第19話 まだ1発も撃っていない
1993年、7月上旬。
ロシア連邦、リャザン州、リャザン。
第137親衛落下傘連隊。
7月に入って、小銃を受け取る朝が来た。
足布は前の晩に用意し、帽子は服と一緒に置いている。寝台も、毎回やり直すことはなくなった。目覚めた瞬間に帰りたくなるのは、相変わらずだった。
朝食後、武器庫の前へ並んだ。アンドリューハは前の奴の肩越しに扉を見ている。俺も、今日は何時に飯になるかより、中に何があるかの方が気になった。
チェルノフが列の前へ来た。
「呼ばれた者だけ前へ出ろ。受け取ったら番号を確認する。操作は指示してからだ。勝手に弄るな」
当直が鍵を開けた。鉄の扉の向こうには、銃床を下にして小銃が並んでいる。棚の札には番号が書かれ、脇の机では兵士が受領簿を開いていた。
廊下まで銃油の臭いが流れてきた。奥で小銃を取り出す兵士の袖は肘が白く擦れ、襟元からテルニャシュカの青い縞が覗いていた。
俺に渡されたのはAK-74だった。
赤茶色の木製銃床には浅い打ち傷があり、頬を当てる辺りだけ艶が出ている。銃身を支える手の下にも同じ色の木があった。縁には、重なった木の層が細い筋になって見えた。
黒い金属部分は角が銀色に擦れ、右側には大きな切替レバーがついている。先端の長い筒には横向きの穴が開いていた。
親父の部屋にあった写真では、そこまで細かくは見えなかった。
担当の兵士が受領簿へ指を置いた。
「番号を読め」
読み上げると、途中で止められた。
「もう一度。頭の文字から全部だ」
「……文字もですか」
「全部と言った。自分の銃を覚えろ」
今度は省かずに読み、示された欄へ署名した。返された小銃を持ち直すと、スリングの金具が木製の銃床に当たり、乾いた音を立てた。
列へ戻る途中、前から来た奴を避けて足を止めた。銃口まで一緒にそちらへ動かしかけ、慌てて戻す。
クラブで拳銃を抜いた男を思い出した。銃声がした途端、誰も殴り合いを続けなかった。
俺の手にある物は、あの拳銃よりずっと長かった。
教室には、切りそろえた厚い布が机ごとに敷かれていた。壁の教材図は角が丸まり、下端にはソ連国防省の名が残っている。窓の外では、別の組が号令に合わせて長靴を踏み鳴らしていた。
チェルノフは教卓へ小銃を置いた。
「空だと言われても、自分で確認する。銃口を人へ向けるな。引き金に指を掛けるな。分からなければ、手を止めて聞け」
軍曹が机の間を回った。確認を済ませた者も、全員が終わるまで触るなと言われた。俺は敷物の上へ手を置き、隣が何をしているか見るだけにした。
チェルノフが教室を見渡した。
「今日は射撃場へは行かん。各部の名前と、手入れに必要な分解からだ」
隣でアンドリューハが息を吐いた。俺は声を落とした。
「撃たせてもらえると思ってたのか」
「持たせたんだから、少しくらいな」
「先にお前を撃たせて、どうなるか見ておくよ」
「その時だけ後ろへ逃げるなよ」
軍曹の靴音が近づき、俺たちは前を向いた。
チェルノフは赤茶色の弾倉を持ち上げた。俺の小銃に付いている物と同じで、表面には細かな擦り傷がついている。見た目ほど重くはなかった。
「弾は5.45ミリだ。先端の筒はマズルブレーキ。反動と銃口の跳ね上がりを抑える」
図を指され、手元の小銃と見比べた。先端の筒には、確かに横向きの穴が開いていた。
名前だけ聞かされるより、実物がある方が分かりやすい。何のためについているか説明されると、次に指された箇所も気になった。
その後、上級准尉は手入れに必要な範囲の分解を見せた。
レシーバーカバーを外すと、機関部の中にある部品が現れた。取り出された金属部品には、薄く油が残っている。俺は身を乗り出したが、後ろの男から見えないと言われ、椅子をずらした。
チェルノフは手を止め、外した部品を全員に見せた。
「置く場所を決めろ。隣と混ぜるな。力任せに外そうとするな。引っ掛かったら、どこで止まっているか確かめるんだ」
俺たちの番になると、教室が静かになった。
