第13話 帰りの列車
集合所でも、また身体を調べられた。
上着を脱ぎ、書類を持って廊下に並んだ。開いた扉から消毒薬の臭いがする。壁にもたれて待っていたら、通りかかった軍人に身体を起こせと言われた。
軍医は書類と俺を見比べ、胸へ聴診器を当てた。包帯を見ると、前の検査の記録へ目を戻した。
「数日前の切り傷だな。指は動くか。痺れは?」
「ありません。軍へ行けない傷でもないって言われました」
「今はこちらで確かめている。腕を伸ばせ」
包帯を外され、指や手首を動かした。先に答えてやっても、手間は減らないらしかった。
軍医は傷を見てから用紙へ書き込んだ。
「痛みが強くなったり、腫れたりしたら申告しろ。包帯で隠しておくな」
「了解しました」
今度はすぐに答えられた。これを言えば話が先へ進む。覚えておいて損はなかった。
次は荷物だった。
長机の前で鞄を開けた。下着、靴下、石鹸ケース、歯ブラシ。母さんが何度も詰め直した物を全部出す。食べ物の包みも開かされ、机へパン屑が落ちた。
隣のアンドリューハを調べていた軍曹が、小瓶を持ち上げた。
「バスで酒を出せと言ったな。これは何だ」
「消毒用です」
「どこを消毒する」
「腹の中を」
俺は下着を畳みながら顔を伏せた。
軍曹がアンドリューハの後頭部を平手で叩いた。アンドリューハは首をすくめ、一度睨みかけてから目を落とした。
「ふざけるな。ウォッカだな」
「……そうです」
「持っていかせない。ほかをしまえ」
瓶は机の向こうの箱へ入れられた。すでに何本かあった。アンドリューハが箱を覗いた。
「返してもらえるんですか」
「除隊したら取りに来い。残っていればな」
後ろで笑いが漏れた。軍曹が顔を上げると、皆、自分の荷物へ目を戻した。
俺は煙草を2箱出した。軍曹は片方を鞄へ押し、もう片方を自分の脇へ置いた。
「そっちも俺のです」
「預かる。残りをしまえ」
「煙草も駄目なんですか」
「後ろが待っている。手を動かせ」
酒の箱には入れなかった。俺が見ていると、軍曹は次の男を呼んだ。
署でも取られた。親父の箱から抜こうとした時だけは、きっちり戻させられた。どうやら、俺の煙草だけは誰が持っていってもいいらしかった。
鞄を閉めると、アンドリューハが待っていた。俺が後頭部を指すと、その手を払われた。
「笑ってたろ」
「傷に使うって言えばよかったのに」
「じゃあ、お前の腕を借りればよかったな」
「俺を巻き込むな。煙草で十分だ」
廊下の端でまた待った。便所へ行くにも係へ断り、戻ると名前を確かめられた。喫煙していいと聞いた途端、長椅子から何人も立った。
俺も残った箱を持って外へ出た。建物脇の吸い殻入れを囲み、知らない男たちと黙って吸った。中から姓が呼ばれるたび、誰かが煙草を靴で潰して戻っていった。
その後、行き先ごとに分けられた。空挺へ送られる組は30人ほどで、アンドリューハもいた。
少し前に、黒髪で日に焼けた男が立っていた。背は俺と同じくらいだが、肩幅があり、首も太い。鞄を足元へ置き、誰にも話しかけずに待っている。
アンドリューハが俺の肘を突いた。
「あいつ、レスリングか何かやってそうだな」
「本人に聞けよ」
「お前は強そうな奴を見ると殴りたくなるんじゃねえの」
「喧嘩相手を探して歩いてるわけじゃねえ」
「今日会った俺には、もう何度も殴るって言ってるぞ」
顔を向けると、アンドリューハは急に前を見た。名簿を持った将校が来ていた。
列の端から名前が呼ばれた。
「ルスラン・マゴメドヴィチ・アリエフ」
「はい」
黒髪の男が答えた。荷物を持って隣の列へ移れと指示されると、「了解しました」と鞄を拾った。
アンドリューハがその背中を見た。
「コーカサスの方かな」
「だから本人に聞けって」
