第7話「次の犯罪」
荷車の車輪が、市場の石畳を絶え間なく叩いていた。
秤皿へ落ちた銅貨が跳ね、乾いた音を響かせる。
露店から漂う香辛料の匂いには、馬糞の臭気が混じっていた。
ザックは革紐や縫い針を敷布へ並べ、その後ろに腰を下ろしていた。
向かいの露店には、鞍や革袋が吊るされている。
その露店主が通りを渡り、ザックの前で足を止めた。
「縫い針を三本くれ」
ザックは針を布で包んだ。
「毎度あり」
露店主は敷布の上へ銅貨を置いた。
男の腰には、補給省への納入を許可された商人が持つ取引札が下がっている。
ザックは受け取った銅貨を革袋へ落とした。
「そういや、最高司法審判官が査察に署名したそうですね」
露店主は針の包みへ伸ばした手を止めた。
「……何の査察だ?」
ザックは市場の奥へ視線を向けた。
「さあ、補給省へ通知が届いたところまでは聞きましたぜ」
露店主は声を落とした。
「どこを調べる」
ザックは肩をすくめた。
「俺みたいな行商人には、そこまで教えてくれませんよ」
露店主は包みを掴み、向かいの店へ戻った。
男は店番の少年へ二言三言告げると、外套を羽織った。
そのまま男は、市場の奥へ足早に消えた。
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半刻後、ザックは商品を行商荷へ収めた。
次に向かったのは、商人街に近い馬具店だった。
ザックは店先に並ぶ手綱を持ち上げた。
「随分と丈夫そうですね」
馬具店の主人が、ザックの手元へ顎を向けた。
「買うなら値を下げてやる」
ザックは手綱を棚へ戻した。
「今はやめておきます」
店主が眉を寄せた。
「買わないなら触るな」
ザックは通りの向こうへ目を向けた。
「司法軍が王都へ戻っているそうですから、馬具の値が上がるかもしれませんね」
通りの先から、武装した兵士の一団が近づいてきた。
兵士たちは馬具店の前を通り、司法庁の方角へ進んだ。
店主は軒下から身を乗り出した。
「…戦でも始まるのか?」
ザックは行商荷を背負い直した。
「戦なら、兵を王都の外へ出すんじゃないですかねえ?」
店主は遠ざかる兵士の列を見送った。
「なら、何のためだ?」
ザックは店主へ背を向けた。
「それが分かれば、手綱を買うべきか決められるんですけどね」
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昼を過ぎる頃、ザックは北の宿場に近い宿へ入った。
食堂には共用の長机が並んでいた。
荷主や御者たちは、空いている席へ勝手に腰を下ろしている。
ザックは荷主と御者が座る長机の端へ加わった。
「薄い麦酒を一杯」
宿の主人は樽から麦酒を注ぎ、ザックの前へ置いた。
向かい側の御者が空の杯を長机へ置く。
「…西門の列が長すぎる。荷を一つずつ開けて調べてやがる」
隣に座る荷主が、干し肉を噛みながら答えた。
「今日は街道の定期点検だろう?」
御者は空の杯を指で押した。
「毎月やっているが、今月は南門でも調べるそうだ」
ザックは麦酒の泡へ口を付けた。
「北の街道も、明日から点検だそうですよ」
御者がザックへ顔を向けた。
「本当か?」
ザックは杯を置いた。
「北の宿場に、点検を知らせる木札が出ていました」
荷主がザックへ尋ねた。
「何を調べると書いてあった」
ザックは指を一本ずつ立てた。
「荷札と、通行許可証です」
御者は腕を組んだ。
「いつもの点検と同じか」
ザックは頷いた。
「木札に書かれてあったのは、それだけですね」
荷主は干し肉を皿へ戻した。
「だが、司法軍が王都へ戻っている…」
御者が声を落とした。
「…最高司法審判官も、補給省の査察へ署名したそうだ」
ザックは軽く肩をすくめた。
「三つとも別の話でしょう」
荷主はザックを見据えた。
「別々の話が、都合よく同じ日に重なるものか?」
荷主は椅子を引き、宿の入口に立つ従者を手招きした。
「商会へ戻れ」
従者が荷主の前まで駆け寄った。
「旦那様には何と伝えますか」
荷主は声を落とさなかった。
「今夜出す予定の荷を止めろ」
