第23話 同じ穴を2度掘る
1993年、7月中旬。
ロシア連邦、リャザン州、リャザン。
第137親衛落下傘連隊。
朝食の後、寝台の上へ装備を全部並べさせられた。
背嚢、ヘルメット、水筒、飯盒。予備の足布と衣類を置き、畳んだ雨具を広げると、隣の寝台まではみ出した。
プラシ・パラトカは、雨具にも天幕にも使う大きな四角い布だった。縁には木の留め具と紐を通す穴があり、畳まれていたところが白く擦れている。
アンドリューハが俺の寝台から布を押し戻した。
「自分のところで広げろよ」
「そっちを持て。畳み直す」
「何で俺が」
「お前のも手伝うから早くしろ」
床へ落とさずに畳むだけでも、2人いた方が楽だった。布を重ねて押さえると、保管中に染みついた湿っぽい臭いがした。
チェルノフは通路を歩き、装備を確かめていた。飯盒を開けさせ、蓋だけ洗って中に飯粒を残していた奴には、洗面所へ行ってこいと命じる。
俺の飯盒にも凹みはあったが、中は洗ってある。アルミの縁に引っ掛かっていた匙を外すと、上級准尉は底まで見て次へ進んだ。
煙草3箱のところで、その手が止まった。
「ずいぶん買ったな」
「売店へ行けたんで。次にいつ買えるか分かりませんから」
「準備がいいのは煙草だけか」
水筒を持ち上げられた。朝のうちに満たしておいたので、こちらは何も言われなかった。
チェルノフが煙草を戻した。
「足りなくなってから揉めるなよ」
「俺が吸う分は足ります」
「人に配ってもか」
「欲しがった奴には買わせます」
隣でアンドリューハが、こいつは本当に取るぞと呟いた。チェルノフがそちらへ移ると、すぐ荷物を並べ直し始めた。
俺は煙草を別々の場所へしまった。雨具の内側へ包んだ箱だけは、濡らさずに済ませたかった。
小銃を受け取って装備をつけると、寝台へ並べていた時より大荷物に感じた。腰のMPL-50まで歩くたびに腿へ当たり、列へ出る前に位置を直した。
チェルノフが俺たちを集めた。
「演習場で一晩過ごす。帰るのは明日だ。到着してからも仕事がある。歩いて着けば終わりだと思うな」
アンドリューハが声を掛けた。
「同志上級准尉。移動は全部徒歩ですか」
「そうだ。何か問題があるか」
「ありません」
「では列へ入れ」
戻ってきたアンドリューハに、俺は小声で言った。
「聞く前から分かってただろ」
「一応だよ。黙ってたせいで歩かされたら嫌じゃねえか」
門を出てしばらくは、まだ涼しかった。
だが、日が高くなるとヘルメットの中に熱が溜まり、襟へ汗が流れた。AK-74のスリングと背嚢の肩紐が重なったところが痛み、ずらしても長くはもたない。
後ろからトラックの音が近づいた。軍曹の指示で道の端へ寄ると、GAZ-66が砂埃を上げて通り過ぎた。荷台のベンチは空だった。
前の奴が悪態をついた。俺も運転席を見たが、運転手はこちらを見もしなかった。
埃が列へ流れ込み、しばらく誰も喋らなくなった。
最初の休憩では、座る前に肩紐を直した。背嚢を下ろすと、野戦服が背中へ貼りついていた。
ルスランは近くで長靴を脱ぎ、足布を巻き直していた。俺はその横へ腰を下ろした。
「お前も駄目か」
「少しずれた」
「平気そうに歩いてたじゃねえか」
「休憩になったら直すつもりだったんだ」
俺も踵を確かめた。前に皮が剥けたところは塞がっていたが、また同じ目に遭うのは御免だった。
アンドリューハは水筒を長く傾けていた。近づいたチェルノフに残りを聞かれ、振って確かめる。
「半分くらいです」
「次の補給場所まで、それを持て。なくなりそうなら先に言え。黙って隣の水筒を当てにするな」
「了解しました、同志上級准尉」
俺も水を飲んだ。ぬるかったが、口の中の砂っぽさが流れた。
