第2話「空の武器庫」
演習場に、欠けた盾を木槌で叩く音が響いていた。
乾いた音が止むたび、古い革の匂いを含んだ風が土埃を巻き上げる。
「構えろ!」
号令に合わせ、二列に並んだ兵士たちが盾を上げた。
向かい側の兵士が、先端を布で包んだ槍を突き出す。
盾が槍を受けた瞬間、留め具の一つが弾け飛んだ。
盾板が傾き、槍の柄が兵士の肩へ直撃する。
兵士は片膝をつき、押さえた肩から指を離せなくなった。
「訓練中止!」
独立司法軍の将軍が列の間を進み、負傷した兵士の前へしゃがみ込んだ。
「腕は動くか」
「はい、将軍」
「上げてみろ」
兵士の腕は、肩の高さまで上がったところで止まった。
額に汗が浮かび、食いしばった歯の隙間から息が漏れる。
「医務室へ運べ。骨と筋を確認させろ」
「この程度なら、少し休めば――」
「命令だ」
将軍の短い声に、兵士は口を閉じた。
二人の兵士が負傷者へ肩を貸す。
演習場を出ていく三人の背後で、壊れた盾が土の上へ落ちていた。
将軍は盾を拾い、外れた留め具を指で押した。
革は乾燥してひび割れ、金具の穴も大きく広がっている。
「これを訓練へ出したのは誰だ」
「私です」
武具の管理を任された兵士が歩み出た。
「代わりの盾は」
「ありません」
「修繕待ちは何枚だ」
「二十七枚です」
「使用できる盾は」
「今ので、百十二枚になりました」
演習場には、その倍を超える兵士が並んでいる。
将軍は壊れた盾を管理兵へ返した。
それから訓練用の槍を一本ずつ点検し、穂先を取り付ける金具へ目を向ける。
「槍穂の予備は」
「残り十三です」
「軍靴は」
「底を張り替えられるものから直しています」
「新しい支給品を聞いている」
「今月も届いておりません」
将軍は演習場を見渡した。
盾を持たない兵士は木板で代用し、軍靴の破れた兵士は布を巻いて足首を固定している。
朝の訓練を終えたばかりだというのに、列の後方では何人かが浅い呼吸を繰り返していた。
「今日から訓練時間を一刻減らす」
兵士たちの間に、僅かなざわめきが走った。
「配給が戻るまでだ。空腹の兵を倒れるまで走らせても強くはならん」
「将軍、我々は動けます」
「動けることと、戦えることを同じにするな」
将軍は残りの訓練内容を組み直し、部隊長へ木板を渡した。
「盾を使う訓練は二人で一枚。足を痛めている者は走らせず、槍の扱いへ回せ」
「承知しました」
「壊れた装備を隠すな。使えないものは使えないと記録しろ」
将軍は演習場を離れ、隣接する武器庫へ向かった。
棚には、修繕を待つ盾と槍が詰め込まれている。
武具の数を記す木札だけが、空いた棚から何枚も下がっていた。
「納品記録では、先月だけで盾が五十枚届いたことになっています」
倉庫番が羊皮紙の記録を開いた。
「槍穂は百。軍靴は三百足です」
「現物は」
「一つも届いておりません」
「受領印があるな」
「はい」
倉庫番の声が小さくなった。
「誰が押した」
「私です」
「届いていない物へ、なぜ押した」
「補給省の役人から、あとでまとめて運ぶと言われました。先に処理しなければ、次の支給が遅れるとも」
「口頭か」
「はい」
「証人は」
「同席した者はおりません」
将軍は納品記録を閉じた。
「保存食も見せろ」
武器庫の奥にある食料庫では、空になった穀物箱を兵士が木べらでこすっていた。
箱の底から集められた粉は、椀一杯にも満たない。
「残りは」
「通常の配給なら三日分です」
「今の配給量なら」
「六日です」
「次の支給は」
「記録上では、十日後です」
将軍は空の箱を一度叩いた。
鈍い音が食料庫の中へ広がる。
「将軍」
