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本日、2回目の更新になります。
「悪役令嬢……ですか?」
東屋を吹き抜ける風の音を聞きながら、私は思わず首をかしげた。
「あの、ハリエット様。そう言われましても……私には乙女ゲームとやらの記憶は一切ございませんし、自分が物語の悪役だと言われても、まったくピンとこないのですが」
正直な気持ちを伝えると、ハリエット様は「ああ、やっぱり……!」と深く納得したように頷いた。
「やはり、アデライダ様ご自身はゲームの知識をお持ちではないのですね。ですが、あまりにも悪役令嬢らしくない立ち振る舞いをされているものですから、最初は、もしや前世の記憶に目覚めた転生者の方が、必死に破滅の運命を回避しようと奮闘されているのではないかと、つい観察してしまっておりましたの」
(なるほど。だからあんなに穴が開くほど観察されてたんだね……)
「ですが、お話ししてみて確信いたしました。アデライダ様は、ただご自身の意思で自然体に過ごしておられるだけなのだと。……それにしても、ゲームの原作と現在の状況は、あまりにも乖離しすぎておりますわ」
「乖離?」
私が問い返すと、ハリエット様は指を一本ずつ折りながら、原作のゲームと現実との違いを挙げ始めた。
「まず第一に、原作の悪役令嬢アデライダ様には、お顔にそのような傷痕はございません。そもそも、そのようにお顔へ傷を負う事件自体、ゲームのシナリオには存在しないのです」
「えっ、そうなのですか?」
あれほどの凶行が、ゲームでは存在すらしなかった事件だなんて。
にわかには信じがたく、なんとも不思議な気持ちになる。
「そして第二に、原作の悪役令嬢はチェスが壊滅的に苦手でした。にもかかわらず、現在のアデライダ様はエルヴェ殿下と対等に渡り合うほどの腕前でいらっしゃると伺っております」
「あはは……まあ、チェスは趣味ですし、特訓もしましたから」
「さらに第三に! 最も大きな違いは、エルヴェ殿下との婚約のあり方です!」
ハリエット様は孔雀石の瞳を輝かせ、熱を帯びた口調で続けた。
「原作では仮婚約などではなく、正式な婚約が早い段階で成立しておりました。幼い頃、王太子としての社交辞令で、自分を魔女扱いしなかったエルヴェ殿下に、悪役令嬢は一方的に執着したのです。そして、わがままを押し通して婚約者の座を勝ち取りました。……もちろん、国王陛下が魔女の絵本を王命で出版されるような出来事も一切ございません」
(うわぁ……原作の私、めちゃくちゃ身勝手で痛い子じゃん。そんなわがままを通すなんて、我ながら引いちゃうよ)
「ちなみに原作のエルヴェ殿下は、そのような悪役令嬢を心底疎ましく思っておられ、まったく相手にせず放置しておりました。……ですが現在のエルヴェ殿下とアデライダ様は、大変良好なご関係にお見受けいたします」
「ええまあ、そうですね」
確かに殿下との仲は悪くない。そう思って素直に頷くと、ハリエット様は「素晴らしいことですわ!」と感無量といった様子で頷いた。
「他にも、エルヴェ殿下が群がる高位貴族令嬢たちに激怒なさった、などという出来事も、原作にはかけらも存在いたしませんでした。要するに、現在のこの世界は完全にバグっていて、私の知っているゲームのシナリオから、何から何までずれまくっているのです!」
「なるほど……」
ハリエット様の説明を聞けば聞くほど、自分が悪役令嬢という役割から遠く離れた場所にいることがよく分かる。
(顔に傷はあるし、婚約はビジネスライクな仮のものだし、何より殿下とはただのチェス仲間兼スイーツ友達だもんね。ゲームの筋書き通りになる要素が何一つないじゃん)
「ハリエット様。そこまで現実とゲームが違っているとなると、私はもう悪役令嬢としての破滅など、気にしなくても良いのではないでしょうか?」
私が尋ねると、ハリエット様は真面目な顔で「基本的にはその認識で大丈夫です」と頷いた。
「はい。もはや無理にゲームの展開へ合わせる必要は一切ございません。ですが……この世界の根底にある強制力のようなものが、いつどこで働くかは分かりませんの。念のため、これからこの世界で何が起きるはずだったのか。つまり、ゲーム本来の物語を知っておいて損はないかと存じます」
「分かりました。ぜひ教えていただけますか?」
私は背筋を伸ばし、ハリエット様の話に耳を傾ける姿勢を取った。
(ゲームの本来のストーリーか。一体どんなトンデモ展開なのかな?)
