第7話「踊る野盗」
伯爵領の主要街道。土煙を上げて疾走する武装した騎馬の集団が、商隊の馬車を取り囲んだ。
行商人が地面に這いつくばり、なけなしの金貨袋を差し出す。
だが、黒い布で顔を覆った野盗のリーダーは、その金貨には目もくれず、ただ不気味な笑い声を上げて馬の首を返した。
「え……えっ?」
呆然とする商人を置き去りに、野盗の集団は風のように立ち去っていった。
――その不可解な報告は、数時間後には伯爵の耳へと届けられていた。
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「大規模な野盗だと? ふざけたことを言うな!」
ヴァルデマール伯爵の怒声が、堅牢な城館の最上階にある執務室に響き渡った。
太い拳がマホガニーの机に叩きつけられ、うず高く積まれていた帳簿の束が床へと崩れ落ちる。
「我が領内の治安維持には、王国随一の私兵団が目を光らせているのだぞ!」
伯爵は顔を真っ赤にして立ち上がり、血相を変えて報告に飛び込んできた私兵団の将校を睨みつけた。
「どこから湧いて出たゴロツキかは知らんが、小一時間もあれば片付く問題ではないか!」
「そ、それが……その野盗ども、略奪行為や戦闘を行おうとしないのです」
将校は額の脂汗を拭うこともできず、震える声で報告を続ける。
「ただひたすらに主要街道を馬で走り回り、商隊の馬車を威嚇しては、我々が到着する前に煙のように逃げ去ってしまいます」
「なんだと?」
伯爵は太い眉を深くひそめた。
野盗の目的は金品の略奪であるのが普通だ。
リスクを犯して街道を荒らし回りながら、何も奪わずに逃げるなど、およそ盗賊の振る舞いとは思えない。
「連中の馬は驚くほど速く、さらに街道の抜け道や地形を熟知しているようで……我が軍の重装備では、どうしても追いつけず……」
「言い訳など聞かん!」
伯爵は将校の胸ぐらを強引に掴み上げ、威圧する。
「物流が止まればどうなるか、貴様らもわかっているだろう!」
伯爵領の莫大な資金源は、街道を通行する商人たちから巻き上げる通行税だ。
野盗が出没して街道が機能不全に陥っているという噂が広がれば、商隊は危険を避けて他の領地の迂回ルートを選んでしまう。
それはつまり、伯爵の資金ロンダリングの仕組みに重大な欠陥が生じることを意味していた。
「この特例法で守られた我が領地で、たかが野盗ごときに後れを取るなど絶対に許されん!」
伯爵は将校を乱暴に床へと突き飛ばした。
「軽騎兵の部隊をすべて街道へ回せ! 見つけ次第、一人残らず首を刎ねて晒し首にしろ!」
「は、ははっ!」
将校が逃げるように執務室から転がり出ていくと、伯爵は忌々しそうに短くなった葉巻を大理石の灰皿に押し付けた。
窓の外では、太陽が西の空へと傾き、領都の街並みに長い影を落とし始めている。
「チッ……どこかの貧乏貴族が、我が領地の富を妬んで差し向けた嫌がらせか」
伯爵は苛立たしげに首を鳴らし、再び執務机に腰を下ろした。
私兵団の力さえあれば、あのような小賢しいネズミなど数日で駆除できる。
だが、伯爵のその楽観的な見通しは、翌日になっても、さらにその翌日になっても覆されることはなかった。
数日が経過しても、街道の事態は一向に収束の気配を見せなかった。
それどころか、行商人たちの間で「ヴァルデマール伯爵領の街道は無法地帯と化している」という噂が、異常なほどの速さで広まっていた。
安全を第一とする商隊は次々と伯爵領の街道を敬遠し始め、領内を通過する物資の量は目に見えて激減した。
通行税の徴収額が大幅に減少し、伯爵の強気な領地経営に少しずつ、だが確実に綻びが見え始めていた。
「なぜだ……なぜ我が軍の精鋭たちが、たかがゴロツキの集団すら捕らえられんのだ!」
伯爵の執務室には、毎日報告に上がる将校たちへの怒声が響き続けていた。
野盗たちはまるで、伯爵軍の動きをすべて先読みしているかのようだった。
討伐隊が到着する直前に姿を消し、手薄になった別の街道に現れては威嚇だけを行って逃げ去る。
その徹底した戦闘回避とヒットアンドアウェイの戦術は、正規の軍隊よりもはるかに統制が取れていた。
「閣下……このままでは、来月分の傭兵たちへの報酬の支払いに支障をきたす恐れが……」
財務を担当する副官が、青ざめた顔で書類を差し出す。
伯爵は無言のまま書類を奪い取り、ギリッと奥歯を噛み締めた。
特例法という絶対の盾を持ちながら、有事を自力で解決できないという事実。
それは、伯爵の「法を力で捻じ伏せる」という矜持を、根底から揺るがす屈辱だ。
焦燥感が、じわりと伯爵の分厚い胸の奥に広がり始める。
その時、執務室の扉が控えめにノックされた。
「閣下、急ぎのご報告がございます」
入ってきたのは、城門の警備を担当する衛兵だった。
「次はなんだ、また野盗の報告か!」
「い、いえ、そうではございません」
衛兵は怯えたように身をすくませながら、信じられない訪問者の名を口にした。
「近隣領主の、オーリ子爵様が……突然の訪問を告げておられます」
伯爵はピクッと太い眉を動かした。
オーリ子爵。つい先日、先代が亡くなり、二十歳の若造が跡を継いだと噂で聞いたばかりの家だ。
こんな混乱の最中に、何の用だというのか。
「……面会を求めているのか?」
「はい。何やら、『善意の隣人として、急ぎお伝えしたいことがある』と……」
伯爵の顔に、不快極まりない冷笑が浮かんだ。
弱り目に祟り目か、それとも若造なりの見え透いた探り合いか。
どちらにせよ、この強大なヴァルデマール伯爵を舐めていることには変わりない。
「通せ」
伯爵は玉座のように立派な革張りの椅子に深く体を沈め、獰猛な笑みを浮かべた。
「あの若造に、大貴族の絶対的な力の差というものを教えてやろう」
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※次回、明日朝6時20分更新です




