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悪徳子爵は裁かれない  作者: 空っぽの零時
第2章:飢えた獣の檻
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第6話「見えない絞首刑」

 ルシアンは窓辺に立ち、オーリ領の活気ある街並みを見下ろしていた。

石畳の通りを行き交う荷馬車の列と、市場で笑い合う領民たちの声。

外敵が存在しないこの国において、豊かさとは武力そのものに等しい。


「旦那様、失礼いたします」


 執務室の重厚な扉が開き、執事のギルバートが一礼して足を踏み入れた。

彼の手には、几帳面に整理された分厚い帳簿が抱えられている。


「ザックからの報告によれば、法務省への『善意の告発状』は無事に受理されたとのことです」

「審判官たちも、匿名の王国臣民から届けられた決定的な証拠を前に色めき立っているとか」


「ご苦労様。法を盲信する彼らのことだ。重い腰を上げるまで、そう時間はかからないだろう」


 ルシアンは窓辺から離れ、執務机の革張りの椅子にゆっくりと腰を下ろした。

法的な包囲網の第一段階はこれで完了した。

あとは、飢えた獣が檻の中で狂い、致命的なミスを犯すのを待つだけ。


「それで、ギルバート。『商会部』の動きはどうなっている?」


「抜かりはありません。バルバロ男爵領へと続く主要街道にて、大規模な『検問』と『橋の修繕工事』を開始いたしました」

「男爵領へ向かう食糧や生活物資を積んだ馬車は、すべて我が領地の手前で足止めされております」


 ギルバートは帳簿を開き、インクの染みが一つもない数字の羅列を指し示した。

オーリ領はかつての国境沿いであり、交通と物流の要所を握っている。

ここを封鎖されれば、周辺の領地は文字通り干上がるしかなかった。


「もちろん、表向きは『治安維持のための厳格な荷物検査』と『領民の安全を守るためのインフラ整備』という合法的な名目です」


「素晴らしい。手続きに瑕疵はないね?」


「ございません。法令で定められた通りの手順に則り、通行許可の審査に『規定通りの最大日数』をかけさせていただいております」

「書類の不備を理由に、わざと差し戻しを行っている業者も数多く」


 ギルバートは、元商会の帳簿係らしい底意地の悪い笑みを浮かべた。

かつて貴族の理不尽な暴力で全てを奪われた彼は、ルシアンのこの冷酷な手法に深い陶酔を覚えている。

法が定める審査期間を限界まで引き延ばすという、たったそれだけの合法的な遅延行為。

それが、物資を待つバルバロ男爵領にとっては、首を絞められるに等しい致命的な打撃となるのだ。


「防衛税という名目で重税を課され、さらには食糧すらも底を突く。労働を強制されている領民たちの不満は、まもなく臨界点に達するでしょう」


「人間は、腹が減れば理性を失う。それは高貴なる貴族様とて同じことだ」


 ルシアンは引き出しから銀のペーパーナイフを取り出し、刃先を指で滑らせた。

バルバロ男爵は今頃、屋敷の中で暴動に怯え、兵を動かそうと躍起になっている。

だが、給料も支払われず、ろくな食事も与えられない私兵団が、まともに命令を聞くはずがない。


「金脈と物流という『国家の血液』を止めてしまえば、どれほど屈強な軍隊も干からびて自滅する。武力を持たぬ我々が、強大な私兵団を持つ貴族派を打ち倒す答えがこれだ」


 ルシアンの言葉に、ギルバートは深く頷いた。

剣や槍を交えて血を流すなど、野蛮人のすることだ。

法と経済という見えない糸を操り、敵を盤上から合法的に排除する。


「男爵は暴動を恐れ、必ず武力で鎮圧しようとする。しかし自前の兵は動かず、金もない。……となれば、追い詰められた獣がすがる道は一つしかないね」


「ええ。周囲の領地や、あるいは国境の向こう側から、非合法な手段で武器や兵を『密輸』するしかありません。それこそが、旦那様が狙う最大の罠とも知らずに」


「特例法を盾にしている限り、彼を直接裁くことは難しい。だからこそ、彼自身の手で『王国法違反』という決定的な罪を犯させる必要がある」


 ルシアンの口元が、一瞬だけ加虐を含み歪む。

法を破った瞬間、男爵が握りしめている特例法という盾は粉砕される。


 その時、絶妙なタイミングで執務室の扉が開いた。

セレナが、銀のトレイを恭しく捧げ持って現れる。


「旦那様、紅茶が入りました」


「ありがとう、セレナ。ちょうど喉が渇いていたところだ」


 セレナの無駄のない洗練された所作によって、ルシアンの前にティーカップが置かれる。

琥珀色の水面から立ち昇る芳醇な香りが、部屋に優雅な時間を運んできた。

血の匂いなどしない、美しき犯罪の匂いだった。


 自らは一歩も戦場に赴くことなく、極上の紅茶を味わう。

敵の首が見えない絞首刑の縄でジワジワと絞まっていくのを、特等席で眺めながら。

これこそが、絶対に法を破らない悪徳子爵の、最も優雅な国家解体の作法だ。


「さあ、見せてくれないか。追い詰められた獣の、最期の足掻きを」


 ルシアンはカップをソーサーに置き、遠く離れた地で喘ぐ男爵へ向けて、冷たく乾いた祝杯を挙げた。



ここまでおお読み頂き、ありがとうございます!

今後ともご支援よろしくおねがいします(●'◡'●)

※次回、明日朝6時20分更新です

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