嵐の前の静けさを思わせる東屋で、私はハリエット様が語る本来の未来へ意識を集中させた。
「では、本来のゲームのシナリオについてお話しいたしますね」
ハリエット様は東屋のベンチに座り直し、指先で顎に触れながら、どこか遠くを見つめるような目になった。
「しばらくの間、学園では特に大きな事件は起こりません。……波乱が巻き起こるのは、エルヴェ殿下が最高学年へ進級された年。つまり、私たちが三年生になった春です」
「三年生の春ですか?」
「はい。そのタイミングで、ゲームのヒロインとなる少女が、私たちの同期として学園へ編入してまいります。そこが、ゲームの実質的な始まりなのです」
ハリエット様はそこまで言うと、ため息まじりに肩をすくめた。
「そのヒロインは、見目麗しく、類まれな魔力を持つ少女という設定です。彼女は学園で、三人の魅力的な攻略対象と出会い、少しずつ絆を深めていくことになります」
「攻略対象……。ええと、要するにヒロインの恋愛相手候補、ということでしょうか?」
「仰る通りですわ! その候補というのが——第一に王太子であるエルヴェ殿下。第二に、その側近であるコンラート様。そして第三に……殿下の護衛騎士であるアーヴィン、の三人です」
(ん……? 殿下の護衛騎士? そんな人、聞いたこともない。それに、その名前……)
私が言葉を失っていると、ハリエット様もハッとしたように孔雀石の瞳を丸く見開いた。
「あっ……! いま自分で口にしていて気づきましたが……! ア、アーヴィンは護衛騎士になっておりませんわね!?」
「そうですね。少なくとも、殿下のお側にいるのはコンラートさんだけですね」
「そうですわよね! 私としたことが、すっかり失念しておりましたわ……!」
ハリエット様は両手で顔を覆い、「うわあぁ……」と小さく頭を抱えた。
(なるほど。陛下が絵本を広めてくださったおかげで世間の認識が変わり、現在あの男は事実上、表舞台から遠ざかっている状態なのか。だからアーヴィンルートは存在自体が消滅しかけてるんだね。もしあの男が殿下の護衛騎士だったら、殿下には悪いけど仮婚約契約は破棄一択だったかも……)
そういう意味でも、アーヴィンルート消滅は実にありがたい話である。
「まあ、アーヴィンについては念のため、今度殿下にそれとなく近況を確認してみますね」
「あ、お願いできますと助かります……! 攻略対象が一人、最初から脱落しているなんて、原作者としても予測不能すぎますわ……」
ハリエット様は気を取り直すように小さく咳払いをすると、話の続きを再開した。
「話を戻しますね。ヒロインはその三人……いえ、現状では二人でしょうか。彼らと交流を深めていくのですが、最終的に誰と結ばれるかは、プレイヤーの選択次第です。場合によっては全員を侍らせる逆ハーレムルートに突入する可能性もありますの」
「逆ハーレム……」
思わずその光景を想像してしまい、うげっ、と心の中で顔をしかめた。
あのチェス狂で偏屈な殿下や、冷静沈着なコンラートさんが、一人の少女を囲んでデレデレしている姿など——
(……うん。絶対にあり得ない。寒気がしてきた)
「そして、ここからがアデライダ様に関わる一番重要な部分です!」
ハリエット様は真剣な表情になり、身を乗り出してきた。
「ぽっと出の編入生であるヒロインが、婚約者であるエルヴェ殿下たちと親密になっていくことを快く思わなかった悪役令嬢——つまり本来のアデライダ様は、嫉妬に狂い、ヒロインへさまざまな嫌がらせを重ねるのです。教科書を破る。階段から突き落とそうとする。冤罪を着せる。……そのような悪行の数々を」
「ええぇ……」
「そうして悪行が積み重なった末、最終的にはエルヴェ殿下の卒業式で、大勢の生徒たちの前に罪を暴かれ、悪役令嬢は断罪される。——それが、このゲームのエンディングでした」
ハリエット様の説明を聞き終えた私は、開いた口が塞がらないまま呆然としてしまった。
(なにその不毛すぎるシナリオ……)
頭の中で情報を整理し、私は心からの疑問を口にした。
「……あの、ハリエット様。私、幼い頃から『魔女だ』と理不尽に差別され、辛い思いをしてきた身なのですが……」
「はい、存じ上げております」
「そんな経験をしてきた人間が、あとからやって来ただけの女の子を、理不尽にいじめたり嫌がらせしたりするなんて……その悪役令嬢は馬鹿なのですか?」
私の容赦のない身も蓋もない問いかけに、ハリエット様は「ぐふっ……!」と、何かが胸に深々と突き刺さったような声を漏らした。
先ほどまでの優雅で完璧な伯爵令嬢の面影はどこへやら。彼女は両手で顔を覆い、心底気まずそうに目を泳がせながら、しどろもどろに語り始めた。
「うぐっ……仰る通りですわ、アデライダ様。ですが、ですが聞いてくださいませ……! 当時の私は、締め切り直前で完全に正気を失っていたのです……!」
「締め切り……?」
「はい……! 納品まであと数時間という極限状態の中、徹夜明けのまったく使いものにならない頭で『もう何でもいいや! ノリと勢いでいけーっ!』とヤケクソになって書き散らした結果が、悪役令嬢のガバガバな設定と行動原理だったのです……!」
「ノリと勢い……」
ハリエット様は頭を抱えたまま、ベンチの上で「ううぅ……」と身悶えし始めた。
「まさか、あんな適当なノリで提出したシナリオがそのまま採用されて、挙げ句の果てにゲームまで大ヒットしてしまうなんて、夢にも思いませんでしたの……! 私にとっては黒歴史以外の何物でもありませんのに、それが巡り巡って、このような現実世界として再現されているなんて……! 一体全体、何の罰ゲームですのーっ!?」
東屋に響き渡る、伯爵令嬢らしからぬ魂の叫び。
上品な言葉遣いの中からあふれ出す、隠しきれない重度のオタク気質と、原作者としての生々しい悶絶ぶりに、私は思わず呆気に取られてしまった。
(あ、この人……中身が完全に『同類』の人だ……!)
