2 「妹と寝ろ」と迫る元恋人
「信じられない。本当に女じゃないか?」
ブルーノは同部屋になったオネストに妹のドレスを手渡した。
淡い水色のドレスに金髪のウイッグ。そして化粧は、オネストが持ち込んだ姿見の前に座って、自ら施した。
口紅を引いて立ち上がると、そこに金髪の少女が現れた。
オネストは少しはにかんで、スカートの裾をつまんだ。
オネストはどう振舞えば女らしく見えるか熟知していた。
その愛らしさに、ブルーノは口角を上げた。
「女装の経験があるんだな」
「姉たちが僕にドレスを着せて遊んでいたから、慣れています」
「女装、好きなのか?」
「それほどでも……でもブルーノが喜んでくれるならいつでもやるよ」
「ブルーノか……先輩が抜けたな」
「あっ」
オネストが慌てて口に右手の掌を当てた。
「フフフ、そんな仕草が可愛いな」
ブルーノは右手を出してオネストに触れようとした。
ピタッと手が止まった。
ドレスを着たオネストは、女そのものだ。そこらの女なんか問題にならないぐらい華奢で美しい。
こんな彼女ができて恋人同士になれたら、どれほど幸せなことか。
他人に壁を作るブルーノは、見た目に反して、可愛いものが好きだ。オネストに女装を強要したのも、オネストの美しさを再確認するためだった。
ブルーノは、オネストの魅力に感嘆した。男や女を超越した存在。その艶めかしい身体に触れたいと、心がざわめく。
オネストとの幸せを取るか、男としての一線を守るか、ブルーノは選択を迫られていた。
ブルーノの頭の中で情欲と理性が戦っていた。
オネストのジャスミンの香水が、理性の鍵をふっ飛ばす。
今、手を伸ばせば……
──しかし、まだ躊躇した。
お、俺は……もうごまかせない。男とか女とかそんな境界線はどうだっていい。
俺は、オネストという『存在』そのものが好きなんだ!
ブルーノの右手がオネストの肩に触れた。
ブルーノは女装姿のオネストを抱きしめた。
オネストはブルーノの背中に両手を回して瞼を閉じた。唇が重なった。
***
しかし、ブルーノは卒業時にその関係を清算した。
オネストを捨てたのだ。
ブルーノは隠れてフィオーレ公爵の娘アナスタシアと交際していた。
父ベッカロッシ伯爵の借金問題があった。借金を返さないと伯爵家は破綻する。
フィオーレ公爵にすがるしかなかった。
それと公爵を後ろ盾にしたら、貴族院での出世も確約されることも頭にあった。
フィオーレ公爵は、融資の話をしてくれた。ブルーノに娘のアナスタシアと交際するように促した。
アナスタシアはブルーノに以前から夢中だった。
「君は交際してる彼女はいるのかね」
公爵が聞いた。
「いません」
嘘ではなかった。交際してるのは、男だ。
そして、オネストが邪魔になった。愛しているが切ることを選択した。
フィオーレ公爵に発覚する前に別れるしかなかった。
ブルーノは、別れ話に泣きわめいたオネストを置き去りにした。
「すまない、許してくれ」
背中を向けて行ってしまった。
**********
妹マリカの恋人として現れたオネストの思惑がわからなくて、ブルーノは困惑した。
マリカが紅茶を淹れに席を外した。
ブルーノはその隙に対面に座ったオネストに身を乗り出して呟いた。
「何の目的でここに来たんだ」
「マリカとの交際をお兄様に認めてもらうためです」
「嘘だ。お前は女に興味はなかった」
「何でそんなこと知ってるんですか?」
その言葉にブルーノは、黙り込んだ。
「厳格なフィオーレ公爵が貴族学校時代の僕たちのことを知ったら発狂するよね。国王は同性愛を病気だと迫害しているから大変だ。アナスタシアとの婚約は解消、そして君は貴族院での公務から排除されて、辺境の地の役人にさせられてしまうだろう」
「俺を脅迫するつもりか」
「脅迫もなにも事実じゃないですか」
