第2話「善意の通報」
夜明け前、司法庁の馬車がバルドー男爵の領都別邸へ到着した。
正門前に立った司法官は、出迎えたバルドーへ一枚の羊皮紙を差し出した。
司法審判官の印が押された捜索令状には、別邸と敷地内の倉庫、停められている荷馬車が捜索の対象として記されている。
「匿名の通報だけで、貴族の屋敷を捜索するつもりか」
バルドーは令状を受け取らず、司法官の後ろに並ぶ司法庁の書記官たちを見回した。
「通報を根拠として令状が発行されたわけではありません」
司法官は羊皮紙をバルドーへ向けたまま答えた。
「通報に記されていた場所で、貴殿の防衛施設から逃げ出した領民を保護しました」
「領民が逃げたからといって、犯罪にはなるまい」
「その者は、施設から別の領地へ運ばれる途中で逃げたと証言しています」
司法官は革袋から別の羊皮紙を取り出した。
「証言にあった日付と荷馬車の数は、領境の出門記録と一致しました。三台の荷馬車が貴殿の家印を掲げて領外へ出た後、翌日に空の状態で戻っています」
「石工を送り届けただけだ」
「荷馬車へ乗せられた者は、目的地も報酬も知らされていなかったと答えています」
バルドーの手が、司法官の差し出した令状をつかんだ。
「一人の証言と出門記録だけで、私を罪人として扱うのか」
「罪人とは申し上げておりません」
司法官はバルドーが令状の内容を確認するまで待った。
「司法庁は、取引を記した帳簿と、移送された領民の名簿を捜索します。捜索を拒まれる場合は、独立司法軍へ執行を要請します」
バルドーは羊皮紙を折らず、そばに控えていた家令へ渡した。
「好きに探せ」
司法官が片手を上げると、書記官たちが別邸へ入っていった。
捜索が始まって間もなく、裏手の倉庫から一台の荷馬車が引き出された。
御者台に座る男は、正門とは反対側にある搬入口へ馬を向けている。
司法官は荷馬車の前へ立ち、御者へ停止を命じた。
「その荷は何ですか」
「傷んだ帳簿です。処分するよう命じられました」
御者は荷台を覆う布へ手を伸ばしたが、司法官が先に端を持ち上げた。
荷台には、木箱が三つ積まれていた。
封をしていた縄は新しく、箱の側面にはバルドー男爵家の倉庫印が押されている。
「令状には、敷地内の荷馬車も捜索対象として記されています」
司法官は御者へ告げてから、書記官に木箱を開けさせた。
一つ目の箱には、領民を防衛施設へ送った際の名簿が収められていた。
二つ目の箱からは、荷馬車の使用記録と領外で受け取った金額を記した帳簿が見つかる。
三つ目の箱には、革表紙の帳簿が一冊だけ入っていた。
書記官が帳簿を開くと、人名の代わりに番号が並び、その横には年齢、移送先、受取額が記されていた。
末尾の支払欄には、バルドー男爵家で使われている会計印が押されている。
「その帳簿を、どこへ運ぶ予定でしたか?」
司法官から尋ねられた御者は、バルドーへ顔を向けた。
「傷んだ帳簿を焼却場へ運ぶだけだ」
代わりに答えたのはバルドーだった。
「不要な記録を処分することまで、司法庁の許可が必要なのか」
「通常であれば必要ありません」
司法官は帳簿を閉じ、書記官へ渡した。
「ただし、令状の執行直前に捜索対象となる帳簿を運び出した理由については、確認が必要です」
「私が捜索を事前に知っていたと言いたいのか」
「それを確認するのも司法庁の仕事です」
書記官は三つの木箱へ押収を示す札を掛け、荷馬車から降ろしていった。
バルドーはその作業を止めず、家令へ新しい羊皮紙を持ってこさせた。
「ならば、こちらからも正式に申し立てる」
バルドーは司法官へ告げた。
「元帳簿係を攫い、私の別邸を捜索させるための情報を聞き出した者がいる。最も利益を得る者が誰なのか、司法庁にも調べてもらおう」
「オーリ子爵を告発なさるのですか?」
「関与を疑う理由は揃っている」
バルドーは家令から羽根ペンを受け取った。
「証拠がないのなら、見つけるのが司法庁の仕事なのだろう」
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その日の午後、司法官は再びオーリ子爵邸の執務室を訪れた。
「バルドー男爵から、貴殿に対する正式な申立てが提出されました」
司法官は事情聴取への出頭を求める羊皮紙を、ルシアンの前へ置いた。
「元帳簿係の拉致を命じ、匿名の通報によって司法庁を動かした疑いです」
「捜索では、何か見つかったのですか?」
ルシアンが尋ねると、司法官は答えるまでに短い間を置いた。
「男爵家の帳簿と、移送された領民の名簿を押収しました。内容が事実かどうかは、これから確認します」
「では、叔父上の罪もまだ証明されていない」
「そのとおりです」
司法官は長机の上に置かれた親族後見人の申立書へ目を向けた。
「男爵が違法な取引へ関与したのか、貴殿が違法な手段で捜査を誘導したのか、どちらも現時点では確定しておりません」
「後見人の審査はどうなりますか」
「双方の申立てに関する事実を確認するまで、判断は保留されます」
司法官はルシアンへ出頭の日時を伝えた。
「七日後、司法庁で双方の証言を確認します。貴殿の関与を示す証拠が見つかれば、当主としての適格性も審査の対象となります」
「承知しました」
ルシアンが羊皮紙を受け取ると、司法官は席を立った。
司法官を見送ったセレナが執務室へ戻り、扉を閉じた。
「匿名の通報は、逃げ出した領民の居場所しか記しておりません」
セレナは声を抑えて報告した。
「司法庁が本人の証言と出門記録を確認し、独自に令状を請求しています」
「それでいい」
「元帳簿係と接触した者たちは、今後どういたしますか」
「動かすな」
ルシアンは出頭を求める羊皮紙を、親族後見人の申立書の上へ重ねた。
「急に姿を消せば、叔父上へ居場所を教えることになる」
「一人でも捕らえられれば、旦那様の命令まで辿られる可能性があります」
「その場合は、私も審査を受ける側では済まない」
ルシアンは二枚の羊皮紙をそろえ、長机の端へ寄せた。
「七日間、誰にも新しい命令を出すな。司法庁にも、叔父上にも、我々から証拠を与える必要はない」
「旦那様は、すでに罪を犯しておられます」
「叔父上も同じだ」
ルシアンは押収された帳簿の内容を尋ねなかった。
「先に証明された方が、裁かれる」
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