第9話「父への手向け」
「連行しろ」
最高司法審判官の無機質な号令が、地下の特別法廷に響き渡った。
独立司法軍の兵士たちが静かに動き出し、床に崩れ落ちたまま動けないコーダ男爵とデンゼル子爵の両脇を固める。
手首に冷たい鉄の枷をはめられても、彼らは抵抗する気力すら失っていた。
「私の……私の領地が……!」
デンゼル子爵の口から、うわ言のような掠れ声が漏れた。
コーダ男爵は兵士に引きずられるようにして立ち上がらされながらも、焦点の合わない目で宙を見つめている。
かつて王都の夜会で傲慢に振る舞い、他者を踏みにじってきた彼らの面影は、もはやどこにも残っていない。
ただ己の欲に溺れ、自らの手で破滅の引き金を引いた哀れな道化の末路だ。
エマは参考人席の前に立ち、連行されていく二人の後ろ姿を静かに見つめていた。
彼女の小柄な肩はもう震えていない。
胸に抱え込んだ分厚い資料の重みが、今はとても心地よく感じられた。
あの男たちが、かつて父を陥れるために用意した偽造の告発状。
幼かったエマの目の前で、清廉だった父の誇りを汚し、すべてを奪い去っていった卑劣な罠。
法を都合の良い道具として弄んだ彼らは、四百年の時を経て埃を被っていた絶対の法によって、そのすべてを剥奪された。
エマの脳裏に、冷たい牢獄で最期を迎えた父の顔が浮かぶ。
『法は、決して人を不幸にするためのものではない』
死の直前まで信じていた父。
その真っ直ぐすぎる信念は、腐敗した貴族社会という盤上においては脆すぎた。
だが、今は違う。
エマは無意識のうちに、隣で優雅に足を組んで座るルシアンの方へと視線を向けた。
彼は退屈そうに、兵士たちに引きずり出されていく男たちを眺めている。
この若き主人は、法を人を救うためのものだとは決して言わない。
法を「最強の武器」と呼び、冷徹な計算のもとに敵の喉元へ突き立てる。
父の正義では裁けなかった悪党たちを、彼は法という暴力を用いて、これ以上ないほど無慈悲に粉砕してみせた。
重厚な石造りの扉が閉まり、コーダ男爵とデンゼル子爵の姿が完全に法廷から消えた。
同時に、エマの胸の奥で、長年彼女を縛り付けていた冷たい氷が音を立てて崩れ落ちる。
父の無念を晴らしたという重たい達成感が、じわりと全身に広がっていく。
だが、それは決して、光に満ちた清々しいものではない。
自らの手で緻密な法的罠を構築し、憎き仇を同士討ちさせて絶望の淵へ叩き落としたという事実。
その過程で味わった、暗く歪んだ悦び。
復讐の甘い毒は、すでにエマの血肉の隅々にまで深く染み渡っていた。
彼女は自分が、もう二度と父のような清廉な法務官には戻れないことを悟った。
「……見事な働きだったよ、エマ」
不意に、ルシアンが立ち上がりながら声をかけた。
法廷の冷ややかな空気の中で、彼の声だけが夜の闇のように静かに響く。
「君のその執念とも言える知識がなければ、この面倒な手続きをこれほど鮮やかに終わらせることはできなかった」
ルシアンは視線も合わせず、ただ事実だけを淡々と述べるようにそう言った。
労いや同情の言葉など、そこには一切含まれていない。
あくまで、優秀な手駒の働きを評価する、冷酷な支配者の声だ。
だが、エマにとってはその冷たさこそが、何よりも確かな救いだった。
「もったいないお言葉です、閣下」
エマは深く頭を下げた。
もう、彼女の目に怯えの色はない。
彼女はゆっくりと顔を上げ、ルシアンの背中を見つめながら、静かに、だが確かな熱を帯びた声で告げた。
「私、閣下のもとでなら……どこまでも、悪くなれそうです」
それは、没落した元宮廷法務官の娘が、冷徹な悪徳子爵へ捧げる生涯の忠誠の誓いだった。
法を愛し、法を武器として生きる彼の背中を、地の底まで追いかけようという狂気的なまでの決意。
ルシアンは振り返ることなく、ただ微かに喉の奥で笑い声を漏らす。
「頼もしいことだ。……さて、長居は無用だ。帰ろうか」
二人が法廷を後にしようとしたその時、背後の大扉が乱暴に押し開かれた。
けたたましい足音とともに、数人の貴族たちが血相を変えて転がり込んでくる。
その先頭に立つのは、王族派のシンボルである大公爵の紋章を身につけた、初老の男だった。
「待て! この判決は無効だ!」
男の怒号が、静まり返っていた法廷に叩きつけられる。
息を切らし、顔を真っ赤に染め上げたその姿は、大貴族の威厳などかなぐり捨てた必死の形相だった。
法壇の審判官たちが、不快そうに眉をひそめて立ち上がる。
ルシアンは歩みを止め、ゆっくりと振り返った。
その顔には、新たな獲物の到来を待ちわびていたかのような、底知れない冷徹な笑みが浮かんでいた。
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