第1話「枯れゆく泉」
王都の喧騒から少し離れた、緑豊かな丘陵地帯にひっそりと佇む豪奢な館。
その地下にある防音の秘密サロンでは、アスティア王国の富を貪ってきた貴族派の中堅領主たちが、脂汗を流して額を突き合わせていた。
「どういうことだ! ヴァルデマール伯爵からの今月の裏金が、一枚たりとも振り込まれていないぞ!」
恰幅の良いバルバロ男爵が、怒りと焦りが入り混じった声でテーブルを叩きつけた。
「伯爵は国家反逆罪に問われ、全財産を法務省に没収されたのだ。我々に回す金などあるはずがなかろう」
対面のソファに座る痩せこけた子爵が、青ざめた顔で爪を噛みながら答える。
「馬鹿な……ヴァルデマール伯爵は特例法という絶対の盾に守られていたはずだ!」
「その特例法が、『創世王典』という古い法を引っ張り出されて紙切れにされたのだよ。それも、オーリ子爵というぽっと出の若造の小細工によってな」
最高級のクリスタルグラスが壁に叩きつけられ、赤いワインが血痕のように分厚い絨毯を汚していく。
自身の税収だけでは到底賄えない贅沢品に囲まれ、莫大な維持費を食いつぶす私兵団を抱えた中堅領主たちの顔は、どれも土気色に染まっていた。
不足分を補っていたヴァルデマール伯爵の裏金という「命綱」を断たれた今、彼らの財政は音を立てて崩れ去ろうとしている。
太い指に嵌められた宝石の指輪が、主の激しい震えによってカチャカチャと情けない音を立てる。
絶対的な「金庫番」を失った今、彼らの財政はまさに砂上の楼閣だ。
「このままでは、来月の私兵団への給与すら払えんぞ」
バルバロ男爵が、太い首に巻きついた目に見えないロープを引き剥がすように襟元を掻きむしる。
「金が尽きれば、傭兵上がりの私兵どもは一瞬で暴徒と化し、我々の首を刎ねにくるだろう」
「だ、誰か、別の資金源のあてはないのか! 他の大貴族に泣きつくとか……」
「皆、自分の領地を守るのに必死だ! この状況で、我々のような小物を助けてくれる者などいるはずがない!」
怒号と悲鳴が飛び交い、彼らは互いに責任をなすりつけ合いながら、次第に醜い共食いの様相を呈し始めていた。
優雅な貴族の仮面は剥がれ落ち、そこにあるのはただ、飢えと恐怖に怯える哀れな獣たちの姿だった。
「クソッ……どうすればいい……どうすれば生き残れる……!」
バルバロ男爵は頭を抱え、血走った目で床の絨毯を睨みつけた。
その醜悪なパニックの光景を、部屋の隅でワインボトルを抱えたまま、感情のない瞳で静かに観察している者がいた。
秘密サロンの給仕として雇われている、そばかす顔の地味な少女。
彼女は震える貴族たちのグラスに、一寸の狂いもない滑らかな動作で年代物のワインを注ぎ足していく。
「失礼いたします、旦那様」
少女は一礼し、足音一つ立てずにサロンの扉を抜けて廊下へと出た。
そして、人目につかない厨房の裏口へと回り込むと、懐から一枚の小さな羊皮紙と細い炭を取り出す。
『餌は空。豚は飢えて柵を噛む。共食いが始まる 』
暗号化された短い文字を素早く書き殴ると、彼女はそれを小さな金属製の筒に丸めて押し込んだ。
彼女の名はクロエ。
かつて泥水の中からルシアンに拾い上げられたあの日から、彼女の命と忠誠はすべて若き主人のためにあった。
クロエは夜空を見上げ、屋根の庇に潜んでいた一羽の訓練された鳩を呼び寄せる。
筒を鳩の足に括り付けながら、彼女の地味な顔に、ルシアンとよく似た冷酷で知的な笑みが浮かんだ。
「さあ、旦那様に極上の獲物の情報を届けておいで」
クロエの言葉と共に放たれた鳩は、月明かりの中をオーリ領へ向かって一直線に飛び去っていく。
飢えた獣たちが自らの檻の中で暴れ回っていることも知らずに、彼らの破滅を告げる黒い羽ばたきは夜空へと消えた。
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