↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
犠牲と昇変  作者: ちうめい
第2章 盤上の邂逅

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

6/20

2

 初対面の衝撃的な対局から、早いもので数週間が過ぎていた。

 今では私は定期的に王宮へ赴き、東屋や対局室で殿下と盤を挟んでいる。

 表向きは、「虫除けの仮婚約者」としての務めだ。けれど実際のところは、本気で対局できる貴重なチェス仲間といった方が近い。

 お互いに遠慮という概念をどこかへ投げ捨て、会えば毎度のように本気の頭脳戦になる。


「——参りました。私の負けです」


 カツン、と盤上に小さな音が響き、私のキングが静かに倒された。

 今日の対局は、殿下の勝利だ。


「ふん、手応えのある局だったな。中盤でのポーンの展開、悪くなかったぞ」


 殿下は満足そうに口元を緩め、整った顔に少年らしい誇らしげな笑みを浮かべた。

 勝ち負けそのものを楽しみ、素直に相手を称えるところは、実に気持ちが良い。


「ありがとうございます。ですが、殿下の終盤の詰めの鋭さには、まだまだ及びませんね」


 私が素直に感嘆の息を漏らすと、新しく淹れた紅茶を載せたトレイを手に、あの青年が静かな足取りで近づいてきた。対局のたびに控えている、殿下付きの側近である。


「お見事な対局でございました、殿下、アデライダ様。温かいお茶をお持ちいたしました」

「ありがとうございます。お気遣い、痛み入ります」


 青年は慣れた手つきで、カップをひとつずつテーブルに並べていく。

 いつも落ち着いていて、私より十ほど年上に見えるその人が控えているだけで、場の空気がどこか上品に引き締まるのだ。

 すると、紅茶をひと口含んだ殿下が、ふと思い出したようにこちらへ視線を向けた。


「そういえば、アデライダ。お前にはまだ、ちゃんと紹介していなかったな」


 殿下は顎で青年を示す。


「俺の身の回りを補佐してくれている、コンラート・シュタイニッツだ」


(おや。ここでようやく名前が明かされた)


「コンラート・シュタイニッツと申します、アデライダ様。以後、お見知りおきを」


 コンラートさんは胸に手を当て、美しい所作で深々と一礼した。


(シュタイニッツ……?)


 その姓に、私は思わず小さく首をかしげる。

 すると、コンラートさんは察したように穏やかに微笑んだ。


「ええ。ご推察の通り、私はアデライダ様の師であられるエッカルト・シュタイニッツの又甥にあたります」

「えっ……! エッカルト先生の!?」


 思わず声が弾んだ。

 あのエッカルト先生と縁続きだと聞けば、驚かずにはいられない。


「はい。私の父の叔父が、エッカルトにあたります」

「そうだったのですね……! シュタイニッツというお名前には聞き覚えがありましたが、まさかそのようなご縁があったとは」


 驚く私を見て、殿下はフッと鼻で笑った。


「もともと、俺に最初にチェスを教えたのはこのコンラートなんだ」

「殿下がまだ幼い頃のことでございます」

「だが、あっという間に俺の方が強くなってな。手に負えなくなったコンラートが、逃げるように大叔父のエッカルトを城へ呼んだんだよ」


 殿下の言葉に、コンラートさんはやれやれとでも言いたげに、困ったような笑みを浮かべた。


「滅相もございません、殿下。私めの腕前では、殿下の並外れた才能と成長の速さを受け止めきれなくなった、というのが正しい事実にございます。手塩にかけて育てた愛弟子を、投げ出したわけではございませんよ」

「ふん、似たようなものだろ」


 呆れたように言い捨てる殿下と、苦笑いを浮かべるコンラートさん。

 二人のやり取りからは、単なる主従関係を超えた、長年の信頼がにじんで見えた。


(なるほど……コンラートさんもチェスを嗜むから、殿下との対局を気にかけてたのか。……それにしても、なんだかすごく素敵な話だな)


