第24話 2人で動け
午後は林の中へ移った。
穴掘りで掌が赤くなっていたので、携帯シャベルをしまえと言われた時には、少しだけ気が楽になった。代わりに、今度は10分以内に身を隠せと命じられる。
営庭の端に置かれた木箱から、教官が時計を取り出した。林の中には、前の訓練で踏み固められた細い道が何本も伸びている。足元には折れた枝と、雨で黒くなった松葉が重なっていた。
軍曹が少し離れた場所で伏せた。
俺からは、背中の一部しか見えなくなった。だが、チェルノフに横へ移動しろと言われると、茂みの端から軍曹のヘルメットと背中が見えた。迷彩服の色は木陰へ溶けていたが、動けば輪郭が浮く。
「目の前へ葉を置けば隠れたと思うな。人間の形が残っていれば、遠くからでも分かる。地面の色と、お前の服の色も見ろ」
教官は身を起こし、枝を払わずに後退した。説明を聞く間にも、首筋へ虫が寄ってくる。俺は手を出さず、歯を食いしばって耐えた。
合図が出ると、俺たちは決められた範囲へ散った。
俺は木の陰へ屈み、斜め前の茂みを選んだ。地面は湿っていたが、根の張った場所よりは伏せやすい。AK-74を身体の横へ置き、スリングが枝へ引っ掛からないようにした。
腹の下へ冷たい土が伝わる。顔の近くでは、細い羽音が続いていた。
それでも、今度の訓練は少し面白かった。
走る速さも、懸垂の回数も関係ない。見つからなければいい。イヴァノヴォで似たようなことをした時は、失敗すればミリツィヤに追われた。今日は怒鳴られるだけだ。
しばらくして、林の奥から軍曹の声が聞こえた。
「コロトコフ。出てこい」
別の方向から、アンドリューハの返事が返る。
「もうですか」
「お前は背中が丸ごと見えている。顔だけ隠しても、身体は消えん」
どこかで笑い声が漏れた。
「今笑った奴も出ろ。場所が分かった」
俺は声を出さずに笑った。アンドリューハなら、木の裏へ立っていても隠れたつもりになりそうだった。
枝を踏む音が近づいた。
軍曹が木立の間を歩いている。靴底が乾いた小枝を折り、止まるたびに周囲の葉が揺れた。こちらへ顔を向けたので、見つかったと思った。
だが、軍曹はそのまま横を通り過ぎた。
俺は伏せたまま、遠ざかる背中を目で追った。初めてまともに出し抜けた気がした。
その直後、肩を叩かれた。
「ケルジャコフ。終わりだ」
チェルノフが、俺の背後に立っていた。俺は顔を上げたが、すぐには起きなかった。
「いつからいたんですか」
「お前が軍曹を見送っている間だ」
「あの人には見つかっていません」
「そうだな。だが、探しているのは1人ではない」
俺は舌打ちを土へ落とし、起き上がった。ヘルメットの縁に葉が一枚引っ掛かっていた。
チェルノフは、俺が伏せていた場所を見た。
「ここを選んだ理由は」
「ほかの連中が固まっていたので、離れました。身体も収まりそうだったからです」
「伏せる前に、周りを確かめたか」
「少しは」
「次は、少しで済ませるな」
褒められたのかと思ったが、結局は見つかっている。俺は葉を払い、集合場所へ戻った。
先に見つかった連中が、林の端で待たされていた。アンドリューハは襟の中へ手を入れ、虫を探すように首を掻いている。
俺が隣へ立つと、そいつがこちらを見た。
「どうだった」
「お前よりは長く隠れてた」
「でも見つかったんだろ」
「お前は立ってても同じだったらしいな」
アンドリューハが俺の肩から葉をつまみ、顔へ投げてきた。葉は頬に当たって落ちた。
ルスランも戻ってきた。どこにいたのかと聞くと、林の奥を指した。俺には、ただ木が密集しているようにしか見えなかった。
「いつ見つかった」
「最後に呼ばれた時だ」
「俺より後か」
「また順番を数えてたのか」
俺は返事をせず、水筒を取り出した。ぬるい水を飲み、口の中の土っぽさを流した。
次は2人1組で、指定された地点まで移動する訓練だった。
軍曹に案内され、使ってよい範囲と終点を確認する。途中には観察役の教官が隠れており、見つからずに進めと言われた。林の外へ出たり、指定範囲を越えたりしてはいけない。
