1 妹の恋人は、かつて愛した男だった
「お兄様、彼が私の恋人オネスト君です」
ブルーノは居間の長椅子で横になって本を読んでいた。
本の話が佳境に迫ったところで、居間の扉が開いて、妹マリカの声が聞こえた。
──オネスト。
その名前にブルーノは反応した。
まさか……
ブルーノはパタリと本を閉じて、上体を起こした。
妹の横にオネスト・マルケッティが立っていた。
貴族学校の二年後輩だ。
立ち上がったブルーノにオネストの視線が突き刺さる。
二人の間に張りつめた空気が流れた。
懐かしさと、この場から逃げ出したいような気持ちが、ブルーノの胸をよぎる。
胸の奥に封じていた過去が、溢れ出そうになった。
ブルーノの視線はオネストの頭から足元まで注がれた。
オネスト……背が少し伸びたな。
「お兄様とオネストは寄宿舎で一緒に過ごしたんだよね」
無邪気にマリカが言った。
「ブルーノ先輩にはよくしてもらいました。卒業後、挨拶できなくて申し訳なかったです」
オネストが会釈をして顔を上げると、薄笑いを浮かべていた。
ブルーノは鳥肌が立った。
オネスト、お前はまだあの時のことを忘れていないのか。
縁がすっかり切れたと思ったが、再び俺の前に現れるとは……
しかも、オネストがマリカの恋人だと? そんな馬鹿な。
ブルーノの胸騒ぎが警笛を鳴らしていた。
**********
──三年前。
麗しの美少年オネストは、入学早々に貴族学校の不良グループに目を付けられた。
なにせ、そこらの女より美しい男子だ。学校内で好奇の目で見る者は多かった。
ブルーノもオネストの姿を見かけた。
その時の衝撃は、尋常ではなかった。目が釘付けになった。
男装の女の子じゃないのか?
本物の男なら妖しすぎる美しさだ。魔性の女ならぬ魔性の男か。
もしあいつがドレスを着て女装したら、どれほど美しいだろう。そこらの女が束になっても敵わないだろう。
それを想像したら、笑いが込み上げてきた。
俺は……そいつを目の前で見てみたい。
しかし、あれはまずいぞ。絶対に何かトラブルを起こす予感がする。
でも……俺には関係ないことだ。
あいつがどうなろうが、知ったことじゃない。
ブルーノは目線を切った。
***
「お前が新入生の美形か。なるほどいいつらしてんな」
渡り廊下で待ち伏せしていた不良グループのボスのガリアーニがオネストの前に現れた。
背後の仲間二人が、周りの生徒を威嚇して追い払った。
オネストは逃げようと背中を向けた。
すると、右手首をがっしりと握られた。
「おっとお嬢様、どこに行こうとしたのかな」
お嬢様という言葉に、オネストは奥歯をぐっと噛みしめた。
「僕はお嬢様じゃない、男だ!」
「なら証拠を見せろよ。その股間の膨らみが本物かどうか知りたいぜ」
オネストの顔が青ざめた。
「ガリアーニ、アジトに連れて行こうぜ」
ガリアーニの仲間二人がオネストの両脇に来て腕をがっしりと押さえた。
「離してくれ!」
「駄目だ。本当に女じゃないか確かめるぞ。付いてるのか、付いてないのか確認するのが楽しみだなー」
オネストは両脇を担がれて引きずられた。
「誰か助けてくれ──!」
その様子を校舎の二階の窓から見ていた生徒がいた。
ブルーノ・ベッカロッシ。最上級生だ。
彼は階段を降りると左右どちらに向かうか躊躇した。
厄介な奴らだ。無視すればいい。おせっかいは嫌いだ。
しかし、今にも泣き出しそうなオネストの顔を思い浮かべた。
──あいつの泣き顔は見たくない。
ブルーノは渡り廊下に出るとオネストの背中に声をかけた。
「オネスト待たせたな!」
***
不良たちが振り返った。ブルーノを見て、ガリアーニの顔がこわばった。
「ブルーノか。お前はすでにあいつのお手付きなのか?」
──お手付き?
オネストは、振り返ってブルーノを見た。不良たちより頭一つ背が高い精悍な顔つきの男が、仁王立ちしていた。
その身体から発する威圧感は凄まじいものだった。
この場の空気が一変して、ピリピリした。
オネストはブルーノに目を奪われた。
こういう時に出現するなんて、物語に出てくる主人公そのものじゃないか。顔も男前だ。あー、その射るような目で見ないで。とろけそうになるじゃない。
ドクン、ドクン!
オネストの心臓の鼓動が激しく鳴った。
オネストは絶対に忘れないように、網膜にブルーノの勇姿を焼き付けた。
「僕はブルーノ先輩と待ち合わせしてたんです」
オネストが咄嗟についた嘘だ。ブルーノの話に合わせた。
ブルーノとガリアーニが睨み合った。
一歩も引かない両者。
一瞬、時が止まったように二人は微動だにししなかった。
最初に目線を切ったのはガリアーニだった。
「チッ」
ガリアーニは舌打ちして、仲間に離すように促した。
そして背中を向けて肩を揺らしながら行ってしまった。
残されたオネストは、お礼を言おうと振り返った。
すると、ブルーノが目の前に来ていた。
上からじっと見下ろした。
「お前、気をつけろ。あいつらはやばい。ターゲットにされた生徒が何人も退学している」
とブルーノは踵を返した。
「待って!」
「何だ?」
「さっき『おい、オネスト待たせたな!』と言ったよね。どうして僕の名前を知ってるの? もしかして、僕に興味があるから調べたの」
とオネストは、熱い眼差しでブルーノを見つめた。
ブルーノは眉間に皺を寄せて、オネストを睨みつけた。
「調子に乗るな。お前の悪評が耳に入っただけだ」
「悪評?」
「女の子みたいな新入生がいる。すぐに奴らにやられるだろうなと」
「でもブルーノ先輩は、僕を助けてくれた。嬉しかったです。ありがとうございました」
オネストはペコリと頭を下げた。
「……」
ブルーノは去って行った。
その後ろ姿を見たオネストは、胸に右手の掌を当てた。
まだドキドキしている。もしかして、これが初恋ってやつなの?