 私がエッカルト先生からチェスを学び、その弟子である私が殿下と盤を挟む。そして、そんな殿下に最初にチェスを教えたのが、エッカルト先生の縁者であるコンラートさん。

 まるで綺麗な円を描くように、ひとつの盤を通して、みんなの縁がぐるりと繋がっている。

 

(世間って思ったより狭いというか、縁っていうものは案外あちこちで繋がってるんだなぁ)

 

 そう考えると、なんだか少し可笑しくて、同時に胸の奥が温かくなった。


「どうした、アデライダ。変な顔をして」

「いえ……なんだか、不思議で素敵なご縁だなと思いまして。エッカルト先生を通じて、私と殿下もこうしてお会いできたわけですから」


 私が素直な気持ちを口にすると、殿下は一瞬だけ丸く目を見開いた。

 そして、ハッとしたようにすぐ顔をそらし、手元の紅茶へ視線を落として小さく咳払いをする。


「……別に、大したことじゃないだろ。ただの偶然だ」


(あ、ちょっと照れてるのかな?)


 相変わらず、こういうところは驚くほど分かりやすい。

 横ではコンラートさんが、どこか微笑ましげな眼差しで、そんな殿下を静かに見守っていた。

 柔らかな日差しが差し込む東屋で、私たちは温かい紅茶を飲みながら、穏やかなティータイムを楽しんだ。

 虫除けの仮婚約者という、どこまでも打算的でビジネスライクな関係から始まったはずなのに。

 気づけば、この居心地の良い空気も、私にとっては案外悪くないものになりつつあった。


 ◇


 季節は巡り、春の暖かな日差しが王宮の対局室を柔らかく包み込んでいた。

 十三歳の殿下は、貴族の子弟が通う最高峰の学び舎である王立学園へ入学された。

 私はまだ十一歳なので、学園に通い始めるのは二年後だ。

 そのため、以前のようにいつでも対局できるわけではないものの、殿下が学園や公務の合間を縫って時間を作ってくださるおかげで、こうして定期的な交流は続いていた。


「——それで、殿下。学園生活はいかがですか? 新しい環境には、もうお慣れになりましたか」


 私は盤上の駒を整えながら、向かいに座る殿下へ微笑みかけた。

 新しい制服に身を包んだ殿下は、相変わらず絵画から抜け出してきたかのような規格外の美貌を誇っている。

 けれど、私の問いかけを耳にした瞬間、その整った眉が不機嫌そうにぴくりと跳ねた。


「……聞くな。くだらん」


 あからさまに苛立った様子で、殿下は黒のナイトを不機嫌そうにパシッと動かす。

 横に控えているコンラートさんが、困ったように苦笑しながら小さく肩をすくめていた。


「何か苦労されるようなことでもございましたか?」

「苦労というより、理解に苦しむ出来事があった。……入学早々、教師どもから『生徒会長になってくれ』と頼まれた」

「生徒会長、ですか?」


 私はパチパチと瞬きをした。

 王太子という立場を思えば、周囲がそう望むのも分からなくはない。だが、それに対する殿下の返答は、あまりにも容赦がなかった。


「当然、即答で断った」

「お断りになられたのですね」

「当たり前だろ」


 殿下は心底馬鹿馬鹿しいと言わんばかりに鼻を鳴らし、肘をついてため息をついた。


「生徒会長なんてものは、学園の仕組みや規則を熟知した最高学年の人間が務めるべきだろう。なぜ入学したばかりで、右も左も分からない一年生の俺が仕切らなければならない。組織の運用として根本的に間違っている」


(めちゃくちゃごもっともな正論だ……!)


