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悪徳子爵は裁かれない  作者: 空っぽの零時
第5章:潔癖な共犯者
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第7話「次の犯罪」

 荷車の車輪が、市場の石畳を絶え間なく叩いていた。

秤皿へ落ちた銅貨が跳ね、乾いた音を響かせる。

露店から漂う香辛料の匂いには、馬糞の臭気が混じっていた。


 ザックは革紐や縫い針を敷布へ並べ、その後ろに腰を下ろしていた。


 向かいの露店には、鞍や革袋が吊るされている。

その露店主が通りを渡り、ザックの前で足を止めた。


「縫い針を三本くれ」


 ザックは針を布で包んだ。


「毎度あり」


 露店主は敷布の上へ銅貨を置いた。

男の腰には、補給省への納入を許可された商人が持つ取引札が下がっている。

ザックは受け取った銅貨を革袋へ落とした。


「そういや、最高司法審判官が査察に署名したそうですね」


 露店主は針の包みへ伸ばした手を止めた。


「……何の査察だ?」


 ザックは市場の奥へ視線を向けた。


「さあ、補給省へ通知が届いたところまでは聞きましたぜ」


 露店主は声を落とした。


「どこを調べる」


 ザックは肩をすくめた。


「俺みたいな行商人には、そこまで教えてくれませんよ」


 露店主は包みを掴み、向かいの店へ戻った。

男は店番の少年へ二言三言告げると、外套を羽織った。

そのまま男は、市場の奥へ足早に消えた。


----------------------------


 半刻後、ザックは商品を行商荷へ収めた。


 次に向かったのは、商人街に近い馬具店だった。

ザックは店先に並ぶ手綱を持ち上げた。


「随分と丈夫そうですね」


 馬具店の主人が、ザックの手元へ顎を向けた。


「買うなら値を下げてやる」


 ザックは手綱を棚へ戻した。


「今はやめておきます」


 店主が眉を寄せた。


「買わないなら触るな」


 ザックは通りの向こうへ目を向けた。


「司法軍が王都へ戻っているそうですから、馬具の値が上がるかもしれませんね」


 通りの先から、武装した兵士の一団が近づいてきた。

兵士たちは馬具店の前を通り、司法庁の方角へ進んだ。

店主は軒下から身を乗り出した。


「…戦でも始まるのか?」


 ザックは行商荷を背負い直した。


「戦なら、兵を王都の外へ出すんじゃないですかねえ?」


 店主は遠ざかる兵士の列を見送った。


「なら、何のためだ?」


 ザックは店主へ背を向けた。


「それが分かれば、手綱を買うべきか決められるんですけどね」


----------------------------


 昼を過ぎる頃、ザックは北の宿場に近い宿へ入った。


 食堂には共用の長机が並んでいた。

荷主や御者たちは、空いている席へ勝手に腰を下ろしている。

ザックは荷主と御者が座る長机の端へ加わった。


「薄い麦酒を一杯」


 宿の主人は樽から麦酒を注ぎ、ザックの前へ置いた。


 向かい側の御者が空の杯を長机へ置く。


「…西門の列が長すぎる。荷を一つずつ開けて調べてやがる」


 隣に座る荷主が、干し肉を噛みながら答えた。


「今日は街道の定期点検だろう?」


 御者は空の杯を指で押した。


「毎月やっているが、今月は南門でも調べるそうだ」


 ザックは麦酒の泡へ口を付けた。


「北の街道も、明日から点検だそうですよ」


 御者がザックへ顔を向けた。


「本当か?」


 ザックは杯を置いた。


「北の宿場に、点検を知らせる木札が出ていました」


 荷主がザックへ尋ねた。


「何を調べると書いてあった」


 ザックは指を一本ずつ立てた。


「荷札と、通行許可証です」


 御者は腕を組んだ。


「いつもの点検と同じか」


 ザックは頷いた。


「木札に書かれてあったのは、それだけですね」


 荷主は干し肉を皿へ戻した。


「だが、司法軍が王都へ戻っている…」


 御者が声を落とした。


「…最高司法審判官も、補給省の査察へ署名したそうだ」


 ザックは軽く肩をすくめた。


「三つとも別の話でしょう」


 荷主はザックを見据えた。


「別々の話が、都合よく同じ日に重なるものか?」


 荷主は椅子を引き、宿の入口に立つ従者を手招きした。


「商会へ戻れ」


