表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪徳子爵は裁かれない  作者: 空っぽの零時
第2章:飢えた獣の檻
PR
18/65

第5話「善意の王国臣民」

 薄暗いバルバロ男爵の執務室とは対照的に、オーリ領の執務室は柔らかな午後の陽光に包まれていた。

微かに漂うベルガモットの香りが、部屋の主の優雅な趣味を物語っている。


 ルシアン・フォン・オーリは、分厚い書類の束をゆっくりと撫でた。

それは、先ほど暗部のクロエから届けられたばかりの、バルバロ男爵の罪を証明する決定的な裏帳簿と命令書だ。


「……ふむ。見事なまでの悪手だな」


 ルシアンの薄い唇から、微かな冷笑が漏れた。

机の向かい側には、専属法務補佐官のエマが、両手で抱えるようにして分厚い法典を抱き締めている。

彼女の顔は蒼白だったが、その瞳の奥には、抑えきれない暗い歓喜の炎がチロチロと燃え上がっていた。


「男爵の命令書は、戦時法第三十八条の『防衛陣地構築に関する特例』を根拠としています……が、これは明確な違法行為です」


 エマの声は細く震えていたが、法に関する指摘だけは、恐ろしいほどの正確さと熱を帯びていた。


「特例の適用には、隣接領地からの明確な武力侵攻の兆候、あるいは軍務省からの事前通達が必須です。オーリ領からそのような動きはなく、当然ながら通達も存在しません」


 彼女は息を呑み、さらに言葉を続ける。


「つまり、男爵が行っているのは、法的根拠のない私的な『違法奴隷化』と『不当徴税』に過ぎません……。これは明確な、王国法違反です……!」


 エマの言葉を聞き終えると、ルシアンは満足げに目を細めた。


 かつてエマの父親を無実の罪で獄中死に追いやった貴族派。

その残党の一人が、自らの焦りから自滅の道を選んだ。


「素晴らしいよ、エマ。君の精査があれば、この証拠は法務省の審判官たちを動かすための、最高の凶器となる」


 ルシアンの言葉に、エマは弾かれたように顔を上げ、頬を紅潮させた。


「は、はいっ……! ですが閣下、この証拠は『草』のクロエが非合法な手段で盗み出したものです。このままでは、証拠能力に疑義が生じるのでは……」


 エマの懸念はもっともだった。

どれほど決定的な証拠であっても、不法侵入や窃盗によって得られたものは、法廷においてその効力を失う可能性がある。


 しかし、ルシアンは焦ることもなく、優雅な手つきで羽ペンを手に取った。


「そのための『魔法』さ。エマ、書類の体裁を整える準備をしてくれ」


 ルシアンは新しい羊皮紙を引き寄せ、滑らかな筆致で文章を綴り始めた。


「告発状の差出人は、私ではない。……名もなき『匿名の善意の王国臣民』だ」


 ルシアンの言葉に、エマはハッと息を呑んだ。


「善意の王国臣民……ですか?」


「ああ。日々の過酷な労働と不当な税の搾取に耐えかねた、哀れで純朴な領民の一人。その者が、勇気を振り絞って法務省に駆け込んだ……という筋書きだよ」


 ルシアンは冷酷な笑みを浮かべ、羽ペンを走らせる。


「法務省の審判官たちは、法を愛するがゆえに、弱者の悲痛な叫びを無下にはできない。彼らは『善意の通報』という体裁さえ整っていれば、証拠の出所を深くは追求しない」


 それが、ルシアンが構築した最強にして最悪の合法システムであった。


 暗部がどれほど手を汚そうとも、それが一度「善意の王国臣民からの告発状」というフィルターを通せば違法性が漂白され、純然たる「正義の鉄槌」へと姿を変える。


「……これで、男爵は法的にも逃げ場を失いますね」


 エマはゾクゾクとするような快感に身を震わせ、書類を抱きしめる力を強めた。


「さあ、正義の執行を法務省に手伝ってもらおうか」


 ルシアンは書き終えた告発状を丁寧に折りたたみ、特別な封蝋で厳重に封印した。


 音もなく、執務室の影から一人のメイドが姿を現した。

セレナは、足音一つ立てずにルシアンの傍らへと進み出る。


「旦那様、ザックへの手配はすでに整っております」


 彼女は感情を排した冷徹な声で告げた。


「頼むよ、セレナ。これを王都の法務省へ。……それと、商会部への指示も忘れないように」


「かしこまりました。バルバロ男爵領への『食糧の流通遅延』、速やかに実行いたします」


 セレナは深く一礼し、封書を受け取ると再び影の中へと消えていった。



ここまでおお読み頂き、ありがとうございます!

今後ともご支援よろしくおねがいします(●'◡'●)

※次回、明日朝6時20分更新です

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