「そんなことは言わないでくれ。何でもするから」
「だったら、条件がある」
「何だ」
「マリカと寝てください」
ブルーノが固まった。
マリカと寝ろだって。オネスト、お前大丈夫か? 俺が妹と寝るなんてありえないだろう……
「馬鹿な、妹だぞ!」
「でも血の繋がりはない。マリカは後妻の連れ子だよね。何も問題無いじゃないか」
「お前は俺を侮辱するのか!」
ブルーノは右手の拳をぎゅっと握りしめた。
貴族学校のときなら、すかさず殴っていただろう。
「フフフ、ブルーノお兄様に殴られるのは、ご褒美ですよ」
「そんな悪趣味はない」
「分かりました。ではマリカとデートすることで手を打ちましょう」
「デート……それでいいのか?」
「構いません」
オネストは笑った。
マリカがトレイに載せた紅茶のカップと菓子を持って来た。
「何か楽しそうにお話してたわね」
「昔話に花が咲いたんです、マリカさん」
マリカが兄のブルーノを見た。ブルーノはコクリと頷いた。
ブルーノは、妹に買い物に付き合ってくれと頼んだ。何も知らない妹は嬉々としてOKした。
こうしてブルーノは妹とデートする羽目になった。
***
二人は休日に街を歩いた。
マリカはブルーノの買い物に付き合うはずだった。しかし、結局ブルーノはマリカの手荷物を大量に持つ役目に変わっていた。
公園のベンチで休むとマリカは無口になった。
隣にいるのが兄なのに、もじもじと緊張していた。
そして、意を決して言った。
「私、お兄様のことが、ずっと好きでした」
「何言ってんだ」
ブルーノはかぶりを振った。戸惑いと照れで慌てた。
「お兄様、オネストと付き合ってるのもお兄様が私に振り向いてくれないからなの」
にじり寄るマリカ。
「それは、君たちの問題だ。俺には恋人のアナスタシアがいる」
三年前、親父にフィオーレ公爵の娘アナスタシアと交際するように懇願された。
それがフィオーレ公爵の援助の条件だった。
プライドの高い父の土下座を見て、ブルーノは心が揺らいだ。
そして決意した。
我が伯爵家を守るために、オネストとの関係を断ち切るしかないのだと。
「お父様が領地経営に失敗して援助をフィオーレ公爵から受けてるからって、自らを偽るのはいけないわ。アナスタシアとの婚約はやめるべきだわ」
「マリカ……それはできない」
ブルーノは辛そうに顔を背けた。
***
その夜、裏庭でブルーノは怒りをオネストにぶつけた。
「お前が妹を焚き付けたのか?」
「そうだよ、ブルーノ」
「許さんぞ!」
と平手打ちをした。
パーン!
ブルーノの一撃でオネストは痛そうに顔を歪めた。
ハッと我に返ったブルーノ。オロオロする。
「すまない。手を上げるつもりはなかったのに……」
オネストの左頬に手の痕が付いた。
「こんな痛み。貴族学校卒業で捨てられた心の傷に比べたら、どうってことないさ」
「お前、まだあの時のことを……」
「ブルーノに裏切られて僕の心は壊れた。もう以前の僕じゃないんだ」
オネストが立ち上がると真正面からブルーノを見据えた。
その怒りに満ちた目が、ブルーノは恐ろしかった。
そんな目で見ないでくれ。
俺は今でもお前のことを……愛している。
でも貴族社会で生きていくには、心に反することをやらないといけない。
しかし、オネストは瞼を閉じた。
数秒たって再び瞼を開けると、先ほどまでの怒りの色はスーと消え去っていた。
代わりに歓喜の眼差しに変貌した。
「やっと、二人きりで会えたね」
オネストの声が震えていた。
「オネスト、お前は……」
「それ以上は言わないで」
オネストの右手の掌が、ブルーノの唇に触れた。
そしてオネストはブルーノに厚い胸板に抱きついた。
ブルーノは戸惑ったが拒絶しなかった。
オネストの背中に両手を回した。
欠けた月が二人を照らしていた。




