第4話「王族派の仔犬たち」
弦楽器の細い音が、王都の夜会に流れていた。
甘い葡萄酒の香りが漂い、壁際に並ぶ燭台の光が、磨かれた床や銀器の表面で幾重にも反射している。
王族派筆頭公爵は、広間の中央に集まる若い貴族たちを離れた場所から眺めていた。
彼らが囲んでいるのは、昨夜まで王都にいなかった一人の子爵だ。
ルシアン・フォン・オーリ。
地方の腐敗貴族を次々と破滅させ、短期間で莫大な財力と交易路を手にした男。
国王から直々に褒賞を与えられたという話は、謁見が終わった直後には王都中の貴族へ広まっていた。
しかし、その褒賞が枯れた鉱山の管理権だと知れ渡ると、称賛はすぐに嘲笑へ変わった。
「オーリ子爵殿。陛下から、ずいぶんと立派な墓場を賜ったそうではありませんか」
若い伯爵が、葡萄酒の杯を片手に声をかけた。
周囲から控えめな笑いが漏れる。
「王家の廃鉱山を立て直すとは、地方で男爵をいたぶるのとは勝手が違いましょう」
「いたぶる、とは心外ですね」
ルシアンは杯に手をつけず、穏やかに答えた。
「私は彼らが自ら選んだ行動を、法廷へ報告しただけですよ」
「では、鉱山も法で蘇らせるおつもりか?」
「残念ながら、鉱石は判決文を読んでくれませんので」
広間に、今度は先ほどより大きな笑いが起きた。
侮辱を受けた本人が同じ冗談へ加わったことで、若い貴族たちは勢いづく。
筆頭公爵は会話へ加わらず、ルシアンの反応を観察していた。
怒りは見せない。
かといって、王都の高位貴族へ気に入られようと媚びてもいない。
投げられた言葉を受け止め、相手が次に踏み出す場所を静かに整えている。
筆頭公爵の杯が、口元へ届く前に止まった。
「父上?」
「怒りもしない。媚びもしない。ああいう者が、一番扱いに困る」
「半年もあれば十分でしょう」
別の若い子爵が会話へ割り込んだ。
「何しろ、陛下が見込まれた逸材だ。一年後には、鉱石を満載した荷馬車が王都へ列をなしているに違いない」
「それは楽しみですな」
「ならば、賭けてみますか?」
最初に声をかけた伯爵が、懐から金貨を一枚取り出した。
硬貨が指先で弾かれ、卓上へ乾いた音を立てて落ちる。
「一年以内に鉱山が再建できるかどうか。私は不可能な方へ賭けましょう」
取り巻く者たちが金貨を重ねていく。
金額そのものは、彼らにとって痛手にはならない。
地方から現れた成り上がりへ恥をかかせるための、安い見物料にすぎないのだろう。
ルシアンは卓上の金貨を見下ろした。
「申し訳ありませんが、その賭けをお受けすることはできません」
「怖じ気づかれましたかな?」
「陛下より管理を任された王家資産が再建できない方へ、私自身が賭けるわけにはいきません。王家の損失を望んだと誤解されては、皆様にとっても不本意でしょう」
若い貴族たちの笑みが、僅かに固まった。
鉱山の失敗へ金を賭ける。
余興として口にするだけならともかく、王への忠誠を誇る王族派の貴族が、書面や金銭を伴って参加すれば話は変わる。
彼らは、国王が選んだ管理者の失敗を望んだことになる。
「もっと穏当な方法がございます」
ルシアンが軽く手を上げると、少し離れた場所に控えていたエマが、数枚の書類を持って歩み寄った。
「鉱山の復旧後、王都までの運送を優先的に請け負う権利です。予約金を納めていただければ、ご実家の商会や運送業者を優先契約先として登録いたしましょう」
卓上へ置かれたのは、簡潔な予約契約書だった。
予約金は高額ではない。
権利が不要になった場合は他家へ譲渡できるが、復旧調査へ充てられる予約金そのものは返還されない。
「鉱山が蘇れば、最初の運送契約を得られるということですか」
「ええ。王都に近い王家の資産です。運ぶものが生まれれば、相応の利益が期待できるでしょう」
「再建できなければ?」
「権利を使う機会が訪れない。それだけです」