俺の相手はアンドリューハだった。
開始前から、互いにどちらが先に進むかで揉めた。軍曹が近づいてくる。
「話は済んだか。互いの顔を見ている暇があるなら、進む方向を見ろ」
合図で動き始めた。
歩くだけなら何でもない場所でも、装備をつけると枝がスリングへ絡んだ。飯盒が腰へ当たり、金具が小さく鳴る。俺は手で押さえたが、背後でも同じ音がした。
アンドリューハが息を殺して囁く。
「随分静かだな」
「お前の飯盒も鳴ってる」
「だから言ってるんだよ」
前方の木立が途切れた。
教官と歩いた時には気にならなかった空間だった。だが、今はそこだけ明るく見え、誰かがこちらを待っているように思えた。
俺は立ち止まった。
アンドリューハが背後から近づく。
「どうした」
「正面は開きすぎてる。脇へ回る」
「終点は向こうだろ」
「分かってる。ついてこい」
返事を待たず、低い茂みの方へ進んだ。背嚢が枝へ引っ掛かり、無理に抜こうとすると背中へ引かれた。
少し先で足音が止まる。
振り返ると、アンドリューハが屈んだまま背中へ手を回していた。
「引っ掛かった。待てよ」
「止まってから言うな」
戻って枝を外す。無理に引けば、迷彩服の布まで裂けそうだった。
「お前、先に行きすぎなんだよ」
「お前が遅い」
「2人で行けって言われてるだろ」
近くで枝の折れる音がした。
俺たちは同時に口を閉じた。呼び止める声はない。しばらく待ち、今度は俺が先に出す足を小さくした。後ろの足音が止まれば、俺も止まる。
終点の木へ着くと、待っていた軍曹が手を上げた。
「終了。装備を確認して、こっちへ来い」
アンドリューハが背嚢を下ろした。
「歩いただけなのに、走った時より疲れたぞ」
「声がでけえよ」
「もう終わっただろうが」
後から別の組も戻ってきた。途中で見つかった連中は、どこから見えていたかを教官に説明されている。
俺たちは名前を呼ばれず、少し待ってからチェルノフの前へ出た。
「今の組は、観察していた軍曹からは見つからなかった」
俺はアンドリューハを見た。こいつも、少しだけ胸を張っている。
「ほらな。俺についてきてよかっただろ」
「途中で俺を見失いかけたくせに」
「戻ったじゃねえか」
チェルノフが俺たちの間へ入った。
「進む場所を変えたのは誰だ」
「俺です」
「なぜ変えた」
「前が開けていて、見つかりそうだったので」
上級准尉はアンドリューハへ向いた。
「コロトコフ。同じことを考えたか」
「いえ。こいつが急に曲がったので、ついていきました」
「理由は聞いたか」
「聞きましたが、ついてこいとしか言わないので」
余計なところだけ、正確に報告しやがった。
俺は口を挟んだ。
「静かにしろと言われていたので、長く話すのもまずいかと思いました」
「長話をしろとは言っていない。相手に分かるように伝えろと言っている」
チェルノフはアンドリューハを指した。
「こいつは一度、お前を見失いかけた。見つからなければ、それで全部よかったと思うな」
背嚢が枝へ絡んだ時のことを思い出した。あのまま俺だけ先へ進んでいれば、2人で動く意味はなかった。
「コロトコフ。分からなければ、分からないと聞け。2人で行けと言われた時は、考えた方だけが先へ行くな。もう1人にも伝えろ」
俺たちは返事をした。
教官が離れると、アンドリューハは背嚢の肩紐を直した。
「次はちゃんと言えよ」
「前が見えすぎるから嫌だ。それだけだ」
「今なら分かる」
「面倒くせえな、お前」
「分かってる相手と組みたきゃ、母ちゃんを呼べ」
俺は笑いかけて、やめた。
デーニャなら、いちいち説明しなくてもついてきたかもしれない。だが、アンドリューハとは知り合って、まだ1か月ほどだ。俺が何を見て、どこへ行こうとしているのか、分かるはずもなかった。
次の組が出発するのを見ながら、俺はアンドリューハの肩を叩いた。
「もう一度やるなら、今度はお前が先へ行けよ」
「文句を言うなよ」
「それは無理だ」
「じゃあ、お前が先でいい」
結局、話し合いだけでは決まらなかった。




