
「礼くらい言えよ」
「お前が隠したんじゃねえだろうな」
「次からは黙って見てる」
帰りも徒歩だった。
行きより口数が少ない。誰もが背嚢の重さと足の痛みを知ってしまい、喋る分の息を残していた。
枝に引っ掛かってアンドリューハが止まると、今度は俺も止まった。
「取れたか」
「待て……よし」
返事を聞いてから歩き出す。置いていった方が早い時もあるが、後で戻って拾う方が面倒だった。
午後、兵舎が見えた。
到着した夜には留置場と変わらないと思った建物が、今は屋根と床のある場所として、ひどくまともに見えた。
「洗いてえ」
アンドリューハが顔を上げた。
「服の中まで土が入ってる」
「俺は先に靴を脱ぎたい」
「俺は寝たい」
「話を増やすな。全部やりたくなる」
後ろからルスランが言った。
「その前に、返す物を揃えろよ」
俺たちは振り返って睨んだ。
当然、休む前に手入れだった。小銃の確認を受け、装具の泥を落とし、湿ったパラトカを指定された場所へ広げる。顔を洗った水は、すぐに茶色く濁った。
夕食後、喫煙場所へ出るとサーシャがいた。
「初めての野外はどうだった」
「お前も来ればよかったのに」
「もう何度も行ってる」
「じゃあ、俺の分も行けよ」
サーシャは笑い、煙草の箱を差し出した。俺は断らずに1本抜いた。
「地面で寝られたか」
「寝たけど、身体が痛え」
「横になる前に、手で下を探れ。面倒がると朝まで石の上だ」
「見てたみたいに言うなよ」
「新兵は大抵やる」
火を借り、煙を吸った。
林の中でも休憩中なら吸えた。それでも今は、吸い終わった後にまた何キロも歩く必要がない。煙が肺へ入るだけで、身体の力が少し戻る気がした。
「何をにやついてる。女でも思い出したか」
「お前の煙草が旨いんだよ」
「次は自分のを出せ」
俺は笑って煙を吐いた。
寝室へ戻ると、アンドリューハが荷物を探していた。
「今度は何だ」
「匙」
「飯盒は見たか」
「見た」
ルスランが卓の端を指した。洗った匙が、そこへ置きっぱなしになっている。
「自分で置いたんだろ」
「見つかったからいい」
「礼は言わねえのか」
俺は笑ったが、自分の飯盒も開けて確かめた。匙は中に入っている。蓋を閉め、翌朝に使う物をまとめた。
暗い林の中で荷物をひっくり返すより、今のうちに見ておく方がましだった。
アンドリューハが俺の肩を小突いた。
「さっきの礼、まだ聞いてねえぞ」
「お前も匙をなくしかけただろ」
「見つかった」
「俺のもな」
言い合いながら、俺は帽子を服の上へ置いた。少なくとも明日の朝、それを探して走り回るつもりはなかった。




