表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪徳子爵は裁かれない  作者: 空っぽの零時
第3章:共食いの晩餐
PR
29/62

第3話「復讐者の法典」

 オーリ邸の東塔に位置する大書庫は、太陽の光が届かないよう分厚い遮光カーテンが引かれている。


 天井まで届く巨大な本棚が迷路のように入り組み、古い羊皮紙と埃の匂いが静かな空気に溶け込んでいる。

その部屋の最も奥、ランプの灯りだけが頼りの机に向かい、エマは一心不乱に羽ペンを走らせる。


「……第百四十二条……いえ、違う。これでは抜け穴がある」


 インクの染みがついた指先で、彼女は自分の背丈ほどに積み上げられた過去の判例集を次々とめくっていく。

普段の彼女なら、人の目を見ることもできずに怯える小動物のように縮こまっているはずだ。

だが今のエマの瞳には、罪人の首を確実にはね落とす断頭台の刃のような、冷たく研ぎ澄まされた光が宿り、口元では無意識に何かの条文を呪文のようにつぶやき続けている。


「ありました……四百年前の判例。これなら、あの条文の欠陥を覆い隠せる」


 ザックがコーダ男爵とデンゼル子爵に売りつけた『隣接領地救済法』の写し。


 それは、エマが膨大な資料の海から見つけ出し、ルシアンの指示のもとで「ある一文」だけを意図的に削除して作り上げた偽造の書類だった。

彼女は今、その書類が法務省の厳しい審査をすり抜け、かつ標的の二人が絶対に逃れられないよう、緻密な法解釈の罠を構築している最中だ。


「エマ。少し根を詰めすぎじゃないかい?」


 不意に背後からかけられた声に、エマは弾かれたように肩を跳ねさせ、羽ペンを取り落とした。

振り返ると、いつの間にか本棚の影にルシアンが立っている。

彼の足音は、静寂に包まれたこの書庫の中でさえ全く聞こえなかった。


「ル、ルシアン様……! も、申し訳ありません、お見苦しいところを……!」


 エマは慌てて立ち上がり、震える手で乱れた髪を直そうとする。


 先ほどまでの猟犬のような鋭さは一瞬にして消え失せ、いつものおどおどとした少女の姿に戻っていた。

ルシアンはエマが落とした羽ペンを拾い上げ、彼女の机にそっと置いた。


「謝る必要はないよ。君の仕事の早さには、いつも感心させられているからね」


 ルシアンは机の上に広げられた書類の束を一瞥し、獲物を追い詰める狩人のような笑顔を見せた。


「……コーダ男爵とデンゼル子爵。彼らが、君のお父上を無実の罪で獄中死に追いやった実行犯だったね」


 その名前を聞いた瞬間、エマの体が微かに強張った。


 彼女の父親は、かつて宮廷法務官として清廉潔白に職務を全うしていたが、貴族派の不正を暴こうとして逆に罠にはめられた。

爵位を剥奪され、苗字を失い、冷たい牢獄の中で暗殺された父の無念が、彼女の心臓を冷たく締め付ける。


「はい……。奴らは、父の告発状を偽造し、証人を金で買収しました」


 エマの声は震えていたが、その奥にはドロドロとした黒い感情が渦巻いている。


「……法を都合の良い道具として使い、私のすべてを奪いました。だから……」


 エマは机の上の書類に視線を落とす。

そこには、彼女が自らの手で書き上げた、二人を破滅に導くための『隣接領地救済法』の真の条文が記されていた。

彼女の指先が、その文字をなぞるようにゆっくりと動く。


「だからこそ、奴らには法によって裁かれ、すべてを失う絶望を味わって欲しいのです」


 ルシアンは何も言わず、ただ静かにエマの言葉を聞いていた。

彼女の抱える憎悪が、どれほど深く暗いものか、彼は痛いほどに理解している。

同じように、理不尽な貴族社会という盤上で大切なものを踏みにじられた者として。


「……素晴らしいよ、エマ」


 ルシアンの声は、夜の闇のように静かで、そして甘かった。


「君のその法に対する執着が、私には何よりの武器になる。彼らに、法がどれほど残酷な刃になるか教えてやろうじゃないか」


「ルシアン様……」


 エマは息を呑み、そして、ゆっくりと顔を上げた。

彼女の瞳から怯えは消え、代わりに、暗く淀んだ愉悦の色が広がっている。

それは、自らの手を汚すことなく、最も残酷な方法で復讐を果たすことを許された者の顔だった。


「お父様……」


 エマはポツリと呟き、再び羽ペンを握りしめた。

ペン先から滴る黒いインクが、羊皮紙の上にシミを作っていく。


「ようやく、奴らを裁けます」


 薄暗い書庫の中に、エマの歪んだ笑い声が低く響き渡る。

ルシアンの冷徹な采配と、エマの法務知識という名の凶刃。

二つの狂気が交わり、飢えた獣たちを閉じ込める法廷という名の檻の鍵が、今まさにかけられようとしていた。


----------------------------


 その頃、王都の法務省。

重厚な門をくぐり抜けた二台の馬車から、それぞれ全く別の方向へと足早に向かう影があった。


 一人はコーダ男爵、もう一人はデンゼル子爵。


 彼らの手には、ザックから買い取った『隣接領地救済法』の申請書類が握りしめられている。

互いを出し抜き、生き残りをかけた泥沼の申請合戦が、ルシアンとエマの思惑通りに幕を開けた。


 だが、彼らはまだ知らない。その書類が受理された瞬間、彼らの首に死の縄がかけられるということを。



ここまでお読み頂きありがとうございます!

毎日朝6時20分に更新です!


「面白い」「次話も読みたい」と思って頂きましたら、

・ブックマーク(お気に入り登録)

・☆評価

・感想やレビュー


ぜひ!どうか!なにとぞ!ご支援よろしくお願いいたしますm(_ _m)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