第8話「暴発」
闇に包まれたバルバロ男爵邸の中庭に、車輪が石畳を軋ませる重い音が響いた。
暴徒と化した領民たちの怒号が遠くから聞こえ続ける中、数台の幌馬車が屋敷の裏門から密かに滑り込んでくる。
バルバロ男爵は震える体に分厚いガウンを羽織り、血走った目でその光景を出迎えた。
「お待ちしておりましたよ、男爵閣下」
馬車の御者台から飛び降りたのは、先ほど執務室で契約を交わしたばかりの、あのフードの商人だった。
彼は恭しく一礼すると、荷台を覆っていた分厚い帆布を一気に引き剥がす。
月明かりの下に姿を現したのは、鈍い光を放つ真新しい鉄の剣や槍の山だった。
「おお……おおお!」
男爵の喉から、歓喜に震える獣のような声が漏れた。
彼は太い指で一本の長剣を乱暴に掴み取り、そのずっしりとした重みと鋭い刃の感触を確かめる。
正規の刻印がどこにも打たれていない、他領の非合法な裏工房で鍛えられた密輸武器だ。
平民の暴徒が持つような農具とは比べ物にならない、純然たる殺戮の道具であった。
「これだ、これこそが私が求めていた力だ!」
男爵は狂ったように笑い声を上げ、長剣を夜空に向けて高々と掲げた。
死の恐怖に蝕まれていた彼の脳内は、再び手にした暴力という名の麻薬によって、一瞬にして万能感に満たされていく。
これさえあれば、自分に逆らう愚民どもを根絶やしにできると確信した。
「裏の傭兵たちはどうした!今すぐこの武器を持たせ、広場で喚いている豚どもを一人残らずミンチにしてやれ!」
男爵が唾を飛ばして商人に詰め寄る。
しかしフードの奥の商人の瞳は、獲物が罠へ落ちたことを確認した狩人のように、冷たく細められていた。
「ご安心を。彼らにはすでに『最高の配置』につくよう指示を出しております」
商人の声には先ほどまでの卑屈な響きはなく、どこか事務的な冷酷さが混じっていた。
だがすっかり理性を失い、手にした武器の力に酔いしれている男爵が、その微かな変化に気づくはずもない。
「そうか、素晴らしい!あの給料泥棒の裏切り者どもにも、大貴族に逆らった愚かさをたっぷりと教えてやらねばな!」
男爵は自らの特例法という盾を過信していた。
領内の治安維持のために武器を調達したのだから、これは正当な防衛行為であると、心の底から自分に言い聞かせていた。
しかし正規の手続きをすっ飛ばした非合法な武器の大量密輸は、いかなる特例法をもってしても擁護できない、明確な王国法違反。
他領への軍事侵攻すら疑われる、国家への明確な反逆行為。
ルシアンが周到に張り巡らした経済封鎖と暴動の恐怖は、男爵の理性を麻痺させ、自ら進んで破滅の引き金を引かせるためのものだった。
「さあ、反撃の時間だ!私をコケにした報いを、たっぷり……」
男爵が血走った目で屋敷の正門を振り返り、号令をかけようとした、まさにその時。
ズズン、と。
足元の石畳が、微かな地鳴りとともに震えた。
「……なんだ?暴徒どもが門を破ったのか?」
男爵は怪訝に眉をひそめ、手にした長剣を構え直した。
しかし屋敷の周囲を包み込み始めたその音は、統率の取れていない平民の暴動などとは根本的に異なっていた。
ガシャ、ガシャ、ガシャ。
一糸乱れぬ金属の擦過音と、硬い軍靴が石畳を踏み鳴らす重低音。
それは極限まで訓練された本物の軍隊だけが発することのできる、死を告げる足音だった。
男爵の顔から、さっと血の気が引いていく。
「な、何事だ……何が起きている!」
彼が後ずさりをした瞬間、屋敷を取り囲む高い石壁の向こう側から、無数の松明の炎が一斉に燃え上がった。
暴徒たちが掲げていたような粗末な木の枝ではない。
油をたっぷりと含み、風に煽られても決して消えることのない軍用の松明だ。
その眩い光に照らし出され、正門の向こう側にそびえ立つように現れたのは、白銀の重装甲に身を包んだ圧倒的な数の兵士たちだ。
「は?……王都からの援軍か?いや、私は特例法を……」
男爵の震える呟きは、絶望の淵へと真っ逆さまに突き落とされた。
兵士たちが掲げている旗印は、アスティア王国の国章ではない。
絶対的な法の執行を意味する、中立派の黄金の天秤の紋章。
「ど、独立司法軍……だと……?」
手にした違法な長剣が力のない指先から滑り落ち、石畳に甲高い音を立てた。
歓喜に満ちていたはずの中庭の空気は、一瞬にして身を切るような絶対零度の恐怖へと反転する。
彼を守るはずだったフードの商人は、いつの間にか影の中に溶けるように姿を消していた。
地鳴りのような足音が、屋敷を包囲する。
逃げ場のない鉄の檻の中で、男爵はただ一人、自らが招き入れた死の足音に震え上がることしかできい。
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