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悪徳子爵は裁かれない  作者: 空っぽの零時
第5章:潔癖な共犯者
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第2話「空の武器庫」

 演習場に、欠けた盾を木槌で叩く音が響いていた。

乾いた音が止むたび、古い革の匂いを含んだ風が土埃を巻き上げる。


「構えろ!」


 号令に合わせ、二列に並んだ兵士たちが盾を上げた。


 向かい側の兵士が、先端を布で包んだ槍を突き出す。

盾が槍を受けた瞬間、留め具の一つが弾け飛んだ。


 盾板が傾き、槍の柄が兵士の肩へ直撃する。

兵士は片膝をつき、押さえた肩から指を離せなくなった。


「訓練中止!」


 独立司法軍の将軍が列の間を進み、負傷した兵士の前へしゃがみ込んだ。


「腕は動くか」


「はい、将軍」


「上げてみろ」


 兵士の腕は、肩の高さまで上がったところで止まった。

額に汗が浮かび、食いしばった歯の隙間から息が漏れる。


「医務室へ運べ。骨と筋を確認させろ」


「この程度なら、少し休めば――」


「命令だ」


 将軍の短い声に、兵士は口を閉じた。


 二人の兵士が負傷者へ肩を貸す。

演習場を出ていく三人の背後で、壊れた盾が土の上へ落ちていた。


 将軍は盾を拾い、外れた留め具を指で押した。

革は乾燥してひび割れ、金具の穴も大きく広がっている。


「これを訓練へ出したのは誰だ」


「私です」


 武具の管理を任された兵士が歩み出た。


「代わりの盾は」


「ありません」


「修繕待ちは何枚だ」


「二十七枚です」


「使用できる盾は」


「今ので、百十二枚になりました」


 演習場には、その倍を超える兵士が並んでいる。


 将軍は壊れた盾を管理兵へ返した。

それから訓練用の槍を一本ずつ点検し、穂先を取り付ける金具へ目を向ける。


「槍穂の予備は」


「残り十三です」


「軍靴は」


「底を張り替えられるものから直しています」


「新しい支給品を聞いている」


「今月も届いておりません」


 将軍は演習場を見渡した。


 盾を持たない兵士は木板で代用し、軍靴の破れた兵士は布を巻いて足首を固定している。

朝の訓練を終えたばかりだというのに、列の後方では何人かが浅い呼吸を繰り返していた。


「今日から訓練時間を一刻減らす」


 兵士たちの間に、僅かなざわめきが走った。


「配給が戻るまでだ。空腹の兵を倒れるまで走らせても強くはならん」


「将軍、我々は動けます」


「動けることと、戦えることを同じにするな」


 将軍は残りの訓練内容を組み直し、部隊長へ木板を渡した。


「盾を使う訓練は二人で一枚。足を痛めている者は走らせず、槍の扱いへ回せ」


「承知しました」


「壊れた装備を隠すな。使えないものは使えないと記録しろ」


 将軍は演習場を離れ、隣接する武器庫へ向かった。


 棚には、修繕を待つ盾と槍が詰め込まれている。

武具の数を記す木札だけが、空いた棚から何枚も下がっていた。


「納品記録では、先月だけで盾が五十枚届いたことになっています」


 倉庫番が羊皮紙の記録を開いた。


「槍穂は百。軍靴は三百足です」


「現物は」


「一つも届いておりません」


「受領印があるな」


「はい」


 倉庫番の声が小さくなった。


「誰が押した」


「私です」


「届いていない物へ、なぜ押した」


「補給省の役人から、あとでまとめて運ぶと言われました。先に処理しなければ、次の支給が遅れるとも」


「口頭か」


「はい」


「証人は」


「同席した者はおりません」


 将軍は納品記録を閉じた。


「保存食も見せろ」


 武器庫の奥にある食料庫では、空になった穀物箱を兵士が木べらでこすっていた。

箱の底から集められた粉は、椀一杯にも満たない。


「残りは」


「通常の配給なら三日分です」