 あまりにも筋が通っていて、私は内心で何度も大きくうなずいた。

 確かに、入学したばかりの一年生に組織の長を任せるなど、正気の沙汰ではない。

「それに」と、殿下は紫水晶の瞳を鋭く光らせて言葉を継いだ。


「俺には、ただでさえ王太子としての公務がある。それだけでも忙しいというのに、なぜわざわざ生徒会の雑務まで背負い込まなければならない。そんな無駄なことに時間を取られたら、俺の貴重なチェスの時間が削られるだろ。冗談じゃない」


(最後の理由が本音中の本音だよね!? でも言っていることは百パーセント正しい!)


 学園側の都合や打算めいた思惑を、殿下は完璧な理屈とチェスへの執着で、見事に突っぱねたらしい。


(しかし……教師陣もずいぶん無茶を言うもんだなぁ。最高学年を差し置いて、新入生に生徒会長をやらせようとするなんて。学園って思った以上に不思議な場所みたいだな)


「先生方も、さぞ驚かれたでしょうね……」

「知るか。あまりにしつこいから、『そこまで頼みたいなら、まずは俺よりチェスが強い奴を連れてこい』と言ってやった。そうしたら静かになったぞ」

「ふふ。殿下にチェスで勝てる生徒なんて、そうそういませんものね」

「まあな。……だからこそ、お前との対局が一番の息抜きになる」


 殿下はふっと毒気を抜かれたように表情を緩めると、口元に小さな笑みを浮かべた。

 そのまっすぐな言葉に、胸の奥が少しだけくすぐったくなる。


「光栄です。殿下の息抜きになれるよう、今日も全力で返り討ちにさせていただきますね」

「言ったな? だったら俺も全力で行くまでだ、アデライダ」


 盤を挟んで、私たちはニヤリと笑い合った。

 


 王宮の対局室で勝負を始めてから、かれこれ二時間が経っていた。

 盤上では白と黒の駒が激しく入り乱れ、まさに終盤の佳境を迎えている。

 一手ごとに膨大な思考力を使うせいで、脳のカロリーがみるみる削られていくのが自分でも分かった。


(うーん……ここでルークを引くか、それとも攻め込むか……悩ましいな)


 長考に入った私を前に、殿下はふっと息を吐き、傍らに控えていたコンラートさんへ視線を送る。


「コンラート」

「はい、殿下。すでにご用意しております」


 コンラートさんは、察しが良すぎる手際でワゴンから銀のトレイを取り出した。

 そこに載せられていたのは、温かな紅茶だけではない。

 彩り豊かなベリーを美しくあしらったタルトに、濃密そうなチョコレートケーキ、さらには焼きたてのスコーンまである。目移りしてしまうほど豪華な菓子の数々だった。


「わあ……美味しそうなお菓子ですね」


 対局の緊張がふっとほどけ、思わず笑みがこぼれる。

 けれど次の瞬間、私は自分の目を疑った。

 殿下が、運ばれてきたベリータルトを何のためらいもなくフォークで切り分け、そのまま一口でぱくりと食べたのだ。

 しかも、その表情ときたら。


(……あ、めちゃくちゃ嬉しそう)


 いつもは冷徹なポーカーフェイスか、勝負師めいた険しい顔をしている殿下が、頬をわずかに緩め、紫水晶の瞳をきらきらと輝かせている。

 一口食べ終えると、今度は惜しげもなくチョコレートケーキへとフォークを伸ばした。その手つきには、迷いが一切ない。


(えっ……? 殿下って、もしかしてかなりの甘党なのかな?)


 あまりのギャップに、私がぽかんと口を開けて見つめていると、視線に気づいた殿下はピタリと手を止め、わずかに眉をひそめた。


「……なんだ、アデライダ。人の顔をジロジロ見て」

「あ、いえ……大変失礼いたしました。その、殿下がスイーツをとても美味しそうに召し上がっていらしたのが、少し意外でして」

「意外?」


 殿下は心底不思議そうに首を傾げると、フォークを置いて真顔で持論を語り始めた。


「チェスのような激しい頭脳戦の後は、急速に糖分が失われるんだぞ。効率的な糖分補給は、頭脳活動において必須中の必須だ。それに……どうせ補給するなら、美味いものを食べた方が満足度も高いだろ」


(理屈っぽく語っているけれど、要するに「美味しい甘いものが大好き」ということだよね!?)