再び背嚢を担ぐと、下ろす前より重く感じた。隣でもアンドリューハが立ち上がるのに手間取り、俺の肩を掴もうとしたので避けてやった。
やがて道を外れ、林へ入った。
白樺の根が地面から張り出し、湿った窪みには蚊が群れていた。前を行くアンドリューハが枝を押し分け、俺が近づく前に放す。
顔の前へ跳ね返ってきたので、慌てて避けた。
「おい、押さえてろよ」
「見えてなかった」
「お前の後ろには俺がいるんだぞ」
次の枝は、こちらが手を伸ばすまで押さえていた。礼を言うほどでもないので、黙って受け取った。
昼前に着いたのは、林に囲まれた草地だった。
地面には古い轍が残り、水の溜まったところへ空が映っていた。離れた場所には埋まりかけた掘り跡があり、草の間から土が露出している。
休止の指示が出ると、アンドリューハが周囲を見回した。
「ここで寝るのかよ」
「そう言ってただろ」
「屋根くらいあると思ってた」
「お前の背中にあるぞ」
プラシ・パラトカの包みを見たアンドリューハが、嫌そうな顔をした。俺も、あの布の下で雨を待ちたいとは思わなかった。
装備の確認を終えると、寝床を作る前に穴掘りだった。
射撃姿勢を取るための穴を掘ると説明され、場所を割り当てられた。小銃と背嚢は指定された位置へ置く。軍曹は勝手に遠くへ置くなと言い、全員が道具を出すまで待った。
腰のカバーからMPL-50を抜いた。
短い木の柄に鋼の刃がついた、折り畳めない小さなシャベルだった。携行するにはまだ我慢できる大きさだが、これで穴を掘れと言われると、急に小さく見えた。
軍曹の説明が終わり、地面へ刃を入れた。
草の下には細い根が絡んでいた。土だけを掬ったつもりでも根が残り、持ち上げた塊が途中で崩れる。刃を入れ直すうち、ヘルメットの縁から汗が落ちた。
隣でアンドリューハが手を止めた。
「親父に見せてやりてえな。ダーチャの畑仕事は、全部逃げたんだ」
「帰ったら呼ばれるぞ。軍で覚えてきたんだろって」
「家では忘れたことにする」
「じゃあ、もう少し練習しとけよ」
笑ったところへ蚊が寄ってきた。首を叩くと、土のついた手で襟まで汚した。
思っていたより掘れない。
少し進んだところで石に当たり、鈍い音がした。場所をずらしても引っ掛かる。腹が立って強く当て直しかけると、チェルノフに止められた。
「石を出せ。刃をぶつけ続けるな」
「根の下に入ってるんです」
「だから周りを見ろ。道具を傷めたら、それで残りも掘るんだぞ」
周囲の土を退け、ようやく石を引き出した。見えていた部分より大きく、転がすだけで両手が汚れた。
俺は途中まで掘れた穴を見た。
「これで本当に弾を避けるんですか」
「そのために使える形へ仕上げる。まだ確認を受けてもいないだろう」
「はい、同志上級准尉」
チェルノフは隣へ移った。アンドリューハの方でも、もう終わったつもりかと聞いている。
俺はまた柄を握った。掌の同じところが擦れ、指を開くと皮が引っ張られた。
ルスランは俺より進んでいた。それでも時々手を休め、握り直している。あいつが疲れているのを見るのは珍しかったが、見物しても俺の穴は深くならない。
アンドリューハがこちらへ顔を向けた。
「今日は勝負しねえのか」
「何の」
「穴掘り。あいつの方が早いぞ」
「お前が勝ってこいよ。俺はここで待ってる」
「俺が掘ってる間に休む気か」
「お前も、さっきから口ばっかり動いてるぞ」
アンドリューハは掘り始めた。俺も端に残った土へ刃を入れた。
急いで終わらせた奴が軍曹を呼び、すぐに掘り直しを命じられていた。置いたばかりのシャベルを拾う姿を見て、俺は確認を頼むのをやめた。
まだ直せるところが見えている。
俺は屈み直し、残った土を掬った。同じ場所へ戻されて、もう一度掘るのは嫌だった。