「今の配給量なら」


「六日です」


「次の支給は」


「記録上では、十日後です」


 将軍は空の箱を一度叩いた。

鈍い音が食料庫の中へ広がる。


「将軍」


 倉庫番が受領記録を抱えたまま頭を下げた。


「処罰は受けます」


「お前一人を処罰して、盾と食料が戻るのか」


「いいえ…」


「ならば、誰の命令で押したのかを思い出せ。役人の顔、服、声、来た時刻もだ」


「承知しました」


「次から現物がなければ押すな。上官が何と言おうと、空の棚を満杯にはできん」


----------------------------


 昼過ぎ、将軍は独立司法庁舎を訪れた。


 最高司法審判官の執務室では、朝に提出した捜索要請へ赤い線が引かれていた。


「却下とは、どういうことだ」


「記した通りだ」


 最高司法審判官は、補給大臣の私邸と契約商人の倉庫を示した。


「この場所に盗まれた軍需品があるという証拠がない」


「物資は消えている」


「不足は証明されている」


「補給を統括しているのは補給大臣だ」


「統括していることと、盗んだことは同じではない」


 将軍の拳が机の上へ置かれた。

固く握られた指の節が白くなっている。


「今朝、盾が壊れて兵が負傷した」


「報告は受けた」


「食料は六日で尽きる」


「それも読んだ」


「ならば、何人怪我をすれば動く」


「すでに動いている」


 最高司法審判官は、将軍の不足報告を開いた。


「国庫の支出、補給省の納品、司法軍の受領。三つの記録を照合させている」


「照合している間にも、兵は腹を空かせる」


「違法な捜索で証拠を潰せば、その状態がさらに続く」


「私邸へ入れば見つかる」


「見つからなかった場合は」


「契約商人の倉庫を調べる」


「そこにもなければ」


「運んだ者を吐かせる」


 最高司法審判官は法典を閉じた。


「それは捜査ではない。疑う者を順番に踏み荒らしているだけだ」


「真実が目の前にある」


「目の前にあるのは、空の武器庫と虚偽の可能性がある受領記録だ」


「十分だ」


「不足を調べるにはな。補給大臣を逮捕するには足りない」


 将軍は机上の捜索要請を取り上げた。

赤い線は、私邸、私有倉庫、関係商人の帳簿に至るまですべてを塞いでいる。


「手続きを守っている間に兵が死ねば、その死も羊皮紙へ記録するのか」


「手続きを捨てて補給大臣を逃がせば、次に死ぬ兵の名も続けて書くことになる」


 二人の間で、冷めた茶の匂いだけが動いた。

将軍は捜索要請を机へ戻した。


「では、どうする」


「不足が生じた地点を特定する」


「補給省の記録は整っている」


「整いすぎている」


「それを証拠にできるのか」


「まだできない」


 将軍の眉間に深い皺が刻まれた。


「それで私を呼んだのか」


「もう一人、呼ぶ」


「誰だ」


「オーリ子爵だ」


 将軍の手が止まった。


「武装集団が一夜で消えた鉱山の管理者か」


「そうだ」


「お前が監査している男だろう」


「だから呼ぶ」


「犯罪を疑われている貴族に、司法軍の補給を預けるつもりか」


「預けない。意見を聞くだけだ」


「違法な手を使えと言い出したら」


「却下する」


「証拠もなく補給大臣を罠へかけろと言ったら」


「却下する」


「役に立たなければ」


「帰す」


 将軍はしばらく最高司法審判官を見た。

やがて捜索要請を折らずに持ち上げ、革の書類入れへ収める。


「兵士のためだ。一度だけ会う」


「会う回数は、証拠の価値で決めろ」


「気に入らんな」


「私も同じだ」


 将軍は椅子を引き、執務室の扉へ向かった。

退出する直前、足を止めて振り返る。


「役に立たなければ、オーリ子爵も空の棚へ放り込む」


 扉が閉じたあと、机の上に残された天秤は、どちらにも傾かなかった。



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