「お前なら、聞くついでに揉めそうだな」
「先にお前と済ませようか」
軍曹の声が飛んだ。
「コロトコフ、ケルジャコフ! 私語をやめろ!」
「了解しました!」
返事が重なった。隣と目が合い、すぐに逸らした。ルスランもこちらを見たが、何も言わず前へ向き直った。
夕方、ようやく移動が始まった。
人数を数えられ、バスで駅へ運ばれた。ホームへ出ると、車輪を叩いて点検する音と構内放送が重なって聞こえた。長い列車の脇に、鞄を持った俺たちが並ばされた。
家族連れや買い物袋を下げた女が、列を避けて通った。制服姿の車掌が乗車口に立ち、付き添いの軍人と書類を確かめていた。
行き先は空挺軍の教育部隊だと説明された。地名も聞いたが、頭の中に地図は浮かばなかった。何時間乗るのかの方が気になった。
指定された車両へ入ると、寝台が上下に並び、通路の反対側にも窓に沿って寝台があった。プラツカルトだった。仕切りの扉はなく、奥まで人の顔が見えた。
俺は下段の縁へ座った。アンドリューハが向かいへ鞄を置き、ルスランはその上の寝台へ荷物を載せた。通路では、後ろから来た男が鞄を引っ掛けて悪態をついていた。
軍曹が通路を進んできた。カーキ色の上着の腰をベルトで締め、黒い革長靴を履いている。寝台からはみ出した鞄を指した。
「荷物を収めろ。停車しても勝手に降りるな。煙草は指定された場所だけだ」
後ろの男が喫煙場所を聞くと、車端の方を示された。客室で火をつけるなと念を押され、ライターをしまった。
列車が動き始めた。ホームの柱が窓を横切り、立っていた人間が後ろへ流れていく。
アンドリューハが声を落とした。
「あの軍曹、今頃飲んでるぞ。消毒用が何本も集まったからな」
「俺の煙草もある」
「菓子でも渡せば1箱返したかもしれねえな」
「母さんの菓子まで食わせる気はねえよ」
鞄を膝へ載せ、タオルと靴下をどけた。ようやく食べ物の包みが出てきた。上へ移すと言った母さんを止めたのは失敗だった。
アンドリューハが手を出した。
「今度はお前の番だろ」
「まだ開けてもいねえよ。待て」
机へ包みを広げると、黒パンとソーセージが出てきた。アンドリューハがすぐに手を伸ばしたので、先に半分へ分けた。
上からルスランが顔を覗かせた。俺は包みを持ち上げた。
「食うか」
「いいのか」
「あるうちに取れ。こいつが食っちまうぞ」
ルスランは下りてきて、礼を言ってから一切れ取った。アンドリューハよりは遠慮を知っていた。
隣の区画では、母親に持たされたらしい茹で卵の殻を剥いていた。誰かが茶を取りに行き、金属のホルダーに収まったグラスを慎重に運んできた。
車輪の音を聞きながら食っていると、通路の奥で歌が始まった。
リュベーの「アタス」だった。最初は奥の男が1人で歌っていたが、サビに入ると隣の寝台からも声が加わった。アンドリューハもパンを飲み込み、膝で拍子を取り始めた。
歌詞を知らない奴まで、曲名を叫ぶところだけは声を張り上げていた。途中で誰かが先走り、周りが笑った。
軍曹が様子を見に来た。通路へ脚を出していた男に引っ込めろと言い、それだけで戻っていった。
俺も知っているところから歌った。腹に物が入り、当面は座っていればよかった。次に何をしろと言われるかは、まだ考えなくて済んだ。
歌が途切れると、アンドリューハが俺を見た。
「途中、間違えただろ」
「お前の声がでかくて分からなくなったんだよ」
「知らねえところを俺のせいにするな」
残りのパンを齧り、窓へ顔を向けた。建物が途切れ、線路脇の草と白樺が続いていた。
帰りもこの窓から外を見るのだろうか。その時には、いつ家へ着くか分かっているはずだった。
奥で次の歌が始まった。俺は口の中のパンを飲み込み、またそちらへ混ざった。




