第8話「補給大臣の計算」
執務机には、革表紙の帳簿が大きさを揃えて並んでいた。
印章の縁には、乾いた赤い封蝋がこびりついている。
遠くを走る荷車の振動が、窓枠を微かに揺らした。
補給大臣は、司法庁から届いた査察通知を机の中央へ置いた。
向かい側には、補給省の書記官が立っている。
補給大臣は通知の一節を指で示した。
「査察の範囲を、もう一度読み上げろ」
書記官は通知を両手で持ち上げた。
「中央軍需倉庫に保管された物資の品目と数量です」
書記官は次の行へ視線を移した。
「搬入記録、搬出記録、受領者の署名も確認対象となります」
補給大臣は椅子の背へ身を預けた。
「私邸は」
書記官は首を横へ振った。
「査察対象に含まれておりません」
補給大臣は指を一本立てた。
「契約商人の倉庫は」
書記官は通知の末尾を確認した。
「含まれておりません」
補給大臣は二本目の指を立てた。
「補給省の書簡と伝令簿は」
書記官は通知を机へ戻した。
「閲覧を認める記載はございません」
補給大臣は立てた指を下ろした。
「最高司法審判官が触れられるのは、中央軍需倉庫だけか」
書記官は頷いた。
「通知に書かれた範囲では、そのとおりです」
補給大臣は国庫の支出帳簿を開いた。
「軍靴千足の支出は」
書記官は別の帳簿を開いた。
「国庫の記録と一致しております」
補給大臣は補給省の納品帳簿へ手を移した。
「納品数は」
書記官は該当する行を指した。
「中央軍需倉庫へ千足です」
補給大臣は三冊目の帳簿を開いた。
「各部隊が受け取った数は」
書記官は声を僅かに落とした。
「合計で六百足です」
補給大臣は机の脇から木板を取り出した。
木板の上には、中央倉庫と予備倉庫の名が刻まれている。
補給大臣は中央倉庫の位置へ計算石を六つ置いた。
「残る四百足は、中央倉庫にあるべきだ」
書記官は西方の予備倉庫を示した。
「同数の軍靴を、こちらから移せます」
補給大臣は予備倉庫の位置へ計算石を四つ置いた。
「移送命令はいつ出した」
書記官は通常補給の命令簿を開いた。
「七日前です」
補給大臣は査察通知の日付を確認した。
「司法庁から通知が届く前だな」
書記官は二つの日付を並べた。
「三日前に出された通知より、四日早い命令です」
補給大臣は計算石を予備倉庫から中央倉庫へ動かした。
「ならば予定どおり移せ」
書記官は通知の一節を指した。
「中央倉庫の門は、すでに司法軍の監視下にあります」
補給大臣は計算石から指を離した。
「正規の補給業務は禁止されていない」
書記官は通常補給の命令簿を閉じた。
「搬入した日時と数量は記録されます」
補給大臣は国庫の帳簿を元の位置へ戻した。
「記録させろ。査察で数が合えば、それでよい」
扉の外から、控えめなノックが響いた。
書記官が扉を開けると、従僕が三通の書状を差し出した。
書記官は書状を受け取り、補給大臣の前へ運んだ。
補給大臣は最初の封蝋を割った。
書状には、民間倉庫も査察されるという商人の訴えが記されていた。
補給大臣は二通目の封蝋を割った。
街道を司法軍が封鎖するという報告が、羊皮紙を埋めていた。
補給大臣は最後の書状を開いた。
預けた軍需品を今夜中に処理しろと、大きな文字で記されていた。
補給大臣は三通の書状を書記官へ渡した。
「司法庁が民間倉庫を調べるという根拠は、どこにある」
書記官は一通目の書状を読み直した。
「記されておりません」
補給大臣は二通目の書状を指した。
「街道を封鎖するという根拠は」
書記官は首を横へ振った。
「こちらにもございません」
補給大臣は査察通知を指先で叩いた。
「正式な通知には、中央軍需倉庫としか書かれていない」
書記官は三通の書状を重ねた。
「商人たちは、別々に聞いた話を結び付けたようです」
補給大臣は窓の外へ顔を向けた。
「最高司法審判官の署名」
補給大臣は指を一本立てた。
「王都へ戻された司法軍」
補給大臣は二本目の指を立てた。
「街道の定期点検」
補給大臣は三本目の指を立てた。
「すべて事実だ」
書記官は査察通知と三通の書状を見比べた。
「しかし、一斉査察という事実はございません」
補給大臣は三本の指を閉じた。
「事実だけを並べ、商人たちへ存在しない査察を見せた者がいる」
書記官は返答せずに立っていた。
補給大臣は窓から視線を戻した。
「オーリ子爵が好みそうなやり方だ」
書記官は三通の書状を机へ置いた。
「…オーリ子爵が噂を流した証拠はございません」
