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悪徳子爵は裁かれない  作者: 空っぽの零時
第5章:潔癖な共犯者
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第3話「盤上の贈り物」

 細身の刃が、独立司法の封蝋を縦に割った。

窓を打つ風は、朝から同じ間隔で硝子を鳴らしている。


 ルシアンは封書から質問状を抜き、最初の一行へ目を落とした。

傍らでは、セレナが音を立てずに紅茶を注いでいる。


「…今度は何を疑われているのですか?」


 エマが、机を挟んだ向かい側から尋ねた。


「前半は鉱山だ。武装集団の氏名、移動先、退去前後の負傷者について回答を求められている」


「新たに提出できるものはございません」


「ないものは出せない。それで構わないよ」


 ルシアンは質問状の末尾を指で押さえた。


「問題は、こちらだね」


 ギルバートが横から文面を確認する。


「公的記録上は納品済みでありながら、受領先では不足している物資について、責任者を推測せず、立証可能な事実へ到達する手段を回答せよ」


「鉱山監査の質問ではございませんね」


「独立司法軍の補給に、穴が空いているらしい」


 ルシアンが質問状を置くと、玄関側から扉を叩く音が届いた。


 ほどなくして、最高司法審判官と独立司法軍の将軍が執務室へ案内された。

将軍は勧められた椅子へ座らず、机上の質問状を一度見ただけでルシアンへ向き直る。


「子爵。先に言っておく」


「何でしょう」


「役に立たない話へ付き合う時間はない」


「では、役に立つかどうかだけをお確かめください」


 将軍の眉間に皺が刻まれた。

最高司法審判官は二人の間に言葉を挟まず、持参した記録を机へ並べる。


 国庫の支出記録。

補給省の納品記録。

独立司法軍の不足報告。


「国庫からは、指定された金額が支払われている」


 最高司法審判官が最初の記録を示した。


「補給省の記録では、軍需品は中央軍需倉庫へ全量納品されたことになっている」


 指先が、二つ目の記録へ移る。


「だが、部隊へ届いた物資は大きく不足している」


「先月だけで盾が五十枚、槍穂が百、軍靴が三百足です」


 将軍が不足品を読み上げた。


「保存食は六日で尽きる。今朝は壊れた盾で兵が怪我をした」


 ルシアンは三つの記録を順に見た。


「中央軍需倉庫の受領数は」


「補給省の納品数と一致している」


「独立司法軍へ搬出した記録は」


「必要数を送り出したことになっている」


「部隊側の受領印もございますね」


 エマが記録の末尾を指した。


「現物を確認せず、倉庫番が押している」


 将軍の声が低くなった。


「補給省の役人から、先に処理しなければ次の支給を遅らせると言われたそうだ」


「その役人の氏名は」


「分からん。口頭の命令で、証人もいない」


「補給大臣への接続は」


「まだない」


 最高司法審判官が答えた。


「だから、私邸と契約商人の私有倉庫に対する捜索を却下した」


「不足は続いている」


 将軍の手が机の縁を掴んだ。


「子爵。お前なら、どこを捜す」


「どこも捜しません」


 将軍の指が止まった。


「……もう一度言ってみろ」


「過去に消えた物資を探すための捜索は行わない、と申し上げました」


「では、空の武器庫を眺めていろと?」


「過去の物資は、すでに別の倉庫へ移されたか、売却された後でしょう。今から探しても、補給大臣へつながる形で残っている可能性は低い」


「諦めろと言うのか」


「次に消える物資を押さえます」


 将軍は椅子を引き、ようやく腰を下ろした。


「続けろ」


「公式記録が整っているなら、補給大臣は今までと同じ仕組みを使い続けます。横流しを止めれば、物資を受け取っていた商人や貴族家との関係が崩れるからです」


「補給大臣が関与していると断定する根拠はない」


 最高司法審判官が告げた。


「断定はしておりません。補給大臣が無関係なら、調査によってそれが明らかになるだけです」


