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悪徳子爵は裁かれない  作者: 空っぽの零時
第1章:埃を被った剣
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第8話「親切な隣人」

 ヴァルデマール伯爵の居城は、まるで戦場を想定した要塞のように無骨で堅牢な造りをしていた。

だが、どれほど強固な石壁で囲おうとも、領地全体を覆う重苦しい空気までは隠しきれていない。


 ルシアンを乗せた馬車が領都の通りを進む間、窓越しに見える商店の棚はどれも空っぽだ。

主要街道が野盗によって封鎖され、物流がストップしている影響が早くも市井に現れている。


 すれ違う領民たちの顔には疲労と不安が色濃く滲み、街全体がゆっくりと干上がっていくような焦燥感に包まれていた。


 馬車が城の中庭に滑り込むと、ルシアンはエスコートする兵士に愛想笑いを振りまいて降り立った。

案内された最上階の執務室の扉が開くと、そこには分厚い葉巻の煙と、苛立ちに満ちた淀んだ空気が充満していた。


「新参者の若造が、大貴族であるこの私に何の用だ」


 執務机の奥で玉座のようにふんぞり返るヴァルデマール伯爵は、挨拶すら抜きにして不快感を露わにした。

その目の下には濃い隈が刻まれ、太い指先が苛立たしげに机の木目を叩き続けている。

無敵の私兵団を擁しながら、たかが野盗の集団を数日経っても排除できないという事実が、彼の強烈なプライドをひどく傷つけている。


 ルシアンの内心には氷のような嘲笑が渦巻いていた。

だが表面上は一寸の狂いもなく、貴族の微笑みを貼り付けてみせる。


「突然の訪問をお許しください、ヴァルデマール伯爵閣下」


 手を胸に当て、一寸の狂いもない優雅な角度で一礼してみせる。


「本日は善意の隣人として、閣下のお力になりたいと推参いたしました」


「力になりたいだと?」


「ええ。聞けば閣下の領地で、凶悪な野盗の集団が暴れ回っているとのこと」


 ルシアンの声は上質な絹のようになめらかで、相手を気遣うような甘い響きを帯びていた。


「我がオーリ領の私兵団を援軍として派遣し、野盗討伐の助太刀をさせていただきたいのです」


 その言葉を聞いた瞬間、伯爵がピクリと反応し顔を真っ赤にして立ち上がった。


「馬鹿にするな!」


 怒声とともに分厚い掌が机に叩きつけられ、置かれていた銀のインク壺がガチャリと跳ねる。


「我がヴァルデマール領の精鋭たちが、あんなゴロツキどもに後れを取っているとでも言いたいのか!」


「滅相もございません。ただ、物流の滞りは我々近隣の領地にも影響を及ぼしかねず……」


「黙れ、青二才が!」


 伯爵は血走った目でルシアンを睨みつけ、その太い指を突きつけた。


「我が領地は新王陛下より賜った『領地特例法』によって守られている!」


 その言葉こそ、ルシアンが待ち望んでいた決定的な一言だった。


「領内の治安維持と問題解決はすべて我が軍の管轄であり、他領からの介入など法的に一切不要である!」


 伯爵の息は荒く、肩を大きく上下させながら自らの正当性と力を誇示する。


「援軍など無用だ!あの野盗どもは、我々の力だけで必ず、即座に叩き潰してみせる!」


 ルシアンは、激昂する伯爵から視線を外し、床に落ちたインク壺の染みをただじっと見つめた。

その顔には感情が抜け落ちていたが、指先だけが歓喜を抑えきれないように微かに震えていた。


「……それは失礼いたしました。閣下の見事な統率力を疑った私の不調法です」


 ルシアンは殊勝な態度でもう一度深く頭を下げ、それ以上の追及をあっさりと諦めた。


「では、これにて失礼いたします。野盗討伐の吉報を、隣領より楽しみにお待ちしております」


 拍子抜けするほどあっさりと引き下がったルシアンの後ろ姿を、伯爵は忌々しそうな鼻息と共に見送った。


 城の階段を下り、待たせていた馬車に乗り込んだ瞬間、ルシアンの顔から温厚な青年の仮面が剥がれ落ちた。

ベルベットの座席の向かい側には、セレナが静かに待機している。


「お疲れ様でございました、旦那様」


「ああ。馬車を出してくれ」


 馬車がゆっくりと動き出し、城の正門を抜けて領都の通りへと戻っていく。

ルシアンは手袋をゆっくりと外し、冷ややかな表情で窓の外を流れる景色を見つめた。


「伯爵の様子は、いかがでしたか」


「最高に滑稽な踊りを見せてくれたよ」


 ルシアンは喉の奥で、地獄の底から響くような低く冷たい笑い声を漏らす。

彼がわざわざ敵陣に乗り込み、拒絶されるとわかっている援軍を申し出た真の理由。

それは、決して敵を助けるためなどではない。


「特例法を盾にして、他領の介入を明確に拒絶したね」

 

『創世王典』第七章、第十四条。


 街道で有事が発生し、かつ領主が自力で事態を収拾できない場合、隣接する領主は査察と介入の義務を負う。


「あれほど大見得を切って援軍を断りながら、現実には有事を自力で解決できない状態が続いている」


 ルシアンの指先が、窓枠を静かに、そして残酷なリズムで叩く。


「これで、絶対不可侵のバグを使用するための法的条件は満たされた」


 獲物の首元に、目に見えない死神の鎌がぴたりと当てられた瞬間だった。


「さあ、王都の法務省へ向かおうか、セレナ」


 ルシアンの顔に、底知れない狂気と冷酷さを孕んだ、圧倒的な美しさを持つ笑みが広がる。


「驕り高き大貴族を、法の断頭台へ引きずり上げる手続きの時間だ」



ここまでおお読み頂き、ありがとうございます!

今後ともご支援よろしくおねがいします(●'◡'●)

※次回、明日朝6時20分更新です

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