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悪徳子爵は裁かれない  作者: 空っぽの零時
第4章:首輪のない猟犬
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第10話「凍結された婚姻」

----------------------------Side : セレナ----------------------------


 夜明け前の机には、開かれた法典が幾重にも積まれていた。

冷めた紅茶の表面には薄い膜が張り、羊皮紙の上では赤い線が同じ条文を何度も往復している。


 私は、エマさんが引いた線の意味を追っていた。


 婚姻命令を受けてから、一睡もしていない。


「無理です」


 エマさんの声は、静かだった。


「貴族家継承安定法の要件を、閣下はすべて満たしています」


 エマさんは三枚の羊皮紙を机へ並べた。


「未婚、法定継承者なし、王国の物流に関わる重要地の管理者。指定された相手も同格以上。命令の成立要件に欠けはありません」


「王族派に取り込まれる危険は、拒絶理由にならないのですか」


 ギルバートさんの問いに、エマさんは首を横に振った。


「政治上の不利益は、法が認める正当な拒絶理由に含まれません」


 旦那様は婚姻命令ではなく、隣に置かれた管理委任状を引き寄せた。


「誰が拒絶すると言ったのかな」


「では、お受けになるのですか?」


「命令には従う。ただし、法が婚姻の成立を許す日に」


 旦那様の指が、王家資産保全条項の一行で止まる。


「回答書にはこう記そう。“婚姻命令を尊重する。しかし、独立監査の終了まで、その執行を可能とする法的条件が存在しない”と」


 受け入れれば王族派に組み込まれる。

拒めば王家管理官が入る。


 その二つしかないと思っていた。


 けれど旦那様は、どちらも選ばなかった。

王命そのものには逆らわず、それが執行される“時”だけを、王自身の署名した契約で封じたのだ。


 エマさんは回答書を読み返し、最後の一文へ赤い印を付けた。


「拒絶ではありません。履行条件が整っていないと回答するのですね」


「そういうことだ。王命は残る。だが、王自身が押した大印が、その執行を止める」


ギルバートさんが、管理委任状へ視線を落とした。


「陛下が管理権を取り上げた場合は?」


「監査中の一方的な撤回は、王家自身の契約違反になる」


 旦那様は、まるで最初から答えを知っていたかのように、冷めた紅茶へ手を伸ばした。


 婚姻命令が消えたわけではない。それでも、明日すぐに誰かの夫になることはない。

胸の奥で、張り詰めていた何かが緩んだ。


 安堵したのだと認めるより先に、別の感情が追いついた。


 この人は法に守られているのではない。

法を動かし、王すら同じ檻へ入れている。


 それが、少しだけ怖くて。

離れたくなかった。



ここまでお読み頂きありがとうございます!


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