布の上に部品を並べ、さっき見た形を思い出す。分厚く見えたレシーバーカバーは、手に取ると薄い鋼板だった。機関部の内側には擦れて光る箇所があり、どこが動く部品と触れ合うのかも少し分かった。
こういう作業なら、もう少し続いてもよかった。
俺は手を止め、チェルノフを呼んだ。
「できました、同志上級准尉」
上級准尉は並べた物を確かめ、部品の名前を聞いた。1つ答えに詰まると、壁の図を見るように言われた。
形は覚えたが、名前まで一度に入るわけではない。読み直してから答えると、今度は組み立てろと指示された。
最後まで見届けたチェルノフが、小銃を確認した。
「手順は覚えたな。次も、その置き方でやれ」
「了解しました」
声が少し大きくなった。叱られる以外で横に立たれても、それほど嫌ではなかった。
上級准尉は俺の指先に残った油を見た。
「機械を扱ったことはあるか」
「学校で少し。車を弄るのも好きです」
「なら、部品を落とさずに扱う癖をつけろ。床へ落としてから捜すのは時間の無駄だ」
車をどこから持ってきたかは聞かれなかった。そこまで説明するつもりもなかった。
隣ではアンドリューハが組み立てで止まっていた。同じ部品を持ち直し、もう一度押そうとしている。
俺はその手元を覗いた。
「待てよ。さっきと向きが違うだろ」
「今、直してる」
「貸せ。見えるようにしてやる」
手を伸ばすと、まだ近くにいたチェルノフに止められた。
「ケルジャコフ。自分の机から手を出すな」
「手伝おうとしただけです」
「本人にやらせろ。コロトコフ、何が分からん」
俺は手を引っ込めた。
アンドリューハは説明を聞き直し、今度は自分で収めた。組み終わってから、俺の方へ顔を寄せる。
「触らなくてもできただろ」
「俺は貸せって言っただけだ」
「できるからって、いちいち手を出すなよ」
さっきまで動かなかったくせに、終わった途端にうるさい。
向こうの机では、ルスランも確認を受けていた。俺の視線に気づくと、自分の小銃を見下ろした。
「何か違うか」
「いや。触ったことがあるのかと思って」
「初めてだ。途中で分からなくなったから聞いた」
「俺も、名前はまだ怪しい」
「そっちは図に書いてある」
窓から風が入り、教材図の下端が壁を擦った。軍曹が片方の窓を閉めると、教室はまた暑くなった。背中に貼りついたシャツを引きたいが、指が油で汚れている。
手入れでは、拭いたつもりの場所を何度も見直させられた。布を替えても黒い汚れがつき、ようやく終えたところで、今度は油が多いと言われる。
俺の机へ来た軍曹が、光っている箇所を示した。
「塗ればいいという物じゃない。そこを拭け」
「全部、拭き取るんですか」
「残し方を見せる。こっちを見ろ」
分解より、こちらの方が面倒だった。だが、適当に済ませても指でなぞられれば分かる。俺は新しい布を取り、もう一度やった。
その後も分解と組み立てが続いた。
隣を見る余裕ができる頃には、アンドリューハも同じ場所で止まらなくなっていた。チェルノフが時計を取り出すと、教室のあちこちで小銃を置き直す音がした。
「今度は時間を見る。早さのために確認を省くな。終わったら手を止めろ」
俺は布の端を伸ばした。合図を待って動き、最後の作業を終えてから手を離す。
ルスランはまだ続けていた。
確認を受けた後、俺は向こうへ声を掛けた。
「今のは俺の方が早かったな」
「ああ」
「次もやるか」
「やれと言われればな」
懸垂では、こいつが終わるのを待たされた。今度は俺が待つ番だった。
アンドリューハが手元を見たまま口を挟んだ。
「余ってる時間で、俺の手入れもやってくれよ」
俺とルスランの返事が重なった。
「自分でやれ」
アンドリューハは俺たちを見比べ、それから布を取り直した。
俺も小銃へ目を戻した。銃床の打ち傷と、スリングのほつれを見れば、もう自分の物だと分かった。
まだ1発も撃っていない。それでも今日は、昼飯まであと何分か、一度も時計を捜さずに済んでいた。