だが、彼女が叫んだ「ノリと勢い」という強烈な一言を聞いた瞬間、私の中でこれまで引っかかっていた、この世界の妙ちきりんな違和感が、まるでパズルのピースのようにピタリと噛み合った。
「なるほど……! そういうことだったのですね!」
ポンと手を打った私に、ハリエット様が顔を上げ、涙目のまま「え?」と首を傾げる。
「ハリエット様。私、ずっと不思議に思っていたことがあったのです。たとえば、隣のクラスにいる双子の男子生徒——彼らの名前が、ヴィルヘルムとウィリアムであることとか」
「あ……」
「ドイツ系と英語系で、表記と発音が違うだけで、結局は同じ名前じゃないですか。なぜ双子に同じ名前をつけているのだろうと、ずっと不思議だったのです。……あれも、締め切り間際のノリと勢いだったのですね?」
私の指摘に、ハリエット様は「ひいっ……!」と悲鳴を上げた。
「さらに言えば、このフィリドール王国において、貴族の家名にフランス系、ドイツ系、英語系、果てはスペイン系まで入り乱れているのも……!」
「やめて……! やめてくださいませ、アデライダ様! 私のHPはもうゼロですわ……っ!」
「全部、ハリエット様が徹夜明けのノリと勢いで、語感が格好いいからという理由だけで適当に名付けた結果だったのですね!?」
「その通りですわ————っ!!」
ハリエット様は東屋のテーブルに突っ伏し、「恥ずかしすぎて消えてしまいたい……!」と頭を抱えた。
(あはは、めちゃくちゃスッキリした! ずっと『この世界の名付け文化には統一感がなくて変わってるなぁ』って思っていたけど、まさか締め切りに追われた原作者のヤケクソの産物だったとは!)
世界の適当さの理由が判明し、私は一人、胸のすくような納得感を噛み締めていた。
テーブルに突っ伏したまま、ハリエット様がチラリと孔雀石の瞳をこちらへ向け、消え入りそうな声で呟いた。
「……本当に、穴があったら入りたいですわ。自分の黒歴史設定のせいで、アデライダ様には妙なご苦労をおかけして……」
「ふふ、いいえ。おかげで長年の謎も解けましたし、何より……」
私は突っ伏した彼女の顔を覗き込み、心からの親しみをこめて微笑んだ。
「ハリエット様が私を心配して、こうして勇気を出して打ち明けてくださったことが、とても嬉しいのです。ありがとうございます」
私の言葉に、ハリエット様はパチパチと瞬きをした。
そして、ゆっくりと体を起こすと、少し照れくさそうにしながらも、とても晴れやかな笑顔を浮かべてくれた。
「アデライダ様……。はい! これからは私が、貴女様の平穏な学園生活を全力でサポートいたします!」
「ありがとうございます。私もできる限り穏便に過ごせるよう努めますので、どうかご無理のない範囲でお力をお貸しくださいね」
ガバガバな設定が生んだ妙な世界で出会った、前世の記憶を持つ最高の理解者。
東屋を包む春風の中、私たち二人のあいだに、確かな信頼と少しばかり妙な連帯感が芽生えた瞬間だった。
家名が国際色豊かすぎる件は、作中ではハリエットがノリと勢いでやらかしたことになっています。
元をたどれば作者である私のせいなのに、結果としてハリエットのHPがゼロになりました。ごめんハリエット。




