第7話「夜明けまでに消せ」
坑道の奥から、湿った空気が吹き出していた。
暗がりに身を伏せたギャレットの耳元で、装具を締める革紐が小さく軋む。
遠くでは、つるはしを打ち合わせる警告音が鳴っている。
武装集団は十二人。
坑道入口と備蓄庫へ分かれて見張りを立て、夜になると交代で集落を巡回していた。
装備は元私兵らしく統一されているが、雇い主を失ってから手入れされていないものも多い。
ただの食い詰め者ではない。
見張りの立て方を知り、集団で戦う訓練も受けている。
正面から踏み込めば、住民を巻き込む可能性が高かった。
ギャレットは物陰から、備蓄庫へ入っていく荷車を見つめた。
積まれているのは、住民へ配られるはずの穀物だ。
だが荷車は集落へは向かわず、裏手の細い道へ進んでいく。
御者へ渡された通行証には、すでに没落した貴族家の印が押されていた。
存在しない主人の権威を使い、王家の備蓄を外へ売り払っている。
その取引を記録した帳簿が、首領格のいる坑道内へ保管されていることも確認できた。
「住民を守ってる、ねえ」
ギャレットは声を殺して吐き捨てた。
武装集団は同じ夜、契約へ参加した家々の扉へ、削った木札を打ち付けていた。
『明朝までにオーリ家との契約を破棄せよ。従わぬ家族への配給は止め、集落から追放する』
木札に差出人の名はない。
だが、誰が書かせたものかは明らかだった。
ギャレットは見張りの交代時刻を確認し、その場を離れた。
酒場裏の物置では、ルシアンが一人で報告を待っていた。
「備蓄の横流しは黒だ。潰れた家の印を勝手に使ってる」
ギャレットは盗み出した帳簿の一部と、住民へ配られた木札を卓上へ置いた。
「首領格は昔、雇い主の私兵団から金を持って逃げたらしい。古い記録にも残ってる」
「司法へ提出できるか?」
「無理だな」
ギャレットは即答した。
「帳簿は坑道から盗んだ。木札も脅された家の扉から外してきたもんだ。見張りの人数も荷車の行き先も、俺たちが勝手に調べただけだ」
すべて真実ではある。
しかし、正式な捜索令状も、司法審判官の立ち会いもない。
この情報だけでは逮捕も、備蓄庫への強制捜索もできない。
「今から令状を取れば、早くても明日以降だ」
ギャレットは住民へ配られた木札を指で弾いた。
「それまでに契約した家が襲われる。食料を持って坑道へ籠もられたら、追い出すのも難しくなる」
「住民を人質にする可能性は?」
「ある。連中にとって、ここは最後に残った城だ」
ルシアンは卓上の帳簿を閉じた。
命令書を用意する様子はない。
作戦の詳細を尋ねることもなかった。
「令状は間に合わない」
「ならば、私は正式な排除を命じられない」
「今夜、契約した住民が襲われるかもしれない」
ルシアンは短い沈黙の後、卓上の灯りを消した。
「住民を守ってくれ。死者は出すな。明朝の査察時、武装占拠が続いていないことだけを報告しろ」
「方法は?」
「君から聞くつもりはない」
ギャレットは、灯りの消えた卓へ視線を落とした。
命令書も、署名もない。
残ったのは「住民を守れ」という言葉と、聞くことを拒んだ沈黙だけだった。
「旅費を用意してある。武器を捨て、住民へ二度と接触しないなら、横流しと過去の一部は追及しない」
「随分と優しいじゃねえか」
「裁判に時間と金を使うより安い」
ギャレットは鼻で笑い、帳簿と木札を回収した。
「分かった。夜明けまでだな」
「敵味方共に、死者は出すな」
「言われなくても、そのつもりだ」
物置を出ると、闇の中で数人の仲間が待っていた。
ギャレットは目的と制約だけを伝える。
十二人を殺さずに制圧する。
住民を巻き込まない。夜明けまでに全員を退去させる。
