表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪徳子爵は裁かれない  作者: 空っぽの零時
第5章:潔癖な共犯者
PR
56/62

第5話「証拠にならない真実」

 オーリ邸の書庫には、二つの机が離して置かれていた。

片方には公的な受領書と帳簿が積まれ、もう片方には口を閉じた革袋だけが載っている。


 エマは燃え残った蝋燭の芯を切り、指先へ付いた煤を布で拭った。

机上では、ギルバートが動かす計算石が小さな音を立てている。


「その袋は、まだ開けないのですか?」


 ギルバートが尋ねた。


「すでに内容は確認しました」


「では、なぜ残しているのです?」


「公式記録と混ざっていないことを、最後にもう一度確かめるためです」


 革袋には細い紐が巻かれ、木札が結び付けられている。


『非公式取得資料――提出禁止』


 中に入っているのは、クロエが商会から持ち出した油染みの地図だった。

荷印、日付、使われた門、御者の特徴が、狭い余白へ書き込まれている。


 地図の情報が正しければ、軍需品は中央軍需倉庫から特定の商会へ流れている。

次の搬出も、数日以内に行われる可能性があった。


「地図を申請書へ添付すれば、倉庫だけでなく商会も調べられます」


 ギルバートが革袋へ視線を向けた。


「添付した時点で、申請全体が汚れます」


「クロエさんの証言では足りませんか」


「彼女が確認したのは、商会へ補給省の役人が出入りしていたことです。荷車の中身も、補給大臣の命令も直接見ていません」


「荷印と出発時刻は一致しているのでしょう?」


「私たちには、それが分かります」


 エマは公式記録が置かれた机へ向き直った。


「法廷には分かりません」


 最初に開いたのは、国庫の支出帳簿だった。

独立司法軍へ支給する軍靴として、千足分の代金が支払われている。

支出欄には国庫の印があり、補給省の受領欄にも不備はない。


 次に、補給省の納品記録を開く。

契約商人から中央軍需倉庫へ、軍靴千足が納められている。

商会の署名と商会印、倉庫の受領印が順に並んでいた。


 最後は、独立司法軍が保管する内部の受領帳簿だった。


「六百足」


 ギルバートが数字を読み上げた。


「はい」


「差は四百足です」


 エマは三つの記録の日付を同じ位置へ揃えた。


 補給省側には、千足すべてを独立司法軍へ引き渡したとする受領書も残されている。

その受領書には、現物の到着前に倉庫番が押した軍の受領印があった。


 一方で、部隊側の内部帳簿には実際に受け取った六百足しか記録されていない。

受け取りへ立ち会った兵士三名の署名も添えられている。


「つまり、補給省の記録だけなら全量納品。司法軍の内部記録なら四百足が不足」


「どちらも公的な記録です」


「受領印を押した倉庫番へ責任を負わせて終わる可能性は?」


「あります」


「補給省は、部隊内で紛失したと主張できますね」


「はい」


 エマは不足した四百足を、新しい羊皮紙へ記入した。

その横に、三つの記録の名称と保管場所だけを書き添える。


 革袋の中にある荷印も商会名も、書き写さない。

クロエの名も、地図が示す西門も記載しなかった。


「次は保存食です」


 記録の照合は、昼を過ぎても終わらなかった。


 国庫の支出額と補給省の納品量は一致している。

だが、独立司法軍の食料庫へ届いた小麦と塩漬け肉は記録より少ない。


 盾にも同じ差があった。

槍穂にも、修繕用の革にも不足が続いている。


「一度なら記載ミスで通ります」


 ギルバートは計算石を一つ動かした。


「二度なら、異なる倉庫での紛失もあり得ます」


 さらに二つの石が動く。


「半年間、複数の品目で、支出と実物の差が同じ方向へ積み上がっています。偶然で説明するには、随分と都合のよい数字です」


「その推測は申請書には使えません」


 エマは、ギルバートが並べた計算石へ目を落とした。


「確認できた数量差だけを記載します」


「承知しました。では、品目ごとの支出額と納品量、実際の受領量を木板へ整理します」


 ギルバートは計算結果を木板へ書き写した。

エマは数字を三つの公的記録と照合し、査察申請書へ添付する羊皮紙へまとめた。


----------------------------


 夕刻になると、ルシアンが書庫へ入ってきた。