「次の犯罪が、いつ起きるか分かるのか」


「いいえ」


「場所は」


「まだ分かりません」


 将軍の口元が硬くなった。


「分からないことばかりだな」


「ですから、十日いただきたい」


「十日も、兵に今の配給を続けろと?」


「十日で犯人を捕らえられるとは申し上げておりません。次に物資が消える条件を探します」


「その間の食料はどうする」


 ルシアンはギルバートへ視線を向けた。


「ギルバート。保存食、軍靴、盾の修繕材について、王都周辺の相場と納期を調べてくれ」


「供給可能な商会も確認いたしますか」


「頼む。ただし、独立司法軍との契約交渉は行わないように」


「承知しました、旦那様」


 将軍がルシアンへ目を戻した。


「私財で物資を寄越す気か」


「そのつもりはありません」


「…どういうことだ」


「一度の不足を埋めるために私が軍需品を贈れば、次から独立司法軍は補給省ではなく私の財布を見ることになる」


 将軍は組んでいた腕を解いた。


「軍を買う気はない、と」


「将軍閣下の兵は、正規の予算と契約で養われるべきです。回収後に必要な再調達の準備だけを進めます」


「回収できる前提で話すのだな」


「では、回収できた時に慌てないための調査、と言い換えましょう」


 最高司法審判官が、記録を一つにまとめた。


「オーリ子爵。情報を得たとしても、それだけで令状は出さない」


「承知しております」


「出所を明かせない情報は、令状申請へ使わせない」


「はい」


「君が司法軍へ物資の取引先を紹介しても、捜査上の便宜は与えない」


「求めておりません」


「補給大臣を失脚させれば、貴族派の補給網も傷つく可能性がある」


 最高司法審判官の言葉に、将軍の視線がルシアンへ向いた。


「…それが狙いか」


「狙いの一つです」


 ルシアンは否定しなかった。


「貴族派との対立が武力へ移った時、法を執行する軍が空腹で動けないのでは困ります」


「私の兵を、お前の盾にするつもりか」


「いいえ。必要な時に、法の命令どおり動ける軍へ戻したいだけです」


「その法がお前を捕らえろと命じてもか」


「もちろんです」


 将軍は椅子の背に身体を預けた。

最高司法審判官はルシアンから視線を外さず、机上の記録を革の書類入れへ収める。


「十日後、立証可能な事実への道だけを示せ」


「違法な証拠を持ち込んだ場合は?」


 ルシアンが尋ねた。


「採用しない。必要であれば、取得した者を調べる」


「承知いたしました」


「……ルシアン」


 最高司法審判官は、初めて爵位ではなく名を呼んだ。


「法の外で得た答えを、法の内側へ持ち込むな」


「その境界を守るのは、あなたの役目です」


「君の役目でもある」


 短い沈黙のあと、最高司法審判官が席を立った。

将軍も立ち上がり、扉の前でルシアンを振り返る。


「…十日だ」


「承知しております」


「兵士を囮に使ったと分かれば、補給大臣より先にお前を止める」


「その必要がない方法を選びます」


 二人が退出すると、執務室には窓を打つ風の音が戻った。


----------------------------


 ルシアンは補給省の納品記録を閉じた。

それから、扉の傍らに控えていたセレナへ顔を向ける。


「セレナ。ギャレットとクロエへ、私の言葉を伝えてほしい」


「はい、旦那様」


「補給大臣本人を探る必要はない。軍需品が記録から消える場所と、消える時を見つけてくれ」


「期限は十日でよろしいでしょうか」


「ああ。誰も殺さず、司法軍とも接触しないこと」


「承知いたしました」


「命令を記したものは残さなくていい」


 セレナは一礼し、執務室を出ていった。


 机上には、三つの公的記録が残されている。

どの記録にも不足を示す誤字や、横流しを命じる一文はなかった。


 ルシアンは補給省の整った帳簿へ手を置いた。


「では、帳簿の外側を見ようか」



ここまでお読み頂きありがとうございます!


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