第4話「疑心暗鬼の宴」
王都の中心部に構えられた、歴史ある公会堂の豪奢なホール。
天井から吊るされた巨大なシャンデリアが、集まった貴族たちの着飾った姿を煌びやかに照らし出している。
長机には各地から取り寄せられた珍味や最高級のワインが並べられ、彼らの特権と富の象徴として飾られていた。
しかし、弦楽器の優雅な調べが流れる空間には、どこか落ち着きのない焦燥感が漂っている。
「おお、デンゼル子爵。今宵も一段と素晴らしいお召し物ですな」
コーダ男爵は、すれ違った知人にひときわ大きな声で挨拶を投げかけた。
手にしたグラスの赤ワインを揺らしながら、恰幅の良い体を揺らして笑い声を上げる。
周囲に自身の余裕を誇示するかのような、ひどく芝居がかった振る舞いだ。
「男爵こそ。先日の落馬の怪我は、もうよろしいので?」
応じたデンゼル子爵の細い目には、仄暗い嘲りの色が浮かんでいる。
落馬というのは表向きの理由であり、実際は資金繰りの悪化で私兵団の一部が暴動を起こしかけた際の怪我だ。
痛いところを突かれたコーダ男爵は、グラスを持つ手にギリッと力を込める。
「ええ、大したことはありませんよ。それよりも、子爵の領地で流行っているという奇病の方が心配ですな」
今度はデンゼル子爵の頬が、ピクリと引き攣る。
奇病という名の栄養失調で、領民たちが次々と倒れている事実を遠回しに揶揄されたのだ。
互いに致命的な弱みを抱えながら、相手の傷口を優雅な言葉で抉り合う。
巨大な資金源であったヴァルデマール伯爵を失った貴族派の夜会は、もはや醜い足の引っ張り合いの場と化していた。
コーダ男爵は適当な相槌を打ってその場を離れ、人混みを抜けてバルコニーへと向かう。
冷たい夜風を肺に吸い込み、乱れそうになる呼吸を必死に整えた。
懐には、数日前に商人から大枚をはたいて買い取った『隣接領地救済法』の書類が忍ばせてある。
隣の領主が管理能力を失ったと証明できれば、合法的に領地を乗っ取ることができる魔法の法案。
だが、それを法務省に受理させるには、デンゼル子爵の不正を裏付ける決定的な証拠が必要だった。
焦りばかりが募り、男爵は無意識に太い指でバルコニーの石造りの手すりを掻きむしる。
自慢の私兵団を繋ぎ止めるための資金は、あと数日で底を突く。
もし暴動が起きれば、自分の首が物理的に刎ねられるのは火を見るよりも明らかだ。
「失礼いたします。お飲み物のおかわりはいかがでしょうか」
背後からかけられた控えめな声に、コーダ男爵は弾かれたように振り返った。
銀のトレイを手にした、そばかす顔の地味な給仕の少女が立っている。
男爵が苛立たしげに手を振って追い払おうとした瞬間、彼女の足元がわずかにもつれた。
「きゃっ……! 申し訳ございません!」
トレイの上でグラスが傾き、男爵の靴のつま先に冷たい水滴が跳ねる。
少女は青ざめた顔で床に這いつくばり、慌てて持っていた布で水気を拭き取り始めた。
コーダ男爵が怒鳴りつけようと息を吸い込んだ時、彼女の胸元から折り畳まれた羊皮紙がポロリとこぼれ落ちた。
宛名には、見慣れたデンゼル子爵の紋章が封蝋として押されている。
少女はそれに気づかず、必死に床を拭き続けていた。
コーダ男爵の脳裏に、どす黒い閃きが走る。
あれは間違いなく、他領の密偵からデンゼル子爵宛てに届けられた密書だ。
「……もうよい。下がれ。誰かに見られる前に早く行け」
男爵が低く唸ると、少女は何度も頭を下げながらそそくさとバルコニーから逃げ去っていった。
周囲に誰もいないことを確認し、男爵は床に落ちた羊皮紙を素早く拾い上げる。
封蝋を乱暴に引きちぎり、月明かりを頼りに中身の文面を目で追った。
書かれていたのは、デンゼル子爵が私兵団の給与を誤魔化すために行っていた、領民からの二重徴税の記録。
裏帳簿の保管場所まで詳細に記された、これ以上ないほど決定的な告発の材料だった。
さらに男爵の目を釘付けにしたのは、文末に添えられた走り書きだ。
『コーダの領地経営は間もなく破綻する。奴が動く前に隣接領地救済法を申請し、すべてを奪い取る準備を進めよ』
男爵の顔から、さっと血の気が引いた。
デンゼル子爵もまた、自分と同じ法案を手に入れ、自分を食い殺そうと企んでいた。
どす黒い熱が首筋までを覆い尽くす。
ギリッと耳障りな音を立てて奥歯が鳴り、持っていた羊皮紙を憎悪のままにクシャクシャに握り潰す。
バルコニーのガラス窓越しに、ホールで談笑しているデンゼル子爵の姿が見える。
恰幅の良い商人とグラスを合わせているその笑顔が、今は自分を嘲笑う悪魔の顔にしか見えない。
喉の強烈な渇きを覚え、男爵はネクタイを引き剥がすように緩める。
あの男は、すでに自分を法廷の断頭台へ引きずり出す準備を終えている。
このままでは、法務省に先手を打たれて自分が破滅する。
生き残るための道はただ一つ、相手よりも早くこの証拠を突きつけることだけだ。
男爵は振り返ることなくバルコニーを後にし、夜会の会場から逃げるように駆け出した。
その様子を、物陰から静かに見送る目があった。
先ほどの給仕の少女、暗部の構成員クロエだ。
彼女の地味な顔に、獲物の破滅を確信する冷たい笑みが浮かぶ。
彼女がわざと落とした手紙は、エマが偽造し、ザックが密かに持ち込んだ最高品質の毒餌だった。
コーダ男爵が飛び乗った馬車は、石畳を激しく蹴立てて夜の王都を疾走していく。
向かう先は、夜間でも緊急の告発を受け付けている法務省の特別窓口だ。
すり減った車輪の音が、破滅へ急ぐ秒針のように冷たい夜気に響き渡る。
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