 クールで完璧な王太子殿下が、真顔でスイーツの重要性を熱弁している。

 その姿がなんだか可笑しくて、私は笑いをこらえるのに必死だった。

 横に控えるコンラートさんも、「殿下は昔から甘いものに目がなくて困るのです」と言いたげな、どこか温かな苦笑いを浮かべている。


「なるほど、仰る通りでございますね。糖分補給は思考の冴えを保つためにも欠かせません」

「そうだろ? お前も遠慮せずに食べろ。ここの専属パティシエが作るタルトは絶品だ」

「はい、いただきます」


 私もタルトをひと口味わった。

 さくさくの生地に、甘酸っぱいベリーと濃密なカスタードが絡み合い、疲れ切った脳に甘さがじんわりと染み渡っていく。


(うん、とっても美味しい! でも、対局中の口直しにするなら、もう少し甘さを控えてレモンの酸味を利かせた方が合うかももしれないな)


 ふと、普段、自分で焼いている菓子の感覚から、そんなアレンジがふと頭に浮かんだ。


(……待てよ?)


 そこで、不意に私の中の警戒センサーが警報を鳴らした。

 もしここでうっかり、「私ならもっと対局向きの甘さ控えめな焼き菓子を作れますよ」などと口を滑らせてしまったら。普段から菓子作りをしていることが、殿下に知られようものならどうなるだろう?

 相手は、チェス狂で、一度こだわり始めたらどこまでも追求する王太子殿下だ。

 うっかりすれば「対局用の手作りスイーツを毎回持ってこい」などという話になりかねない。そんなことになれば、私の貴重な引きこもり準備の時間も休日も、殿下専属のパティシエ業で吹き飛んでしまう。


(……お菓子作りが趣味であることは、口が裂けても言わないでおこう)


 余計な手間や面倒ごとの芽は、自分で先に摘んでおくに限る。

 私は心の中で固く決意し、何事もなかったかのように完璧なポーカーフェイスを張り直した。


「本当に美味しいタルトですね。殿下がこれほど甘いものをお好きだとは、新たな発見でした」

「ふん。お前ももっと糖分を摂って、次の手をしっかり考えろよ」

「はい。次は殿下のキングを追い詰める準備をさせていただきますね」

「できるものならやってみろ」


 殿下は楽しげに不敵な笑みを浮かべた。

 そのご尊顔を眺めながら、私は余計なことを口走らなかった自分を内心でそっと褒め、再び盤上へ意識を集中させた。


 ◇


 殿下は学園に入学されてからというもの、王太子としての公務に学業、さらには生徒会や周囲からの鬱陶しい勧誘を退ける対応まで重なり、どうやら日々かなり多忙に過ごされているようだった。

 そこで、私の中の危機管理センサーと気遣いの心が同時に働いた。


(学園生活が始まったばかりで、公務も忙しい時期だもんね。ここで私が頻繁にお邪魔したら、殿下の貴重な休息や睡眠の時間を奪ってしまうかもしれない。ここは察しの良い仮婚約者として、しばらく王宮への訪問を控えておこう)


 そう思い立った私は、王宮への定期訪問を自主的に控えることにした。

 ルセナ侯爵邸の自室で、のんびりと菓子を焼き、読書をし、一人で詰将棋ならぬ詰チェスに興じる。そんな平和な日々がしばらく続いた。

 ……のだが。

 その平穏は、王宮への訪問を控えて三週間ほどが過ぎたある日、唐突に破られることとなった。


「アデライダ様。突然のご訪問となり、大変申し訳ございません」


 我が家のタウンハウスの応接室に通されてきたのは、王太子側近のコンラートさんだった。

 いつもの穏やかさは崩していないものの、その表情にはわずかな焦りがにじんでいる。

 彼は丁寧に頭を下げた。


「コンラートさん? どうなさったのですか。そんなに恐縮なさらなくても……」

「お約束もなく突然お伺いしました非礼を、どうかお許しください。ですが、どうしてもお願いしたいことがございまして……。実は、殿下のご機嫌がかなり損なわれているご様子なのです」

