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悪徳子爵は裁かれない  作者: 空っぽの零時
第3章:共食いの晩餐
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第7話「隠された条文」

 冷たい大理石の床を踏みしめる靴音が、静まり返った法廷に小さく響く。


 エマは手元の分厚い資料を胸に抱きかかえ、怯えた子羊のように肩を震わせる。

無数の中立派の審判官たちから注がれる視線が、痛いほどに肌を刺す。


「オーリ子爵の法務補佐官。近隣領主の参考人として、何か発言が?」


 法壇から見下ろす最高司法審判官の無機質な声に、エマはビクッと体を強張らせた。

傍聴席に座るルシアンの姿を横目で見やると、彼は優雅に足を組み、ただ静かに頷いている。

その瞳から温度は感じられなかったが、彼が何を求めているのかは痛いほどに分かっていた。


「は、はい……その、恐れながら」


 絞り出すような細い声で答えると、被告席と原告席に立つ二人の男が鼻で笑った。

コーダ男爵もデンゼル子爵も、小娘一人が何を言おうが自分たちの勝利は揺るがないと信じている。


 かつてエマの父を無実の罪で陥れ、冷たい牢獄で死に追いやった時と同じ、強者の傲慢な顔だ。


 胸の奥底で、ドロドロとした暗い感情が熱を帯びて膨れ上がっていく。

彼らは父を奪い、家を奪い、法を自分たちの都合の良い道具として弄んだ。

だからこそ、父が最も愛した道具によって、彼らが築き上げたすべてを理不尽に奪い去ってやらなければならない。


「お二人の提出された『隣接領地救済法』の申請書ですが……」


 エマは怯えた表情を崩さないまま、震える指先で手元の書類をめくった。


 声の震えは恐怖によるものではない。

喉から飛び出しそうになる狂気的な悦びの笑いを、必死に噛み殺しているための震えだった。


「それぞれの不正を告発する証拠とともに、法務省に正式に受理されたということで、お間違いないでしょうか」


「当然だ。私が提出したコーダ男爵の裏帳簿は、いかなる審査にも耐えうる本物だからな」


 デンゼル子爵が、勝利を誇示するように身を乗り出して叫ぶ。


「ふん、私の持ち込んだ証拠こそが真実だ。デンゼルの二重徴税はすでに法的に証明されたも同然だろう」


 コーダ男爵も負けじと声を荒らげ、互いに相手を嘲笑うように睨み合った。


 二人の主張を聞き届けた審判官が、手元の調書に淡々とペンを走らせる。


「ええ。双方の提出した証拠は真正なものと認められ、それぞれの王国法違反がこの法廷で立証されました」


 審判官の言葉は、二人の男にとって己の勝利を決定づける鐘の音に聞こえた。

彼らは互いに、自分が相手の領地を飲み込んで生き残るのだと信じて疑わない。

だが、エマはその滑稽な姿を見つめながら、ゆっくりと顔を上げた。


「……受理されてしまったのですね。お二人とも」


 エマの口からこぼれたのは、同情とも哀れみともつかない、ひどく冷たい響きを帯びた声だった。


 先ほどまでのオドオドとした態度は、もはやどこにも残っていない。

異変を感じ取った二人の男が、怪訝そうに眉をひそめてエマを睨み返した。


「申請書には、重大な欠陥があります」


 エマは抱えていた資料の中から、ひときわ古びた羊皮紙を抜き出した。

それは彼らが商人から大枚をはたいて買い取った法案の、真の姿を記した原本。

意図的に切り取られ、隠されていた後半部分の条文が、そこにははっきりと記されていた。


「『隣接領地救済法』第七項。……不適格な領主を告発し、相手の領地を吸収できるのは、告発者自身が清廉潔白である場合に限られます」


 静まり返った法廷に、エマの澄んだ声が響き渡る。


 コーダ男爵の顔から、さっと余裕の色が抜け落ちた。


 デンゼル子爵もまた、嫌な汗を額に浮かべて言葉を失っている。


「互いに不正を告発し合い、両者ともに王国法違反が認められた場合……」


 エマはゆっくりと息を吸い込み、判決を下す死神のように宣告した。


「その双方は統治能力を失ったと見なされ、両領地は『国庫への全額没収』となります」


 その言葉が法廷に落ちた瞬間、空気がひどく冷え込んだ。


 コーダ男爵とデンゼル子爵の動きが、まるで時間が止まったかのように静止する。

彼らの瞳孔が限界まで見開き、呼吸の仕方すら忘れたように口を半開きにして立ち尽くしていた。


 商人から渡された書類には、自分たちが都合よく相手を飲み込める条件しか書かれていなかった。

まさか、互いを告発し合うこと自体が、二人まとめて破滅するためのトリガーだったとは。

自分たちは生き残るために、自らの手で相手を巻き込みながら断頭台の階段を登っていた。


「あ……あぁ……」


デンゼル子爵の喉から、掠れたような乾いた音が漏れる。

コーダ男爵の巨体はガタガタと激しく震え始め、膝の力が抜けたように法廷の柵にしがみついた。


 彼らはそれを目にした。傍聴席からこちらをあざける様に見下す瞳を。


 ルシアンが、冷たい瞳で彼らを見下ろしていた。

その口元に浮かぶのは、獲物が罠にかかって苦しむ様を眺める、底知れない捕食者の笑みだ。


 彼らはようやく理解した。

自分たちが、最初から誰の手の上で踊らされていたのかを。

そして、この絶望的な罠から抜け出す方法が、もはやどこにも残されていないということを。



ここまでおお読み頂き、ありがとうございます!

今後ともご支援よろしくおねがいします(●'◡'●)

※次回、明日朝6時20分更新です

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