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悪徳子爵は裁かれない  作者: 空っぽの零時
第4章:首輪のない猟犬
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第11話「王の首輪」

 小謁見室の扉は、内側から閉ざされていた。

机の上で封蝋が割れる音だけが響き、室内にいる誰も咳一つしない。


 国王は、オーリ子爵から提出された回答書を開いた。


 婚姻命令を拒絶する意思はない。

貴族家継承安定法の目的を尊重し、法的条件が整い次第、王命へ従う。


 冒頭には、臣下として模範的な言葉が並んでいる。

問題は、その下だった。


『独立監査期間中における婚姻の成立は、創世王典に定める王家資産保全条項へ抵触する可能性がある』


 国王は最後まで読み終え、回答書を机へ置いた。


「面白い戯言だ」


 小謁見室には、王族派筆頭公爵、王家の法務官、オーリ子爵、そして法務補佐としてエマが同席している。


「鉱山は婚姻後も王家の所有物だ。公爵家へ譲渡されるわけではない。資産移転には当たらぬ」


「陛下のおっしゃる通り、所有権は移りません」


 答えたのはエマだった。

国王の前で声を震わせることなく、管理委任状を開く。


「しかし、創世王典が保全の対象としているのは、所有権だけではございません。管理者および支配関係の変更も含まれます」


「婚姻したところで、管理者はオーリ子爵のままであろう」


「名目上は」


 エマが別の条文を示す。


「公爵令嬢がオーリ子爵家へ入れば、同家の共同代表権を得ます。さらに婚姻によって生まれる子には、オーリ家の財産と管理権に対する相続請求権が生じます」


 王族派筆頭公爵家が、婚姻を通じて鉱山の管理へ介入できる。


 所有権を奪わず、管理者の内側へ別の家を入り込ませる。


 それこそが、古い王家資産保全条項が防ごうとした行為だった。


「法務官」


 国王は視線を動かした。


「この女の解釈は正しいのか」


 法務官はすぐには答えなかった。


 机に置かれた創世王典、管理委任状、監査開始届の受領証を順に確認する。


 オーリ子爵へ味方するためではない。

一つでも誤った判断をすれば、王家の法務官自身が上位法に反する命令を認めたことになる。


「婚姻によって共同代表権が発生する以上、王家資産の支配関係へ影響すると解釈されます」


「王命よりも優先されると申すか」


「貴族家継承安定法は王国法です。しかし、王家資産保全条項は創世王典に属します」


 法務官は深く頭を下げた。


「即時の婚姻成立を承認することは困難かと存じます」


 国王は法務官を責めず、杖の先をルシアンへ向けた。


「法務官は職務を果たしただけだ。条文を曲げて余へ媚びる者など、こちらから願い下げだからな」


 杖の先が、管理委任状の署名欄を叩いた。


「問題は、余の命令同士を噛み合わせた貴様だ」


「独立監査が始まっていなければ、この条項は効力を持たぬ」


「はい」


 エマが監査開始届の受領証を差し出す。


「監査は一昨日、独立司法によって正式に受理されております」


 司法の印。


 受理の日付。


 形式に不備はない。


「監査開始届は、鉱山の現状確認に必要な通常手続きだと報告を受けた。だから止めなかった」


 オーリ子爵も、監査そのものを望んでいるように見えた。


「鉱山を安定させるより先に、監査開始届を出しているな」


 国王の問いに、ルシアンは一礼した。


「管理委任状に定められた手続きを、期限どおり行ったまでです」


「その受領印が、婚姻を止めると知りながらか」


「私が回答すべきことは、提出した書類に記載しております」


 国王はオーリ子爵へ目を向ける。


「鉱山の管理委任を撤回する」


 それで管理者ではなくなる。

保全条項の拘束も消え、婚姻命令だけが残る。


 オーリ子爵は表情を変えなかった。


「管理委任状をご確認ください」


 机上の原本が、国王の方へ向けられる。


「独立監査が終わるまで、管理者に明確な契約違反がない限り、王家は一方的に管理権を撤回できません」


「余が与えた権限だ。余が取り上げて何が悪い」


「陛下の権限を否定するつもりはございません」


 オーリ子爵は末尾を示した。


「ですが、これは陛下と私の双方を拘束する契約です」


 そこには、国王自身の大印が押されている。


 鉱山の赤字も、住民の保護も、復旧費用も、すべてオーリ子爵へ背負わせるために作らせた契約だった。

簡単に逃げられぬよう、管理者からも王家からも一方的な解除権を奪った。


 オーリ子爵を縛るための鎖が、今は国王の手首へ巻き付いている。


「契約違反ならば、あるのではないか」


 国王は鉱山の報告書へ指を置いた。


「武装集団に占拠されていた集落が、数日で平穏を取り戻した。随分と都合のよい話だ」


「疑わしいことと、契約違反が立証されていることは同じではございません」


 エマの返答だった。


「現在確認されているのは、住民契約の締結、備蓄の返還、街道補修の開始、そして査察時点で武装占拠が存在しなかったという事実です」


 隙間の多い報告書。


 国王は報告書を卓上へ投げた。


「この報告書が何かを隠していることくらい、余にも分かる。だが、“何か”では契約違反を立証できぬ」


「陛下」


 それまで黙っていた王族派筆頭公爵が口を開いた。


「管理委任は、オーリ子爵への褒賞として公に発表されております」


「分かっておる」


「それを数日で撤回すれば、王家の契約は都合次第で破棄されるものと見られましょう。今後、陛下との契約へ大印だけでは足りぬと申す者が現れます。また、婚姻命令を撤回せよと申し上げているのではございません」


 筆頭公爵は、娘ではなく王家の大印へ目を向けた。


「ただ、一人の子爵を縛るために大印の契約を破れば、次から陛下と契約する者は、印だけでは足りぬと考えましょう」


 公爵家の権力もまた、王の契約が守られることを前提としているからだ。


「オーリ子爵」


 国王は静かに呼びかけた。


「余の命令へ逆らうつもりはないと申したな」


「はい」


「では、いつ従う」


「監査が終わり、法が許す日に」


 拒絶ではない。


 反逆でもない。


 王へ服従する言葉だけを使いながら、王命の実行を止めている。


「法務官」


「はっ」


「婚姻命令は撤回せぬ。独立監査の終了、または最高司法審判官の承認が得られるまで、執行を凍結せよ」


 法務官が命令を書き留める。


 オーリ子爵は婚姻を免れた。

だが同時に、赤字鉱山の管理義務からも逃れられない。


「余は貴公を、有能な猟犬だと考えていた」


 国王は、ルシアンが退出した扉を睨んだ。


「だが、首輪を握る手へまで牙を立てるとはな」


 杖の先が、独立司法府の印へ置かれる。


「法の隙間へ身を隠すなら、その隙間ごと暴け。独立司法へ正式な監査要請を送れ」



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