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悪徳子爵は裁かれない  作者: 空っぽの零時
第5章:潔癖な共犯者
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第6話「潔癖な拒絶」

 査閲室の長机には、赤い訂正線を引かれた羊皮紙が広げられていた。

その隣には令状となる羊皮紙が置かれている。

末尾の封蝋だけが、まだ空白だった。


 廊下から重い軍靴の音が近づく。

扉が開き、将軍が室内へ入った。


「待たせたな」


「予定より半刻早い」


 最高司法審判官は顔を上げず、赤い線をもう一本加えた。


「早く来ても令状の範囲は広がらんぞ」


「まだ何も言っていないだろう」


「君が提出した申立書が、代わりに騒いでいる」


 最高司法審判官は羊皮紙の端を指で押さえた。


 補給大臣の私邸。

契約商人が所有する倉庫。

両者の往復書簡と伝令簿。


 赤い線は、そのすべてを横切っていた。


「私邸の捜索は認めない」


「補給大臣が証拠を隠す場所として、最も疑わしい」


「疑いだけでは扉を開けられん」


「では、契約商人の倉庫はどうだ」


「軍へ納品された物資が保管されている証拠がない」


「書簡を押さえれば繋がりが出る」


「犯罪に関わる書簡が存在する証拠を出せ」


 将軍は長机へ拳を落とした。

鈍い音が、査閲室の石壁に反響する。


「…それを探すための捜索だろう」


「犯罪を探すために他人の生活を暴く権限など、司法にはない」


 最高司法審判官は三本の赤線を指先でなぞった。


「犯罪を示す証拠が先だ」


「証拠を隠された後では遅い」


「隠すなら、その行為を証拠にしろ」


 赤い筆が、インク壺の縁へ置かれた。


「まだ起きていない犯罪で令状は出せない」


 将軍は椅子を引いたが、腰を下ろさなかった。

その正面で、エマが別の羊皮紙を長机へ差し出す。


「こちらは、独立司法軍から提出された査察申請書です。私は法務補佐官として、資料の照合と申請書の作成を担当しました」


 赤い線のない羊皮紙だった。

申請対象には、中央軍需倉庫とだけ記されている。


「申請理由を」


「国庫支出記録と補給省納品記録では、軍靴千足が中央軍需倉庫へ納められています」


 エマは三枚の記録を順に並べた。


「しかし軍の受領記録にある数量は六百足です」


「残る四百足の所在は」


「公的記録では確認できません」


「推測は」


「申請理由には含めておりません」


 エマは品目ごとの数量差をまとめた羊皮紙を開いた。


「盾、槍穂、保存食にも同様の差が存在します」


「照合に用いた記録は」


「国庫の支出記録、補給省の納品記録、各部隊の受領記録です」


「原本の所在は確認したか」


「はい、すべて官署内に保管されています」


 最高司法審判官は将軍へ視線を向けた。


「不足報告書の署名は君のものだな」


「俺のものだ」


「現場で確認したのか」


「各部隊の受領担当を集めて確認させた」


「数字に誤りがあれば」


「俺が責任を負う」


 最高司法審判官は不足報告書を申請書の隣へ置いた。


「申請人はオーリ子爵ではないな」


「俺だ」


 将軍は申請書の末尾を示した。


「不足報告へ署名した独立司法軍の指揮官として、俺が申請した」


「オーリ子爵は」


 エマが答える。


「公的記録の照合に協力した資料提供者であり、本日は立会人です」


 長机の端に設けられた立会人席で、ルシアンが僅かに頭を下げた。


 最高司法審判官は令状となる羊皮紙を手元へ寄せた。


「中央軍需倉庫内の物資確認を認める」


 将軍の拳が長机から離れる。


「倉庫内に保管された品目と数量の照合を許可する」


 最高司法審判官は令状へ一行を書き加えた。


「搬入記録、搬出記録、受領者の署名も確認対象とする」


「契約商人への搬出が見つかった場合は」


「記録に残せ」


「追うことは」


「許可しない」


 将軍の眉間に深い皺が刻まれた。


「…倉庫から証拠が運び出されるのを見送れと言うのか」