 従者が荷主の前まで駆け寄った。


「旦那様には何と伝えますか」


 荷主は声を落とさなかった。


「今夜出す予定の荷を止めろ」


 従者は一礼し、宿を飛び出した。


 宿の主人が、木杯を拭く手を止めた。


「補給省だけでなく、民間の倉庫まで調べるのか?」


 荷主は宿の主人へ顔を向けた。


「街道まで押さえるなら、そのつもりだろう」


 御者は空の杯を宿の主人へ押し返した。


「俺は今夜、持ち主の分からない荷なんぞ運ばないぞ」


 宿の主人は新しい麦酒を注がなかった。


 ザックは麦酒の代金を長机へ置いた。

出口へ向かうザックを、宿の主人が呼び止めた。


「本当に北の街道も調べるんだな」


 ザックは入口で振り返った。


「定期点検ですけどね」


 宿の主人は布巾を樽の上へ置いた。


「定期だろうが、荷を調べられることに変わりはない」

----------------------------


 翌朝には、噂から定期点検という言葉が消えていた。

荷車を倉庫へ戻す商人がいた。

普段どおり露店を開く商人もいた。


 馬貸しは、荷馬車と馬の貸し賃を昨日の倍へ引き上げた。

酒場では、司法軍が王都中の倉庫へ入るという話が交わされていた。

昼前には、補給大臣の私邸まで捜索されるという話へ膨らんだ。


 ザックは飼料市場に並ぶ空の籠の前で足を止めた。


「今日は随分と売れたみたいですね」


 飼料商は銅貨を数えながら答えた。


「朝一番に、仲介人が大麦をまとめて買っていったんだ」


 ザックは空の籠を指した。


「荷馬車何台分です?」


 飼料商は銅貨を布袋へ流し込んだ。


「十二台分だ」


 ザックは飼料商へもう一つ尋ねた。


「買ったのは、いつもの商会ですか?」


 飼料商は首を横へ振った。


「見ない顔の仲介人だった」


 ザックは市場を離れ、御者たちが集まる酒場へ向かった。

酒場の入口には、仕事を知らせる木札が並んでいる。

その中へ、夜間の臨時仕事を示す木札が六枚加わっていた。


 報酬は通常の二倍だった。


 行き先の欄には何も書かれていない。

ザックが木札を見ていると、薪を抱えた少年が隣へ並んだ。


 少年は市場でザックの連絡役を務めていた。


「司法軍へ知らせますか」


 ザックは木札から目を離さなかった。


「知らせない」


 少年は声を落とした。


「飼料と御者が集められています」


 ザックは六枚の木札を順に見た。


「分かっているのは、それだけだ」


 少年はザックへ顔を向けた。


「今夜、荷が動くかもしれません」


 ザックは軽い口調を消した。


「まだ何も動いていない」


 少年は抱えた薪へ視線を落とした。


「オーリ家には」


 ザックは少年の言葉を遮った。


「一文字も送るな」


 少年は口を閉じた。

ザックは行き先のない木札を指した。


「俺たちが見つけたのは、飼料と仕事を探す御者だけだ」


 ザックはその指を下ろした。


「荷の中身も、命令した者も分からない」


 少年は小さく頷いた。

ザックは少年へ顔を向けた。


「俺たちの仕事は、噂を市場へ流すところまでだ」


 少年が尋ねた。


「犯罪を見つけるのは誰ですか?」


 ザックは足を止めずに答えた。


「司法軍だ」



----------------------------


 査察前日の夕刻には、商人街から補給省へ向かう使者が増えていた。

取引の延期を求める書状が運ばれた。

預けた荷の返却を求める商人もいた。


 日が傾く頃、豪華な外套を着た商人が商館から姿を現した。


 商人は一通の書状を従者へ押し付けた。


「補給省へ行け」


 従者は書状を両手で受け取った。


「何とお伝えしますか?」


 商人は補給省の方角へ顎を向けた。


「預けてある荷を、今夜中に処理するよう伝えろ」


 従者が商人へ尋ねた。


「…どちらへ移すのでしょうか?」


 商人は従者の背中を押した。


「それを決めるのは補給大臣だ」


 従者は書状を懐へ入れ、補給省へ向かって走り出した。


 ザックは露店の陰から、その背中を見送った。

補給省の門が開き、使者の姿を呑み込んだ。


「さあ、ご主人サマ」


 ザックは行商荷を担ぎ直した。


「次に罪を選ぶのは、あちらさんだ」




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