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二話

 翌日、石垣棒太郎以下ボーちゃんは大阪へ向かった。大阪で活動中のグループOSKの応援に行かなければならないからである。第二次世界大戦は終了したが、空襲の被害はなかったので大丈夫と信じきっている大阪人が多かったのだろう。だが、日本は米国の無言の威圧に脅えていた。米国が今後どう出るかが何よりも不安だった。

 そのせいか、アイドル崇拝に拍車がかかりサイン会や握手会が各地で行われていた。

 この三月に日本は京都、長崎、鹿児島等々で盛んに行われていた外国人アイドルの活動を禁止した。

 そして五月には政府が公式に外国人アイドルの活動を全国的に禁止したのである。


 ボーちゃんは大阪でのイベントの後さらに南へ向かい難波に入る。南港から海を渡り高松に行くつもりなのだ。

 ホテルに落ち着くとにわかに人の出入りが激しくなったようである。

 ホテルの主人が、石垣棒太郎というニートの宿泊をツイートしたらしい。それを伝えきいた地元の有力社員がホテルに駆けつけてきたのだ。

 石垣棒太郎の名はよく知られている。世間一般はともかくとして、ニートとアイドル業界の世界には浸透していた。いまだに無敗のニートということで、その名は音に聞こえているのである。

 数多くの試合に勝っているが、棒太郎に名を上げせしめたのはやはり山岡グループを撃破したこと、それになんと言ってもこのたびの秋葉原の決闘だろう。

 特に大阪に近い人々は山岡グループとの激突を忘れてはいなかった。

大阪の山岡兼継といえば日本一を意味する、「ニート株式会社」の屋号を有して名を轟かせていた。

 その兼継の嫡男「山岡清一郎」、弟「山岡伝五郎」、そして孫の「山岡又十郎」をリーダーとする山岡グループの総勢を無名のニートが見事に打ち破ったのだ。


 棒太郎はその様子を動画アップロードをし、自己宣伝をおこない、自らの地位を確立していた。

 世間では、棒太郎のあからさまな行為を目を顰めながらも喝采を送っていた。棒太郎の実力と勇気と知略はこうして認められたのである。

 

 そのときに人々の頭には石垣棒太郎の名が刻み込まれ天下御免のニートという思いが残ったのである。それから8年の歳月が流れているが、今もなおそれらの記憶は失われていない。

 それに加えて、先週の秋葉原での決闘がまたしても、世間をあっといわせたのだった。

 

 資本金3億5千万、全国チェーンをもつデパート大倉家の公認試合であり、相手は無敵の天才ニートと評判の小崎次郎ときている。

 天才同士が立ち会えばいかなる結果になろうかと天下の耳目を集めた。その上で秋葉原のビルの一角で決闘を行う、というドラマチックな展開である。

 そうした試合に勝ったのだから再度、石垣棒太郎の名は世間に知れ渡る。

 棒太郎強い!ボーちゃん大勝利! 2~3日もすれば日本中にくまなく知れ渡ったであろう。

 その時の人が難波に宿泊したと知れば地元の有力企業一同騒然となるのは当たり前であった。


 翌朝には地元企業の重役の一人が社長の使者として棒太郎に面会を申し入れた。

 使者の用向きは、会社への招待だった。棒太郎はそれに応じ、社長のもとへ同行した。

 難波で貸金業を営んでいる井上浩二は大いに喜びしばらく逗留することを棒太郎に勧めた。逗留先として程近い天王寺境内に作られたホテルを、井上浩二みずからが定めた。

 

 社長の好意を退けることはできなかった。六日間に限るという条件付で棒太郎は難波に逗留することを承諾した。


天王寺の広大な庭園の一隅に湯屋万丈という建物と風光明媚な日本庭園があり、大広間や居間、書院窓のある小部屋などに分かれている。すべてに畳が敷かれており、凝った作りであった。

 身分の高い方々の憩いの場かあるいは僧侶が瞑想にふけるかという雰囲気である。庭園と砂砂利、池が見事な調和を作り出し、「極楽浄土の庭」と呼ばれるにふさわしかった。


 ここに六日間も滞在するとなると、暇つぶしのアイテムが必要であった。棒太郎のルーティンワークはアイドルの追っかけとアニメ鑑賞、グッズ集め、フィギュア制作などなど多岐にわたる。しかも先日久我正孝と立ち会った際、サイリウムを叩き折ってしまった。当然、新しいサイリウムを補充しなければ無かった。


 そのことを世話役を務める井上社長の部下に伝えると、さっそく藤田兵庫という細工師を連れてきた。

 藤田兵庫は難波で最も腕のいい細工師だという、もともとフィギュア制作を得意としていたが小物類も作れるという。

 藤田兵庫は、娘を伴ってきていた。娘といっても子供ではない、二十三、四といったところだろうか。すでに一度、嫁にいっているバツイチである。

 夫が死んだか、離縁になったかで、出戻りの娘に違いない。雪のように、白い肌をしている。なかなかの美人であって、そこはかとない色香を感じさせる。

 

 口元に気品があり、神秘性を湛えた愁い顔だった。存在感を示すように落ち着いているのはやはり、オタクの娘として育ったからだろう。

 ただし、病身かと疑いたくなるように、ほっそりとしていた。触れたら壊れてしまいそうなガラス細工のような印象が強い。小柄というよりも人形のように華奢な肢体であった。いかにも弱々しい。


 「娘の愛華にございます」

 藤田兵庫が、棒太郎に娘をそう引き合わせた。

 「愛とお呼びください」

 淑やかに、女は一礼した。

 

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