恋ってじっくり積み上げて育てるものだと思ったけど、一目惚れって本当にあるんだ。
オネストは初めての自分の気持ちに戸惑った。
***
その後も不良グループはオネストを狙い続けた。
授業の終わりを待って連れ出そうとしたり、トイレで待ち伏せした。
そのたびにオネストは、
「今からブルーノに会うから」
とブルーノの名前を出してその場を逃れた。
それをニヤニヤして見ていたガリアーニ。
「いつまでもブルーノの名前が効果あると思うなよ。いずれ、お前の女の子みたいな綺麗な顔を苦痛で歪めてやろう」
と舌なめずりをした。
「なぜ僕を狙うんですか」
「お前を狙うのは貴族たちが憎たらしいからだ」
「貴族学校の生徒なのに?」
「俺らは貴族階級じゃなくて商人階級だ。親父が箔を付けるために寄付金で貴族学校に入学した」
相棒たちがうなずく。
「ところが、入ったら貴族子弟に差別された。トイレに閉じ込められて上からバケツの水を掛けられた。そしてカツアゲに暴力。貴族なんて上品な顔をした悪魔だ。その恨みを晴らすために俺達は徒党を組んだのさ」
「僕は差別なんかしないよ。貴族も商人も何も変わらない」
「だったら、商人の息子が貴族子弟をいたぶっても構わないだろ?」
オネストは身震いした。
あんな下劣な奴らに弄ばれるのは嫌だ。
ブルーノなら僕を助けてくれる。その為なら何でもするよ。
オネストは唇を人差し指でなぞった。
昼休み、食堂に入るとブルーノを見かけた。窓際のテーブルに一人でいた。
オネストはトレイを持ってそのテーブルの真正面に座った。
ブルーノはスプーンを動かす手を止めた。
「何か用か」
「ブルーノ先輩が一人で食べてるのは意外です」
「群れるのが嫌なだけだ」
「僕もです」
「友達いないのか?」
「なりたい人はいますけど」
とオネストはブルーノを凝視した。
ブルーノは気まずそうに横を向いた。
オネストは周りのテーブルから注視されているのに気づいた。男女とも二人の会話内容が知りたいようだ。
新入生で評判の美少年と、剣術指南の教官に一目置かれているブルーノ。
二人の接近は貴族学校の生徒たちの関心の的だった。
とくに女生徒たちは、逞しいブルーノとオネストの関係をあれこれ噂していた。
「ねぇどう思うあの二人」
「お似合いよね。もうカップル成立したのかしら?」
「フフフ」
それが気まずかったのか、オネストが言った。
「後で校舎の中庭でも話しませんか。いろいろ相談したいことがあるので」
「かまわんぞ」
ブルーノは堅パンを千切った。
断られると思ったオネストは、胸をなでおろした。
***
放課後、中庭の花壇の脇のベンチに二人は座った。
彩りの花が咲き誇る花壇。
蝶や蜂が蜜を吸いにやって来ている。
その脇にベンチが置かれていた。
「このままではあの不良たちに何をされるかわからない。ブルーノ先輩助けてください」
子犬が飼い主に見せる懇願の表情に似ていた。
ともかくブルーノ先輩を盾にして、不良たちから守ってもらおう。まずはそれが優先だ。
ブルーノは軽く頷いた。
「俺を用心棒にするつもりか?」
「はい」
「だったら条件がある」
「何でもします」
「俺と同部屋になれ、そして……女装姿を見せてくれ」
オネストは嬉しさと同時に少しがっかりした。
「僕は男です」
「分かってる。女装して俺と付き合うのが条件だ」
「なぜ女装なんですか?」
「初めてお前を見たとき、男装した女だと思った。男だとわかって、それが残念でな」
「ちょっと傷つくなー」
オネストは頬を膨らませた。
「悪いが俺は男には興味がないんだ。でも女装姿なら、お前を女として扱えるだろ。俺は……お前の女装姿を見たいんだ。似合いそうだしな」
ブルーノは熱く語った。
「『俺と付き合うのが条件』とはどういう意味です」
「お前のバックが俺だと知らしめるためだ。あいつら以外にも狙われるのに気づいていないのか?」
「付き合う振りをしたら、僕は本気になりますよ」
「かまわんさ」
「いいんですか? 僕はめんどくさいですよ」
「分かってる。女はめんどくさいものだ」
オネストは破顔した。
ブルーノ先輩は男が好きじゃないんだ。
だったら、女装で女になりきってみせる。
可愛い姿をアピールして、女だと錯覚させる。
そして、ブルーノ先輩と……
きゃっ、恥ずかしい。
「お前、何でニヤニヤしてるんだ?」
ブルーノは首を捻った。




