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悪徳子爵は裁かれない  作者: 空っぽの零時
第5章:潔癖な共犯者
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第10話「切られた逃げ道」

 朝になっても、中央軍需倉庫から出た六台の荷車は倉庫へ戻らなかった。

補給大臣の机には昨夜使われた大臣印が置かれ、その縁の溝には乾いた赤い蝋が残っている。


 廊下から足音が近づき、補給省の書記官が木板を抱えて執務室へ入った。


「中央軍需倉庫の責任者と御者が、独立司法軍に拘束されました!」


 補給大臣は椅子に腰掛けたまま、印章へ指を伸ばした。


「荷はどうした」


「…すべて押収されております」


「商人は」


「従者とともに拘束されました。銀貨と、商会印の押された受領書も確保されています」


 補給大臣の指が、印章の手前で止まった。


「現場の文書に、私の署名はあるか」


「ありません。確認されたのは、搬送命令書の大臣印だけです」


 補給省では、補給大臣のほかにも複数の実務担当者が大臣印の使用を許されている。

補給大臣は立ち上がり、書記官へ背を向けた。


「声明を出せ。昨夜の搬出は、実務担当者が偽造した命令書によって行われた」


 書記官が木板へ木炭を走らせる。


「本官も印章を悪用された被害者であり、司法の捜査へ全面的に協力する。そう続けろ」


「承知いたしました」


 書記官は木板を抱え直したが、扉へ向かわなかった。


「昨日の命令控えと印章使用簿は、いかがいたしますか」


 補給大臣が振り返った。


「触るな。日次封印を破れば、不正の証拠をこちらから差し出すことになる」


----------------------------


 正午前、司法軍兵士を伴った司法書記官が補給省へ入った。

司法書記官は執務机の前まで進み、最高司法審判官の印章が押された羊皮紙を広げた。


「補給大臣。命令経路および決裁記録に対する追加捜索令状です」


 捜索対象には、昨夜の搬送命令に関係する命令控え、印章使用簿、決裁簿、例外払出しの記録だけが並んでいた。

補給大臣の私邸と過去の取引記録は、対象に含まれていない。


「逮捕令状ではないのだな」


「捜索と証拠保全のみを認める令状です」


 補給大臣の口元がわずかに上がった。


「大臣印だけでは、私の関与を証明できなかったか」


「私から申し上げられるのは、令状に記された範囲だけです」


 捜索では、令状で指定された記録だけが棚から下ろされた。

司法書記官は記録の題名と封蝋の状態を読み上げ、双方の書記官が押収目録へ署名する。

命令控えは毎日の終業時に綴じ紐を通され、補給省の印章で封じられていた。


 前日の封蝋にも、切断や加熱の跡はない。

封を切った命令控えから、遡った日付の移送命令と、同じ軍需品を民間商人へ払い出す指示が見つかった。


 印章使用簿の末尾には、大臣印を持ち出した時刻と補給大臣の署名が残されている。

決裁簿にも同じ番号の命令があり、最終承認欄には補給大臣の署名と大臣印が並んでいた。


 司法書記官は該当する羊皮紙を革筒へ収め、司法庁の封蝋を施した。


----------------------------


 三日後、補給大臣は司法庁の予備審理室へ出頭した。

長机の向こうには最高司法審判官が座り、現場で封印された搬送命令書と受領書、補給省から押収された記録を並べている。


 補給大臣の両手に、まだ手枷はなかった。


「大臣印が使われたというだけでは、貴殿の指示があったとは証明できない」


 最高司法審判官は、搬送命令書を長机へ置いた。


「ならば、部下が印章を悪用した事件だ」


 補給大臣が答えると、最高司法審判官は印章使用簿を開いた。


「この時刻に大臣印を持ち出した者として、貴殿の署名がある」


「記録も部下が偽造できる」


「その可能性は、一冊の記録だけでは否定できない」


 最高司法審判官は、決裁簿を開いた。


「ゆえに、一冊だけでは見ない」


 命令控えの移送先は、現場で見つかった搬送命令書と一致している。

軍需品を民間へ払い下げるよう命じた記録にも、受領書へ商会印を押した商会の名が記されていた。


 印章の使用時刻は、実務担当者が補給大臣から承認を受けたと証言した時刻とも重なっている。

商人が用意した銀貨の額も、民間への払下げの代価として記録された額と一致していた。


「実務担当者の証言だけなら採用しない」


 最高司法審判官は、四つの記録へ順に指を置いた。


「命令控え、印章使用簿、決裁簿、現場の受領書と代金が、その証言を補強している」


 補給大臣は椅子から立ち上がった。


「軍需品を売り払ったのではない」


 最高司法審判官は法典を開き、補給大臣へ向けた。


「続けろ」


 補給大臣は長机へ両手をつき、最高司法審判官へ身を乗り出した。


「正式な予算だけでは、地方の貴族家も商人も私兵も維持できぬ!兵が使わずに倉庫へ積んだ物資を地方へ回し、代金を次の調達へ充てる。そうして王国全体の均衡を保ってきた!」


 最高司法審判官が、革紐の挟まれた頁を指した。


「貴殿に認められているのは、軍需品を調達し、指定された部隊へ届ける権限だ」


「現場に合わせて配分を変えるのも、大臣の職務だ」


「民間商人へ売却する権限はない」


 補給大臣の指が、長机を二度叩いた。


「私を捕らえれば、これまで物資を受け取ってきた貴族や商人も調べることになるぞ」


「過去の疑惑は、別の監査で扱う」


 最高司法審判官は新たな羊皮紙を長机へ置いた。


「この令状が対象とするのは、昨夜の横流し、虚偽命令、職権濫用だけだ」


 補給大臣は何も答えなかった。


「これは有罪判決ではない」


 最高司法審判官が羊皮紙へ印章を押した。


「正式な審理を行うための逮捕令状だ」


 司法軍兵士が補給大臣の両脇へ進み出た。

補給大臣は職務から外され、両手へ鉄の手枷を掛けられた。


----------------------------


 それから四日後、拘束中の補給大臣は司法庁の取調室へ連れ出された。

司法書記官が正式な起訴状を読み上げ、その写しを長机へ置いた。


 起訴状には、過去の横流しは一件も記されていない。

記されているのは、あの夜に作られた命令と、押収された軍需品と、民間商人へ売却した事実だけだった。


「過去の取引記録は使わないのか」


 補給大臣が尋ねると、起訴状を運んだ司法書記官が首を横へ振った。


「今回の起訴には使用しません」


 補給大臣は手枷を持ち上げ、鎖の向こうにある起訴状を見下ろした。


「では、私をここまで運んだのは、あの夜に私が押した印か」


 司法書記官は返答せず、起訴状を収めた革筒へ封蝋を施す。


 補給大臣が両手を下ろすと、手枷の鎖が机の縁へ当たった。



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