従者は一礼し、宿を飛び出した。
宿の主人が、木杯を拭く手を止めた。
「補給省だけでなく、民間の倉庫まで調べるのか?」
荷主は宿の主人へ顔を向けた。
「街道まで押さえるなら、そのつもりだろう」
御者は空の杯を宿の主人へ押し返した。
「俺は今夜、持ち主の分からない荷なんぞ運ばないぞ」
宿の主人は新しい麦酒を注がなかった。
ザックは麦酒の代金を長机へ置いた。
出口へ向かうザックを、宿の主人が呼び止めた。
「本当に北の街道も調べるんだな」
ザックは入口で振り返った。
「定期点検ですけどね」
宿の主人は布巾を樽の上へ置いた。
「定期だろうが、荷を調べられることに変わりはない」
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翌朝には、噂から定期点検という言葉が消えていた。
荷車を倉庫へ戻す商人がいた。
普段どおり露店を開く商人もいた。
馬貸しは、荷馬車と馬の貸し賃を昨日の倍へ引き上げた。
酒場では、司法軍が王都中の倉庫へ入るという話が交わされていた。
昼前には、補給大臣の私邸まで捜索されるという話へ膨らんだ。
ザックは飼料市場に並ぶ空の籠の前で足を止めた。
「今日は随分と売れたみたいですね」
飼料商は銅貨を数えながら答えた。
「朝一番に、仲介人が大麦をまとめて買っていったんだ」
ザックは空の籠を指した。
「荷馬車何台分です?」
飼料商は銅貨を布袋へ流し込んだ。
「十二台分だ」
ザックは飼料商へもう一つ尋ねた。
「買ったのは、いつもの商会ですか?」
飼料商は首を横へ振った。
「見ない顔の仲介人だった」
ザックは市場を離れ、御者たちが集まる酒場へ向かった。
酒場の入口には、仕事を知らせる木札が並んでいる。
その中へ、夜間の臨時仕事を示す木札が六枚加わっていた。
報酬は通常の二倍だった。
行き先の欄には何も書かれていない。
ザックが木札を見ていると、薪を抱えた少年が隣へ並んだ。
少年は市場でザックの連絡役を務めていた。
「司法軍へ知らせますか」
ザックは木札から目を離さなかった。
「知らせない」
少年は声を落とした。
「飼料と御者が集められています」
ザックは六枚の木札を順に見た。
「分かっているのは、それだけだ」
少年はザックへ顔を向けた。
「今夜、荷が動くかもしれません」
ザックは軽い口調を消した。
「まだ何も動いていない」
少年は抱えた薪へ視線を落とした。
「オーリ家には」
ザックは少年の言葉を遮った。
「一文字も送るな」
少年は口を閉じた。
ザックは行き先のない木札を指した。
「俺たちが見つけたのは、飼料と仕事を探す御者だけだ」
ザックはその指を下ろした。
「荷の中身も、命令した者も分からない」
少年は小さく頷いた。
ザックは少年へ顔を向けた。
「俺たちの仕事は、噂を市場へ流すところまでだ」
少年が尋ねた。
「犯罪を見つけるのは誰ですか?」
ザックは足を止めずに答えた。
「司法軍だ」
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査察前日の夕刻には、商人街から補給省へ向かう使者が増えていた。
取引の延期を求める書状が運ばれた。
預けた荷の返却を求める商人もいた。
日が傾く頃、豪華な外套を着た商人が商館から姿を現した。
商人は一通の書状を従者へ押し付けた。
「補給省へ行け」
従者は書状を両手で受け取った。
「何とお伝えしますか?」
商人は補給省の方角へ顎を向けた。
「預けてある荷を、今夜中に処理するよう伝えろ」
従者が商人へ尋ねた。
「…どちらへ移すのでしょうか?」
商人は従者の背中を押した。
「それを決めるのは補給大臣だ」
従者は書状を懐へ入れ、補給省へ向かって走り出した。
ザックは露店の陰から、その背中を見送った。
補給省の門が開き、使者の姿を呑み込んだ。
「さあ、ご主人サマ」
ザックは行商荷を担ぎ直した。
「次に罪を選ぶのは、あちらさんだ」
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