一話
8月15日正午、東京は真夏日であり空に雲はなく、青空が広がっていた。日差しは強く、街道を往来する人々は、多くの荷物をもち子供たちの手を引いていた。
空襲がくる、米国がついに本土にやってくる、そんな話がそこかしらから聞こえてくる。彼らの顔は皆恐怖と焦りに満ちていた。
頭上をいつB29が飛んでくるか分らない、防空能力は既になく焼夷弾を浴びることになる。海を眺めてもあれだけ威容を誇った日本海軍はどこにも見当たらない。
むしろギラギラと輝く海面がいつ米国海軍を呼び寄せるか不安に駆り立てる。救いになるのは思い出したように吹く風が涼を感じさせてくれるだけだ。
旅人、避難民、疎開者、の群れの中に、ひとりだけ平然と足を運ぶ男がいた。まったく、恐れを感じさせず、B29を警戒して空を仰いだり、海から来る敵国の脅威を感じている様子もなかった。正面を見据えて、一定の速度で歩いている。
顔からは汗が噴出し、手ぬぐいはじっとりと濡れていた、ときおり「ふぃーっ、ふぃー」、「暑い暑い」と独り言を口にしては水筒から水を飲み群れに遅れをとるまいと必死の形相であった。
徹底して甘やかされて育った身体はたるみきっており、身の丈は1メートル70センチほど肩幅は広く胸は女性のようにふくよかで色白の肌をしていた。
ニートである。
このころの社会現象で就職できない者というものが増えてきていた。引きこもりのニートもいるが、就職の口を求めながらも、モラトリアム(武者修行)と称して専門学校や大学院で勉学を続けるニートが少しも珍しくはなくなっていた。
第二次世界大戦で日本が敗北濃厚となり、本日玉音放送が流れることになっておりそれに伴い軍部も解体世の中に無職の元軍人が溢れていることも原因のひとつであった。
新たに就職先を見つけるためには実績を積むために地方を巡り、自らの存在を誇示しなければならなかった。
また、日本中に喧伝されるような有名人になるにはまず、どこかでモラトリアムと称してその道の達人としてその名を知られれば、軍国気風が残っている社長たちが見逃さない。引く手あまたで就職は思いのままということになる。
だが、就職を志した多くのニートがすべてその道の達人になれるわけではない。プロとして認められるのはそのうちのほんの一握りの者たちである。
ほとんどのニートが、タイミングと才能に恵まれていないことを知りどこへともなく消えていく。残った者の大半も、挫折するか自殺を遂げるかだった。
あとは就職しても仕事中毒になって絶命するか、二度と社会復帰できないうつ病患者となるかであった。
あるいは就職をあきらめて出家したり、生涯をニートのまま流浪者として過ごしたりと悲劇の人生をたどることになる。
そして数えるのほどのニートが生き残り、頂点を目指して競い合う。それらが大会社の役員に召抱えられたり、起業して多くの従業員を集めて大会社をつくったり、なおも一流のニートとしてその名を天下に轟かす。
いま、東京にいるニートも、ひと目で只者ではないとわかる風貌を具えていた。雰囲気も、異様である。そういう点は、ニートと無縁であるものたちにも直感的に理解できる。
すれ違っただけで、ゾッとさせられる。ナメクジに触れられたような粘着質の凄みが、伝わってくるのだ。それで旅人や避難民たちは思わず、道の端へ逃げてそのニートをよける。
汗をダラダラとかき、たるみきった腹をプヨプヨと揺らしながら歩く。速度に変化がなく足の運びが鈍重で土ぼこりが舞い上がり、足はしっかりと地面を踏みしめている。
長年にわたる不摂生とごろ寝の日々が、ゴム鞠のような弾力性をもつ肢体に表れていた。丸々とした顔に黒い眉毛がくっついているだけで、それほど表情があるわけではないが、気持ちが緩みきっており心のうちがそのまま顔に表れているようであった。
それが、背筋を凍らせるような最初の印象という凄みになっているのだ。何よりの特徴がそのニートの目にあった。通りすがりのものであろうと、死ぬまで忘れられないような目つきなのである。
簡単に言えば、気持ち悪いの一言に尽きる。
相手がニートであってもその視線をまともには受けられなかった。射すくめられて、目を伏せる。女子供になると、完全に丸裸にされているような感覚を覚えてしまう。
その不気味さがまた、筋金入りのニートであることを思わせるのであった。
黄色のシャツに身を包み胸にはデカデカとLOVEと米国の文字が躍っており、袖からは薄毛の生えた腕が伸びていた。緑色の短パンに黒いソックスに白いスニーカーで黒皮の指貫グローブをつけている。
髪は短く坊主に、麦藁帽子を被り、腰には水筒を差し、背中にはやや大きめの荷物をリュックに入れて背負っていた。
竹でできた棒を杖代わりに右手に握っており、左手は手ぬぐいを巻きつけていた。衣服は汗で黄ばみ麦藁帽子も汚れていた。
それらをまったく気にかけないことも、ニートの精神性を物語っている。
視線を動かさず真っ直ぐに置いてニートは表情も目も落ちつきがあるように見えた。しかし、見るものが見ればその一分の隙もないことから、そのニートがなにかを警戒しているのがわかるだろう。
