第3話「盤上の贈り物」
細身の刃が、独立司法の封蝋を縦に割った。
窓を打つ風は、朝から同じ間隔で硝子を鳴らしている。
ルシアンは封書から質問状を抜き、最初の一行へ目を落とした。
傍らでは、セレナが音を立てずに紅茶を注いでいる。
「…今度は何を疑われているのですか?」
エマが、机を挟んだ向かい側から尋ねた。
「前半は鉱山だ。武装集団の氏名、移動先、退去前後の負傷者について回答を求められている」
「新たに提出できるものはございません」
「ないものは出せない。それで構わないよ」
ルシアンは質問状の末尾を指で押さえた。
「問題は、こちらだね」
ギルバートが横から文面を確認する。
「公的記録上は納品済みでありながら、受領先では不足している物資について、責任者を推測せず、立証可能な事実へ到達する手段を回答せよ」
「鉱山監査の質問ではございませんね」
「独立司法軍の補給に、穴が空いているらしい」
ルシアンが質問状を置くと、玄関側から扉を叩く音が届いた。
ほどなくして、最高司法審判官と独立司法軍の将軍が執務室へ案内された。
将軍は勧められた椅子へ座らず、机上の質問状を一度見ただけでルシアンへ向き直る。
「子爵。先に言っておく」
「何でしょう」
「役に立たない話へ付き合う時間はない」
「では、役に立つかどうかだけをお確かめください」
将軍の眉間に皺が刻まれた。
最高司法審判官は二人の間に言葉を挟まず、持参した記録を机へ並べる。
国庫の支出記録。
補給省の納品記録。
独立司法軍の不足報告。
「国庫からは、指定された金額が支払われている」
最高司法審判官が最初の記録を示した。
「補給省の記録では、軍需品は中央軍需倉庫へ全量納品されたことになっている」
指先が、二つ目の記録へ移る。
「だが、部隊へ届いた物資は大きく不足している」
「先月だけで盾が五十枚、槍穂が百、軍靴が三百足です」
将軍が不足品を読み上げた。
「保存食は六日で尽きる。今朝は壊れた盾で兵が怪我をした」
ルシアンは三つの記録を順に見た。
「中央軍需倉庫の受領数は」
「補給省の納品数と一致している」
「独立司法軍へ搬出した記録は」
「必要数を送り出したことになっている」
「部隊側の受領印もございますね」
エマが記録の末尾を指した。
「現物を確認せず、倉庫番が押している」
将軍の声が低くなった。
「補給省の役人から、先に処理しなければ次の支給を遅らせると言われたそうだ」
「その役人の氏名は」
「分からん。口頭の命令で、証人もいない」
「補給大臣への接続は」
「まだない」
最高司法審判官が答えた。
「だから、私邸と契約商人の私有倉庫に対する捜索を却下した」
「不足は続いている」
将軍の手が机の縁を掴んだ。
「子爵。お前なら、どこを捜す」
「どこも捜しません」
将軍の指が止まった。
「……もう一度言ってみろ」
「過去に消えた物資を探すための捜索は行わない、と申し上げました」
「では、空の武器庫を眺めていろと?」
「過去の物資は、すでに別の倉庫へ移されたか、売却された後でしょう。今から探しても、補給大臣へつながる形で残っている可能性は低い」
「諦めろと言うのか」
「次に消える物資を押さえます」
将軍は椅子を引き、ようやく腰を下ろした。
「続けろ」
「公式記録が整っているなら、補給大臣は今までと同じ仕組みを使い続けます。横流しを止めれば、物資を受け取っていた商人や貴族家との関係が崩れるからです」
「補給大臣が関与していると断定する根拠はない」
最高司法審判官が告げた。
「断定はしておりません。補給大臣が無関係なら、調査によってそれが明らかになるだけです」
「次の犯罪が、いつ起きるか分かるのか」
「いいえ」
「場所は」
「まだ分かりません」
将軍の口元が硬くなった。
「分からないことばかりだな」
「ですから、十日いただきたい」
「十日も、兵に今の配給を続けろと?」
「十日で犯人を捕らえられるとは申し上げておりません。次に物資が消える条件を探します」
「その間の食料はどうする」
ルシアンはギルバートへ視線を向けた。
「ギルバート。保存食、軍靴、盾の修繕材について、王都周辺の相場と納期を調べてくれ」
「供給可能な商会も確認いたしますか」
「頼む。ただし、独立司法軍との契約交渉は行わないように」
「承知しました、旦那様」
将軍がルシアンへ目を戻した。
「私財で物資を寄越す気か」
「そのつもりはありません」
「…どういうことだ」
「一度の不足を埋めるために私が軍需品を贈れば、次から独立司法軍は補給省ではなく私の財布を見ることになる」
将軍は組んでいた腕を解いた。
「軍を買う気はない、と」
「将軍閣下の兵は、正規の予算と契約で養われるべきです。回収後に必要な再調達の準備だけを進めます」
「回収できる前提で話すのだな」
「では、回収できた時に慌てないための調査、と言い換えましょう」
最高司法審判官が、記録を一つにまとめた。
「オーリ子爵。情報を得たとしても、それだけで令状は出さない」
「承知しております」
「出所を明かせない情報は、令状申請へ使わせない」
「はい」
「君が司法軍へ物資の取引先を紹介しても、捜査上の便宜は与えない」
「求めておりません」
「補給大臣を失脚させれば、貴族派の補給網も傷つく可能性がある」
最高司法審判官の言葉に、将軍の視線がルシアンへ向いた。
「…それが狙いか」
「狙いの一つです」
ルシアンは否定しなかった。
「貴族派との対立が武力へ移った時、法を執行する軍が空腹で動けないのでは困ります」
「私の兵を、お前の盾にするつもりか」
「いいえ。必要な時に、法の命令どおり動ける軍へ戻したいだけです」
「その法がお前を捕らえろと命じてもか」
「もちろんです」
将軍は椅子の背に身体を預けた。
最高司法審判官はルシアンから視線を外さず、机上の記録を革の書類入れへ収める。
「十日後、立証可能な事実への道だけを示せ」
「違法な証拠を持ち込んだ場合は?」
ルシアンが尋ねた。
「採用しない。必要であれば、取得した者を調べる」
「承知いたしました」
「……ルシアン」
最高司法審判官は、初めて爵位ではなく名を呼んだ。
「法の外で得た答えを、法の内側へ持ち込むな」
「その境界を守るのは、あなたの役目です」
「君の役目でもある」
短い沈黙のあと、最高司法審判官が席を立った。
将軍も立ち上がり、扉の前でルシアンを振り返る。
「…十日だ」
「承知しております」
「兵士を囮に使ったと分かれば、補給大臣より先にお前を止める」
「その必要がない方法を選びます」
二人が退出すると、執務室には窓を打つ風の音が戻った。
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ルシアンは補給省の納品記録を閉じた。
それから、扉の傍らに控えていたセレナへ顔を向ける。
「セレナ。ギャレットとクロエへ、私の言葉を伝えてほしい」
「はい、旦那様」
「補給大臣本人を探る必要はない。軍需品が記録から消える場所と、消える時を見つけてくれ」
「期限は十日でよろしいでしょうか」
「ああ。誰も殺さず、司法軍とも接触しないこと」
「承知いたしました」
「命令を記したものは残さなくていい」
セレナは一礼し、執務室を出ていった。
机上には、三つの公的記録が残されている。
どの記録にも不足を示す誤字や、横流しを命じる一文はなかった。
ルシアンは補給省の整った帳簿へ手を置いた。
「では、帳簿の外側を見ようか」
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