「通知が届いた時点で、倉庫の門を司法軍の監視下に置く」


 最高司法審判官は別の命令書を取り出した。


「査察開始までの出入りは、司法軍がすべて記録する」


「運び出した荷は」


「品目、数量、運搬先、命令者を記録する」


「止めないのか」


「現行の補給業務まで止めれば、兵が飢える」


 最高司法審判官の筆先が命令書を進んだ。


「監視を妨げる者がいれば、その場で拘束せよ」


「倉庫以外へ運び出された後は」


「追跡のみ許可する」


「踏み込むことは」


「新たな証拠を添えて、改めて令状を申請しろ」


 将軍は椅子へ腰を下ろした。

背もたれが短く軋む。


「……随分と親切な査察だな」


「何がだ」


「三日前に知らせてやるのだろう」


「法定の事前通知だ」


「相手は補給大臣だぞ」


「だから何だ」


「隠す時間を与えることになる」


「法に従う時間を与える」


 最高司法審判官は通知書へ査察開始日を記した。


「その時間を何に使うかは、補給大臣が選ぶ」


 将軍は通知書を睨んだまま、口を閉じた。


 最高司法審判官の視線が立会人席へ移る。


「オーリ子爵」


「はい」


「君は、この範囲で足りると言ったな」


「申し上げました」


「補給大臣の私邸も、商人の倉庫も調べられない」


「承知しております」


「往復書簡も押さえられない」


「問題ございません」


「なぜ足りる」


 ルシアンは両手を膝の上で組んだ。


「中央軍需倉庫に存在するはずの物資を確認できます」


「それだけか」


「公式に申し上げられるのは、それだけです」


「公式でなければ、何を言える」


「司法記録に残せないことを、この場で申し上げるつもりはございません」


 最高司法審判官はルシアンを見たまま筆を置いた。


 室内に、壁時計の振り子だけが響く。


「ならば、君の予測は判断材料にしない」


「当然です」


「査察現場への立ち入りも認めない」


「承知いたしました」


「エマ法務補佐官も同様だ」


 エマが申請書を揃え直す。


「異議はございません」


「オーリ家の使用人、密偵、雇用人も倉庫へ近づけるな」


「全員へ徹底いたします」


 最高司法審判官は将軍へ令状を向けた。


「査察には司法書記官と司法軍だけを入れる」


「俺は」


「現場指揮官として同行を許可する」


「なら十分だ」


「令状の一行たりとも越えるな」


 将軍は羊皮紙へ目を落とした。

許可された場所は中央軍需倉庫のみだった。

確認できるのは物資と記録だけだった。


「私邸へ続く荷馬車を見つけても、踏み込むな」


「分かっている」


「商人の倉庫へ入ってもならん」


「聞こえている」


「兵に壁を壊させるな」


「俺を何だと思っている」


「扉が開かなければ壁を壊す男だと思っている」


 将軍の口元が僅かに歪んだ。


「…令状に扉を開けてよいと書いてあるならな」


「中央軍需倉庫の扉に限る」


「それでいい」


 最高司法審判官は令状の末尾へ署名した。

熱した蝋が落とされ、司法庁の印章が押し込まれる。

小さな合法的査察が、その形を得た。


 通知書は、その日のうちに補給大臣官邸へ届けられた。


----------------------------


 日が傾く頃、通知を届けた司法書記官が審査室へ戻った。


「受領者は」


「補給大臣本人です」


「拒絶は」


「ありませんでした」


 書記官は受領証を長机へ置いた。


「通知の内容を確認した際、何か変わった様子はあったか」


「査察開始日の箇所で、指が止まりました」


「どの程度だ」


「一呼吸ほどです」


「それ以外は」


「何も」


 最高司法審判官は受領証を令状の控えへ重ねた。


「これで相手にも三日が与えられた」


 窓際に立つ将軍が腕を組む。


「…証拠を隠すための三日だ」


「違う」


 最高司法審判官は二枚の羊皮紙を紐で綴じた。


「法に従うための三日だ」


 机上の通知控えには、査察開始まで残り三日と記されていた。



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