倉庫番が受領記録を抱えたまま頭を下げた。
「処罰は受けます」
「お前一人を処罰して、盾と食料が戻るのか」
「いいえ…」
「ならば、誰の命令で押したのかを思い出せ。役人の顔、服、声、来た時刻もだ」
「承知しました」
「次から現物がなければ押すな。上官が何と言おうと、空の棚を満杯にはできん」
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昼過ぎ、将軍は独立司法庁舎を訪れた。
最高司法審判官の執務室では、朝に提出した捜索要請へ赤い線が引かれていた。
「却下とは、どういうことだ」
「記した通りだ」
最高司法審判官は、補給大臣の私邸と契約商人の倉庫を示した。
「この場所に盗まれた軍需品があるという証拠がない」
「物資は消えている」
「不足は証明されている」
「補給を統括しているのは補給大臣だ」
「統括していることと、盗んだことは同じではない」
将軍の拳が机の上へ置かれた。
固く握られた指の節が白くなっている。
「今朝、盾が壊れて兵が負傷した」
「報告は受けた」
「食料は六日で尽きる」
「それも読んだ」
「ならば、何人怪我をすれば動く」
「すでに動いている」
最高司法審判官は、将軍の不足報告を開いた。
「国庫の支出、補給省の納品、司法軍の受領。三つの記録を照合させている」
「照合している間にも、兵は腹を空かせる」
「違法な捜索で証拠を潰せば、その状態がさらに続く」
「私邸へ入れば見つかる」
「見つからなかった場合は」
「契約商人の倉庫を調べる」
「そこにもなければ」
「運んだ者を吐かせる」
最高司法審判官は法典を閉じた。
「それは捜査ではない。疑う者を順番に踏み荒らしているだけだ」
「真実が目の前にある」
「目の前にあるのは、空の武器庫と虚偽の可能性がある受領記録だ」
「十分だ」
「不足を調べるにはな。補給大臣を逮捕するには足りない」
将軍は机上の捜索要請を取り上げた。
赤い線は、私邸、私有倉庫、関係商人の帳簿に至るまですべてを塞いでいる。
「手続きを守っている間に兵が死ねば、その死も羊皮紙へ記録するのか」
「手続きを捨てて補給大臣を逃がせば、次に死ぬ兵の名も続けて書くことになる」
二人の間で、冷めた茶の匂いだけが動いた。
将軍は捜索要請を机へ戻した。
「では、どうする」
「不足が生じた地点を特定する」
「補給省の記録は整っている」
「整いすぎている」
「それを証拠にできるのか」
「まだできない」
将軍の眉間に深い皺が刻まれた。
「それで私を呼んだのか」
「もう一人、呼ぶ」
「誰だ」
「オーリ子爵だ」
将軍の手が止まった。
「武装集団が一夜で消えた鉱山の管理者か」
「そうだ」
「お前が監査している男だろう」
「だから呼ぶ」
「犯罪を疑われている貴族に、司法軍の補給を預けるつもりか」
「預けない。意見を聞くだけだ」
「違法な手を使えと言い出したら」
「却下する」
「証拠もなく補給大臣を罠へかけろと言ったら」
「却下する」
「役に立たなければ」
「帰す」
将軍はしばらく最高司法審判官を見た。
やがて捜索要請を折らずに持ち上げ、革の書類入れへ収める。
「兵士のためだ。一度だけ会う」
「会う回数は、証拠の価値で決めろ」
「気に入らんな」
「私も同じだ」
将軍は椅子を引き、執務室の扉へ向かった。
退出する直前、足を止めて振り返る。
「役に立たなければ、オーリ子爵も空の棚へ放り込む」
扉が閉じたあと、机の上に残された天秤は、どちらにも傾かなかった。
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