「進み具合は」


「中央軍需倉庫への査察を求める根拠は整いました」


 エマは完成した数量差の一覧を差し出した。


「ただし、補給大臣の私邸と契約商人の倉庫を捜索するには足りません」


「申請する必要はないよ」


「地図の情報が正しければ、商会へ物資が運ばれています」


「その地図は、司法にとって存在しないのだろう?」


「はい」


「ならば、存在しない地図を根拠に扉を開けさせることはできない」


 ルシアンは数量差の一覧へ目を落とした。


「中央軍需倉庫だけを対象にしよう。在庫の確認と、搬出記録の照合を求める」


「補給大臣が事前に物資を移した場合は」


「移す前の在庫は戻らない。だが、移した事実が新しい記録を残すかもしれない」


「査察が認められても、補給大臣へ事前通知が行われます」


「それで構わない」


 エマの手が、申請書の上で止まった。


「通知を受ければ、証拠を隠します」


「まだ起きていない隠蔽を、今の申請書へ書けるかい」


「書けません」


「では、今ある事実だけで申請しよう」


 エマは用意していた私邸捜索の草稿を脇へ退けた。

続いて、契約商人の私有倉庫に関する項目も申請書から外す。


「中央軍需倉庫の在庫照合。搬入と搬出の記録確認。査察開始までの現状保全」


「その三つだ」


「範囲が狭すぎます」


「広く求めれば、すべて却下される」


 ルシアンは別の机に置かれた革袋へ視線を向けた。


「地図には、次の荷が四日以内に動くとあったね」


「はい」


「申請書には」


「記載しておりません」


「西門のことは」


「記載しておりません」


「商会名は」


「一文字も」


 ルシアンは小さく頷いた。


「それでいい」


 エマは革袋の紐を解き、油染みの地図を取り出した。


「赤い角は保存食。白い三本線は軍靴。補給省の役人が商会を訪れたあと、荷が動いています」


「日付の間隔は」


「最短で三日。長くて六日です」


「次の正確な日時は分からない」


「分かりません」


「経路も変更される可能性がある」


「はい」


「ならば、私たちが知っているのは周期だけだね」


 ルシアンは地図へ手を触れなかった。


「処分してくれ」


「よろしいのですか?」


「司法へ出せず、持っていること自体がクロエへつながる。残す理由はないよ」


 エマは地図を火鉢へ入れた。


 油を吸った羊皮紙の端へ火が移り、荷印と経路が黒く縮れていく。

最後に残った西門の線も、灰の中へ崩れ落ちた。


----------------------------


 翌朝、正式な査察申請書が完成した。


 添付されたのは、国庫の支出記録。

補給省の納品記録。

独立司法軍の内部受領帳簿。

将軍の署名が入った不足報告。


 クロエの地図はない。

ギャレットの名も、暗部が得た予測も、一文字として含まれていなかった。


「虚偽はありません」


 エマが完成した申請書をルシアンへ差し出した。


「記載していないことは」


「多くあります」


「それも虚偽ではない」


「はい、閣下」


 ルシアンは申請書の末尾へ署名した。

オーリ子爵家の印章は使わず、情報提供者としての署名だけを残す。


「申請者は将軍閣下であり、私たちは公式記録を整理しただけだ」


「最高司法審判官が、そう受け取るでしょうか」


「受け取り方まで指定する権利はないよ」


----------------------------


 数日後、査察申請の審査が法庁舎で始まった。


 審査室には、エマと将軍が立ち会っている。

最高司法審判官は申請書と、将軍が以前提出した広範な捜索要請を並べた。


 補給大臣の私邸。

契約商人の私有倉庫。

関係するすべての帳簿と荷車。


 最高司法審判官は赤い筆を取り、広範な捜索要請の最初の項目へ線を引いた。


『私邸捜索――却下』



ここまでお読み頂きありがとうございます!


「面白い」「次話も読みたい」と思って頂きましたら、


・画面下部の「☆設定」(ポイント)

・画面下部の「リアクション」

・ブックマークへの追加


ぜひ!どうか!なにとぞ!ご支援よろしくお願いいたしますm(_ _m)

※毎日朝6時20分に更新です

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