男たちはオーリ家の紋章を外し、互いの名を呼ばないまま坑道へ向かった。
日付が変わる頃、ギャレットたちは坑道へ侵入した。
入口には見張りがいた。
扉には内側から閂が下ろされ、通路の一部には侵入者を知らせる仕掛けも置かれている。
それでも、見張りが異変に気付いた時には、ギャレットたちはすでに坑道の内側へ入り込んでいた。
一人目は声を上げる前に地面へ伏せられ、後ろ手に縛られた。
二人目は剣へ手を伸ばした。
仲間の一人が腕を押さえたが、男は頭突きで抵抗し、拘束を振りほどこうとする。
ギャレットは男の腹へ拳を叩き込み、折れた体を壁へ押しつけた。
さらに抵抗したため、今度は膝を使って床へ倒す。
「静かにしてりゃ、これ以上はやらねえ」
男の口へ布を噛ませ、革紐で両手を縛る。
男の腰にも、ギャレットの胸元にも、司法の拘束命令を示す札はなかった。
それでも革紐は締められ、男は令状も罪状も告げられないまま床へ伏せられた。
坑道の奥でも短い衝突が起きた。
棒を振り上げた男の手首を打ち、剣を抜いた者の脚を払う。
抵抗者には打撲と、浅い切り傷が残った。
誰も殺さなかった。
だが、暴力を使わなかったわけでもない。
首領格の男は、寝床から引きずり出され、坑道内の椅子へ縛り付けられた。
「貴様ら、何者だ!」
「質問する立場じゃねえよ」
ギャレットは盗み出した帳簿を、男の前へ広げた。
王家の備蓄を横流しした日付。
受け取った金額。没落した貴族家の印を使って発行した偽の通行証。
続いて、過去の脱走と持ち逃げを記録した古い羊皮紙を置く。
首領格の顔から、怒りが消えた。
「こいつを司法へ渡せば、昔の件までまとめて調べられる。貴族家の印を偽って備蓄を売ったこともな」
「その帳簿をどこで手に入れた」
「お前の心配は、そこじゃない」
ギャレットは男の背後へ回り、椅子をゆっくりと傾けた。
後ろ脚だけで支えられた椅子が軋む。
倒れれば、男は縛られたまま石の床へ後頭部を打ちつける。
「夜明け前に全員で出ていけ。もちろん武器は置いていけ。今後、集落の住民へ近づくな」
「……断ったら?」
「帳簿もお前も、司法の門前に置いていく」
ギャレットは椅子を元へ戻した。
「受けるなら旅費を出す。横流しも脱走も、こっちから追いかけはしない」
「信じられるか!」
「信じなくていい。ここに残って俺たちとやり合うか、金を持って逃げるか。好きな方を選べ」
自由な交渉ではなかった。
首領格は縛られ、仲間は武器を奪われている。
拒絶した先に待つ暴力と司法を示され、退去を選ばされている。
それでも、男は生き残れる方を選んだ。
「……分かった。出ていく」
夜明け前、武装集団は武器を備蓄庫の前へ積み上げた。
旅費の入った袋を受け取り、集落から続く街道へ歩き出す。
縄を解かれた手首には、赤黒い痕が残っていた。
坑道に残ったギャレットは、盗み出した帳簿を火へ投げ入れた。
住民へ配られた指示の木札も、過去の脱走記録を写した羊皮紙も同じ火で焼く。
煙になったのは、武装集団の罪を示す情報だけではない。
ギャレットたちが違法に侵入し、男たちを拘束した事実へたどり着く手掛かりも消えていく。
夜の襲撃とルシアンを結ぶ物証は、一つも残らなかった。
空が白み始めた頃、住民たちが酒場から出てきた。
武装集団が去り、備蓄庫の扉が開いていることへ、驚きと安堵の声が広がる。
その中で、リタだけは街道を遠ざかる男たちの手元を見ていた。
縄の痕に気付いたリタが、ルシアンへ視線を向ける。
「ずいぶん綺麗な夜明けじゃないか、お貴族様」
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