補給大臣は短く息を吐いた。
「最高司法審判官なら、同じことを言うだろうな」
書記官は一通目の書状へ目を落とした。
「商人側へ、査察範囲を知らせますか?」
補給大臣は首を横へ振った。
「知らせたところで、私の言葉より噂を信じる」
書記官は最後の書状を指した。
「預けた荷を返すよう求めています」
補給大臣は書状の文面を見た。
「返せば、どこへ運ぶ」
書記官は答えなかった。
補給大臣は椅子から立ち上がった。
「この国の正式な予算だけで、すべての街道を守れると思うか」
書記官は補給大臣へ顔を向けた。
「いいえ」
補給大臣は壁へ掛けられた王国地図の前へ移動した。
「貴族家が私兵を出し、商人が護衛を雇い、地方の倉庫が兵糧を蓄えている」
補給大臣は街道沿いに置かれた小さな印を指でなぞった。
「彼らがいなければ、国境へ届く前に荷が消える」
書記官は机の上の帳簿を見た。
「しかし、彼らへ渡しているのは王国軍の物資です」
補給大臣は地図から指を離した。
「その物資で王国の街道を守っている」
書記官は声を低くした。
「法は、その区別を認めません」
補給大臣は書記官へ振り返った。
「法は壊れた橋を直さない。飢えた私兵へ食事も出さない」
書記官は口を閉じた。
補給大臣は机へ戻った。
「私は金を箱へ隠しているのではない」
補給大臣は商人から届いた書状を持ち上げた。
「国が見捨てた者へ、国を支える費用を回している」
書記官は査察通知へ目を向けた。
「最高司法審判官が同じ評価をするとは限りません」
補給大臣は書状を机へ戻した。
「だから、評価させる材料を残さない」
補給大臣は書記官へ倉庫責任者を呼ぶよう命じた。
しばらくして、中央軍需倉庫の責任者が執務室へ入った。
書記官は帳簿を抱え、室外へ退出した。
補給大臣は倉庫責任者へ椅子を勧めなかった。
「商人へ渡す荷は、どこにある」
倉庫責任者は両手を腹の前で重ねた。
「中央倉庫の奥にございます」
補給大臣は品目を確認した。
「中身は」
倉庫責任者は順番に答えた。
「軍靴、盾、槍穂、保存食です」
補給大臣は荷印について尋ねた。
「木箱の印は消したか」
倉庫責任者は首を横へ振った。
「商会ごとの荷印が残っています」
補給大臣は机の端を指で叩いた。
「明日の査察で見つかれば、説明できるか」
倉庫責任者は俯いた。
「…できません」
補給大臣は今夜の搬出予定を確認した。
「荷車は何台だ」
倉庫責任者は顔を上げた。
「六台です」
補給大臣は御者について尋ねた。
「いつもの者を使うのか」
倉庫責任者は首を横へ振った。
「今朝になって、全員が仕事を断りました」
補給大臣は机の上の三通の書状へ目を向けた。
「代わりは」
倉庫責任者は即座に答えた。
「臨時の御者を六人集めております」
補給大臣は西門へ続く街道を地図で確認した。
「いつもの経路は使わない」
倉庫責任者は補給大臣へ尋ねた。
「どちらへ向かわせますか?」
補給大臣は南の街道を指した。
「南部駐屯地へ緊急移送する」
倉庫責任者は地図へ目を落とした。
「引き渡し場所はどちらに?」
補給大臣は街道沿いの使われていない古い関所を指した。
「この場所で引き渡せ」
倉庫責任者は指示された場所を確認した。
「商人側の荷車へ積み替えます」
補給大臣は地図を畳んだ。
「その後の行き先は聞くな」
倉庫責任者は補給大臣へ顔を向けた。
「査察前夜の搬出は、司法軍に記録されます」
補給大臣は新しい羊皮紙を机へ広げた。
「正規の命令書を見せれば、止める理由はない」
倉庫責任者は羊皮紙の日付欄を見た。
「…いつの日付にしますか?」
補給大臣は査察通知が届く前日の日付を書き込んだ。
「この日に、南部駐屯地から緊急補給の要請を受けた」
倉庫責任者は羊皮紙に記された日付を見つめた。
「そのような要請は届いておりません」
補給大臣は移送する品目を書き加えた。
「明日の朝までには、要請の控えも帳簿へ入る」
倉庫責任者は口を閉じた。
補給大臣は移送命令の末尾に、補給省の命令番号を書き入れた。
羊皮紙の文字には、まだ濡れた光が残る。
補給大臣は赤い蝋を落とし、大臣印を押し込んだ。
倉庫責任者は完成した命令書を両手で受け取る。
補給大臣は中央軍需倉庫の方角へ顔を向けた。
「明日の朝までに、倉庫を正しい姿へ戻せ」
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