ルシアンは、卓上に積まれた金貨へ視線を向けた。
「もともと私の失敗を見るために出す予定だった金でしょう。皆様にとって、損失は同じではありませんか?」
若い伯爵は返答に詰まった。
ここで金貨を引っ込めれば、口先だけで賭けを持ちかけたことになる。
かといって署名すれば、嘲笑していた鉱山の復旧へ自分の金を出すことになる。
どちらを選んでも、先ほどまでの余裕は失われる。
周囲の視線を集める中、伯爵は羽ペンを取った。
「よろしい。子爵殿の手腕へ、期待させていただきましょう」
「ご信頼に感謝いたします」
契約書へ署名が入り、金貨が予約金としてエマの手元へ渡る。
それに続いて、二人の若い貴族が少額の予約権を購入した。
一方で、書類を最後まで読み、署名を断る者もいた。
「運送量も、開始時期も保証されていない。私には買えません」
「賢明なご判断です」
ルシアンは拒絶した相手にも、変わらぬ態度で一礼した。
残りの者たちは様子を見守り、金を出さなかった。
夜会にいる王族派全体を動かしたわけでも、鉱山の復旧費を賄えるほどの資金を得たわけでもない。
それでもルシアンは、数分前まで自分を笑っていた者たちから、現地調査に使えるだけの金と、将来の運送契約を引き出していた。
筆頭公爵は杯を口元へ運びながら、その一部始終を見届けた。
「父上」
隣に立つ娘が、静かに声をかけてきた。
彼女は若い貴族たちの笑いには加わらず、最初から契約書とルシアンの言葉だけを見ていた。
「あの方は、何を見落とさせたのでしょう」
「なぜ、そう思う?」
「契約した方々は、鉱山から採れる鉱石を運ぶつもりでいます」
「鉱山の運送権なのだから、当然であろう」
「ですが、オーリ子爵は一度も、鉱石を運ぶとは言っておりません」
筆頭公爵は、卓上に残された契約書の控えへ目を向けた。
確かに、ルシアンが口にしたのは、鉱山の復旧後に生まれる運送契約だけだ。
何を、どれほど、いつから運ぶのかは約束していない。
若い貴族たちは、枯れた鉱脈が再び利益を生むかどうかを賭けているつもりだった。
だがルシアンは、その賭けに乗っていない。
彼は鉱山が何になるのかを明かさないまま、そこから生まれるかもしれない利益だけを先に売った。
「なるほど」
筆頭公爵は、空になった杯を給仕へ預けた。
金を奪ったのではない。
賭けを持ちかけた若者たちへ、金を引くか、王家への信頼を示すかという二つの道を示した。
そのうえで、どちらを選んでも自分が利益を得られる場所へ立っていた。
相手の選択肢を狭め、自ら望んで歩かせる。
公爵は、卓上へ置かれた報告書を指先で叩いた。
「陛下が猟犬と呼ぶ理由は分かった。だが、鎖なしで放ってよい男ではない」
「お前は、あの子爵をどう見る」
「有能です。ですが、忠実かどうかは分かりません」
「余計な好意も嫌悪も持たぬか」
「今夜初めてお会いした方に、どちらを持つ理由もございません」
娘は即座に答えた。
「お前は血筋だけで相手を測らず、言葉を正確に聞く。あの男の隣へ置くなら、従順なだけの娘では役に立たぬ」
ルシアンは未婚で、直系の相続人もいない。
婚姻によって娘をオーリ家へ入れれば、その財力と人脈は王族派へ結び付く。
将来生まれる相続人にも、筆頭公爵家の血が入る。
筆頭公爵は、背後に控える侍従を手招きした。
「陛下へお伝えしろ。オーリ子爵は未婚で、直系の相続人もいない。王族派へ迎えるなら、今が最も安いとな」
侍従が一礼して離れる。
公爵令嬢は何も言わなかった。
ただ、杯を持つ指だけが僅かに強く重なった。
筆頭公爵は、広間の向こうで新たな出資者と話すルシアンを眺めた後、隣に立つ娘の横顔へ視線を移した。
猟犬には、主人の家の首輪が要る。
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