どうやらニートの警戒心は、背後へ向けられているらしい。二十メートルほど後方にもうひとり若いニートの姿があった。
白地にラブラブと墨で書かれた旗指物を背にしているのがひどく目立ついわゆるアイドルグループの追っかけメンバーであろう、物干竿と呼ばれる長大な応援旗を用いたパフォーマンスで有名になった小崎次郎を思わせるような若いニートであった。
細めのズボンを身に付け、俊敏な踊りができるようにしているところも、小崎次郎に似ていた。
そうした若いニートは、一定の距離を追いて歩いてくる。間隔を縮めない広げない、というところがいかにも不自然である。それに絶えず視線を、前方のニートの背中に突き刺していた。
それらのことを一流のニートが、察知しないはずは無かった。当然、警戒する。だが、気にとめない風を装い、振り返ろうともしない、時折、煩わしい、というように、眉をひそめるだけだった。
秋葉原から御茶ノ水、水道橋へと西へ行き飯田橋を渡り、南へ行くと靖国神社にさしかかる。この先は東は皇居であり、南は永田町だ。そのニートはそちらには目もくれず西へ向かい新宿御苑のそばまでくると若いニートは一気に距離を詰めてきた。
先を行くニートは森にはいり、声も掛けられていないのに立ち止まった。予期していた時がきたというように、そのニートは新宿御苑の池のほとりでゆっくりと振り向いた。
若いニートが、それに追いすがりった。若いニートの右手はすでに背中の旗指物の柄を握っていた。
「石垣棒太郎!」
上ずった声で、若いニートは叫んだ。
石垣棒太郎と呼びかけられたニートは、声を上げることなく、ぼんやりとした顔で向き直った。しかし、若いニートへは目をやらなかった。石垣棒太郎はゆっくりと傾いてゆく太陽を見ていた。
「小崎次郎が舎弟久我正孝なり」
久我正孝と名乗った若いニートは、顔面蒼白で必死の形相だった。
いきなり背中の旗指物を引き抜き、久我正孝は上段に振りかぶった。なぜ、石垣棒太郎との立ち合いを望むのか、その理由は明白だった。
秋葉原にあるビルの一角で、石垣棒太郎に敗れた師、小崎次郎の無念を晴らすということなのだ、この時代はまだ立会いに敗れたことを恨み、肉親や舎弟による遺恨試合、仕返しが珍しくなかったのである。
だが、久我正孝の腕前はとても、師の無念を晴らすどころではなかった。しかも、若すぎた。
石垣棒太郎に討たれた小崎次郎はまだ二十七歳だったが、それよりも三つ四つは若いだろう。
久我正孝のほうも石垣棒太郎の腕にははるかに及ばないことを承知している。だから、決死の覚悟でいても、心身ともに萎縮してしまっていた。
ようやく石垣棒太郎は、久我正孝の顔に視線を向けた。石垣棒太郎と、まともに目が合った。すべてを見通しているような眼力と矮小なものを見るような侮蔑の視線に久我正孝の全身に怖気が走る。
久我正孝は、金縛りに遭ったように動けなくなった。そうした久我正孝を石垣棒太郎は気の毒に思う。
おそらく、九州か東北の田舎からアイドルを追ってきたのに違いない。小崎次郎とは秋葉原でのサイン会の前に地方営業で意気投合して、応援指南を受けたのだろう。
哀れであっても、相手をしないわけにはいかなかった。久我正孝を無視して立ち去ったり、傷を負わせてだけで助けたりすれば、かえって恥辱を与えたということになる。
挑まれればそれに応じ、勝敗を決することこそ、ニートの礼儀というものだった。
石垣棒太郎の右手が動いて、軽く握っていた竹の棒の先から応援テープが矢のように飛んだ、無造作に投げつけたようだが手裏剣を打ったのと変わらなかった。
テープ投げの達人でもある石垣棒太郎が、狙いを定めて投げたのだから当然だった。手裏剣となった応援テープは久我正孝の左胸に命中した。突然の攻撃に衝撃を受けて久我正孝の体勢は崩れた。
石垣棒太郎は跳躍して踏み込み久我正孝に対してサイリウムを振るった。石垣棒太郎は、メガホンを用いていない。抜いたのはサイリウムだけであった。
そのサイリウムは久我正孝の右の脇腹を抉るように叩きつけ、半円を描いて頭上から振り下ろした。久我正孝は旗指物を振ることもできず、またそれをかわす余裕もなかった。
石垣棒太郎のサイリウムは久我正孝の脳天から顔面のあごまでを垂直に蛍光塗料を塗りつけていた。
真っ赤に染まった久我正孝は、声もなく草の中へうつ伏せに倒れこんだ。
石垣棒太郎がサイリウムを筒に納めるまで三秒とかからない内に勝負に終わった。左手の手ぬぐいで汗をかきながら石垣棒太郎は久我正孝を見おろした。
その目を池の中の鯉に移したあと、石垣棒太郎は投げつけた応援テープを拾って歩き出した。街道に戻った石垣棒太郎は、陰鬱な眼差しを夕暮れに染まる太陽に向けた。
1945年8月15日、秋葉原での決闘で小崎次郎を討ち、石垣棒太郎がいずこへともなく姿を消してから、四日が過ぎようとしていた。その石垣棒太郎が今異世界への扉を開こうとしている。
通称は「ボーちゃん」本名は石垣棒太郎、このとき二十九歳であった。




