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悪徳子爵は裁かれない  作者: 空っぽの零時
第2章:飢えた獣の檻
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第3話「防衛の義務」

 領都の中央広場は、耳を塞ぎたくなるような悲鳴と怒号に包まれていた。

重苦しい灰色の雲が空を覆い、湿気を帯びた生ぬるい風が街の淀んだ空気をかき混ぜている。

武装したバルバロ男爵の兵士たちが、長槍の柄で容赦なく領民たちを小突いて回っていた。


 石畳の上に引きずり出された平民たちは、泥にまみれながら必死に命乞いを繰り返している。

だが、冷酷な金属の兜で顔を隠した兵士たちの手が止まることはない。


 なけなしの金貨や銀貨が入った麻袋が次々と没収され、抵抗する者はその場で容赦なく殴り倒されていく。


 広場を見下ろすように急造された高い演壇の上から、バルバロ男爵はその惨状を血走った目で見下ろしていた。

彼の肥え太った体は過剰な装飾が施された鎧で滑稽なほどに膨れ上がり、太い首からは滝のような汗が流れ落ちている。


 その震える手には、王国法務省の古い印が押された分厚い法典の写しが握りしめられていた。


 ヴァルデマール伯爵が失脚し、秘密の資金源が断たれてから数日。

男爵の頭の中は、迫り来る見えない恐怖によって正常な判断力を失っていた。


(オーリ子爵が来る……あの冷酷なアメジストの瞳をした悪魔が、私のすべてを奪いにやって来る……!)


 当然ながら、ルシアンが軍を動かしたという事実はどこにも存在しない。


 すべては暗部の行商人が巧みにばら撒いた噂が生み出した、男爵の頭の中だけの幻影に過ぎなかった。


 だが、疑心暗鬼の沼に沈み切った彼にとって、それは間近に迫った絶対的な真実なのだ。

自分の首と領地を守るためには、今すぐ莫大な資金を集め、傭兵たちの給料を払い、軍備を整えなければならない。

その焦りが、彼に王国法の最悪の禁じ手を使わせていた。


「聞け、愚かな領民ども!」


 男爵の甲高い怒声が、広場の喧騒を切り裂いて響き渡る。


「我が領地は今、野心にまみれたオーリ子爵による不当な侵略の危機に瀕している!」


 その言葉の意味を理解できず、広場に集められた平民たちはただ怯えたように身を寄せ合った。

男爵はニチャリと唾液で濡れた唇を舐め回し、狂気に満ちた笑みを浮かべる。


「外敵の侵略という名目さえあれば、領主の権限で一時的な『防衛陣地構築』と徴税が許される……! この古い『戦時法』の拡大解釈こそが、私を救う唯一の道だ!」


 それは、外敵が存在した四百年前に作られた、現在では誰も使わない忘れ去られた法律だった。


「国家存亡の秋にあたり、貴様ら平民には通常の三倍の『防衛税』を納める義務がある」


 絶望的な宣告に、広場から悲鳴にも似たどよめきが上がった。


 その日のパンを買う金すら事欠く平民たちに、三倍もの重税など払えるはずがない。


「金が払えぬという怠惰な輩は、身をもって国に奉仕しろ!」


 男爵が太い腕を振り下ろすと、待機していた兵士たちが一斉に平民の男たちを捕縛し始めた。


「やめてくれ! 俺が連れて行かれたら、妻と子供はどうやって生きていけばいいんだ!」


「離せ! こんな理不尽が許されてたまるか!」


 領民たちの絶望の悲鳴と、男爵の狂ったような哄笑が響き渡る広場。

――その惨状を、広場の隅にそびえ立つ古びた時計塔の頂から、ただ静かに見下ろしている影があった。


 吹き荒れる生ぬるい風に、漆黒の外套がバサリと翻る。

ルシアン・フォン・オーリは、眼下で繰り広げられる地獄絵図を、舞台劇でも観賞するような冷酷な瞳で見つめていた。


「素晴らしい踊りだ、バルバロ男爵。君が自ら断頭台への階段を上ってくれるおかげで、私の手間が省けたよ」


 彼は指先で、時計塔の冷たい石積みをトントンと叩く。


「さあ、狩りの時間だ。セレナ」


 背後の暗がりに控えるメイド服の少女が、音もなく深く頭を下げる。

狂気に溺れた豚が、自身がすでに盤上で『詰んで』いることに気づくのは、もう少し先の話。


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 泣き叫ぶ声と、地面にすがりつく家族を引き剥がす無慈悲な音が、広場のあちこちで響き渡る。

防衛税を払えない者たちはすべて、タダ働きの強制労働力として男爵の私兵団に引きずられていく。

これこそが、建国時の王が「性善説」に基づいて作ってしまった戦時法の致命的なバグだった。


 他国からの侵略などあり得ない平和な現代に、この法が発動される事態など誰も想定していない。

だからこそ、法の手続きさえ踏めば、領主は防衛という名目のもとに領民を合法的に奴隷として酷使することができる。


 男爵は演壇の上で、次々と荷馬車に詰め込まれていく平民たちを満足げに見下ろしていた。


これで金が集まる。


 タダで強固な防衛陣地を作らせ、浮いた資金で私兵団を強化すれば、自分の身は守られる。

男爵の頭の中には、足元で血を流して泣き叫ぶ領民への憐憫など欠片も存在しない。

あるのはただ、自分こそが理不尽な恐怖に怯える正当な被害者であるという、身勝手で歪んだ正義感だけだった。


「お許しください、領主様! どうか、夫だけは……!」


 演壇の足元まで這い寄ってきた血まみれの女が、男爵の立派な革靴にすがりついて泣き叫ぶ。


 男爵は不快そうに顔をしかめると、無慈悲にその顔面を革靴の踵で蹴り飛ばした。

泥水の中に倒れ伏した女を一瞥すらせず、男爵は胸を張って高らかに宣言する。

その顔に浮かんでいるのは、狂気に彩られた醜悪なまでの自己陶酔だ。


「恨むなら、我らを脅かす卑劣な外敵を恨むのだな」


 男爵は天を仰ぎ、まるで悲劇の英雄であるかのように大げさに両手を広げてみせた。


「これもすべて、愛する我が領と国のためだ」



ここまでおお読み頂き、ありがとうございます!

今後ともご支援よろしくおねがいします(●'◡'●)

※次回、明日朝6時20分更新です

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