第12話「王家の使者」
昨晩の静かな祝杯から一夜明け、オーリ邸はいつもの穏やかな朝を迎えていた。
窓から差し込む陽光が、執務机に積まれた新たな領地の報告書を白く照らし出している。
ルシアンは背もたれに深く身を預け、流れるような手つきで決裁のサインを続けていた。
中堅領主二人が同時に破滅し、その莫大な利権がオーリ領に吸収された事実はすでに王都を駆け巡っている。
水面下で蠢く敵対勢力の動揺や、次なる標的への布石を計算に含めながら、彼の思考は止まることなく先の盤面を描き続けている。
ペン先が紙を擦る小気味良い音だけが、静謐な空間を満たしていた。
「旦那様」
ノックの音とともに、静かな声が執務室の空気を揺らした。
ドアの前に立つセレナの表情に変化はないが、その声のトーンには微かな緊張が混じっている。
彼女の背後には、財務担当のギルバートと法務補佐官のエマが息を潜めて控えていた。
「来たか」
ルシアンが羽ペンを置くと、セレナは静かに頷き、手にした銀のトレイを差し出した。
そこに乗せられているのは、最上級の羊皮紙で作られ、重々しい封蝋が施された一通の書状だ。
封蝋に刻まれているのは、アスティア王国の頂点に君臨する現国王の紋章。
「王宮からの使者が到着いたしました。応接室にてお待ちいただいております」
ギルバートが額に滲んだ汗をハンカチで拭い、押し殺した声で報告を補足する。
窓の外へ視線を向ければ、オーリ邸の中庭には見慣れぬ豪奢な馬車が停まっていた。
馬車の側面には王家の紋章が輝き、護衛として付き従うのは国王直属の近衛兵たちだ。
貴族派の金庫番を次々と葬り去り、巨大な力を持ったオーリ子爵領。
その異常なまでの台頭を、新王が率いる王族派の重鎮たちが指をくわえて見ているはずがない。
いずれ接触してくるとは思っていたが、王家からの直接の使者とはね。予想よりもずいぶんと気が早い」
ルシアンは身内にしか見せない砕けた口調で呟き、銀のトレイから書状を手に取った。
指先でその滑らかな質感を確かめ、封蝋を躊躇うことなく割る。
折り畳まれた羊皮紙を音を立てて開くと、部屋の空気が一気に張り詰め、三人の側近の視線が集中した。
「……ルシアン様。王宮からの呼び出し、でしょうか」
エマがおどおどとした様子で、ルシアンの横顔を窺い見た。
相手は王国の最高権力者であり、建国時から続く古い血筋を誇る大貴族たちの巣窟だ。
何かと理由をつけて反逆罪の嫌疑をかけられるのではないかという恐怖が、彼女の肩を震わせている。
「『オーリ子爵の王国への多大なる貢献を称え、直々に言葉をかけたい。今宵の王宮での晩餐へ招待する』……だそうだ」
読み上げられた文面に、ギルバートが短く息を吐き出す音が聞こえた。
表向きは名誉ある晩餐への招待だが、その裏に隠されているのは強烈な牽制と腹の探り合いだ。
お飾りの近衛兵しか持たない現国王にとって、巨大な財力と知略を持つルシアンは、手駒として引き入れるか、早期に潰すべき脅威。
「危険です。敵地へ丸腰で乗り込むことになります」
セレナが感情を抑え込んだ声で、客観的な事実だけを告げる。
王族派の貴族たちは高位な身分を誇る一方で、慢性的な資金不足に陥っている者が多い。
だからこそ、成金のように膨れ上がったオーリ領の財力を、権威と血筋による圧力で強引に奪い取ろうとしてくる可能性が高い。
「国王陛下が直接動かれたとなれば、我々が王家布告などを盾に拒絶することは実質不可能です」
エマが自身の法務知識を引き出しながら、青ざめた顔で付け加える。
相手は逃げ場を塞いだ上で、王宮という巨大な密室へルシアンを引きずり込もうとしている。
「エマ、そう構えるな。血筋の古さにあぐらをかき、その場しのぎの特例法を乱発するような連中だ。複雑な法体系など、はじめから理解していない時代遅れの亡霊だ」
「むしろ、王族派のトップと直接対話ができる絶好の機会だ。この国の構造を根本から解体するためには、いつかは越えなければならない壁だからね」
ルシアンは身だしなみを整えるように軽く襟元に触れ、使者が待つ応接室へ向かうべく歩みを進めた。
部屋の出口で一度立ち止まり、背後に控える三人を振り返る。
その口元には、未知のゲームを前にした猟犬のような、不敵で冷酷な笑みが浮かんでいた。
「さて、王族派の古狸どもに会いに行こうか」
ルシアンの言葉に応じるように、セレナが音もなく主人の斜め後ろへ付き従う。
扉の向こうに待ち受けるのは、特権と権威が支配する王宮での息の詰まるような知恵比べだ。
中庭で待つ豪奢な馬車が、彼らを飲み込むための巨大な檻のように、静かにその口を開けていた。
ここまでおお読み頂き、ありがとうございます!
今後ともご支援よろしくおねがいします(●'◡'●)
※次回、明日朝6時20分更新です