「殿下が……?」

「はい。もしご都合がつくようでしたら、なるべく近いうちに王宮へお越しいただけないでしょうか」


 切実ではあるものの、決して取り乱してはいないコンラートさんの言葉に、私は少し考えてから頷いた。


「分かりました。では、明日参ります」


 そう答えると、コンラートさんは安堵したように息をつき、改めて深く頭を下げた。


 ◇


「——なぜ最近、城に来ない」


 翌日、王宮の対局室に足を踏み入れた私へ、挨拶を口にする暇もなく叩きつけられたのは、氷のように冷え切った低い声だった。

 部屋の奥、いつものチェス卓の前に座る殿下は、眉間に深い皺を刻み、紫水晶の瞳を静かに凍てつかせてこちらを見つめている。

 怒鳴られてはいない。怒鳴られてはいないのに、部屋の空気は完全に真冬だった。うっかりすれば生命活動に支障が出そうなくらい冷えている。


(怖っ! 想像以上に不機嫌だ……!)


 一瞬ひるみかけたものの、私はどうにかいつもの調子を取り戻して口を開いた。


「殿下。学園にご入学されたばかりで、お忙しい時期かとお見受けしましたので、私なりに気を遣って王宮への訪問を控えておりましたのですが……」

「余計な気遣いなど頼んでいない」


 ぴしゃりと遮るように返される。

 反論の余地を一切認めない声音だった。


「学園の教師どもは鬱陶しいし、公務の書類は山積みだ。俺がどれだけ疲れ切っているか、お前は分かっているのか」


(分かってるよ。だからこそ、邪魔をしない方が良いと思ったんだよ)


 けれど殿下は、そんな私の内心などお構いなしに言葉を重ねた。

 

「その唯一の息抜きであるお前との対局まで奪われてみろ。俺のストレスはどこへ投げつければいい」


(えー……? 気を遣ったのに、なんでこんなに理不尽に怒られているの、私。……でもまあ、怒られ損ではあるど、殿下にとって私の存在が、それだけ最高の息抜きであり、ストレス解消になっているなら、それは仮婚約者として、むしろ冥利に尽きるのかな)


 そう思うと、理不尽さへの腹立たしさも少しだけ和らいだ。

 私はふっと肩の力を抜き、やわらかく微笑んだ。


「大変失礼いたしました、殿下。そこまで私との対局を楽しみにしていただけていたとは、存じませんでした。……では、その分まで本日はお付き合いいたしませんとね」

「……当たり前だ。今日は朝まで付き合ってもらうからな」


 殿下はふんと鼻を鳴らし、ようやく機嫌を直したように不敵な笑みを浮かべた。

 ……朝まで。

 それはもはや、息抜きというには少々長すぎる気もする。

 けれど、せっかく直ったご機嫌にわざわざ水を差すほど、私は愚かではない。

 背後ではコンラートさんが、これでようやく城の平和が保たれますと言いたげに、深々と安堵の息をついていた。


「それでは殿下、本日の対局、よろしくお願いいたします」

「ああ。覚悟しておけ、アデライダ」


 盤を挟んで、私たちは駒を並べ始めた。

 気遣いが裏目に出て叱られてしまったけれど、こうして盤越しに殿下の真剣で愉しげな顔を見ていると、結局私まで楽しくなってしまうのだから、我ながらずいぶん現金なものだと思う。


 そうして、遠慮のないやり取りを交わしながら盤を囲む時間を重ねるうちに、仮婚約という契約から始まった私たちの関係は、いつしか確かな信頼で結ばれたものになっていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。