↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
犠牲と昇変  作者: ちうめい
第4章 契約の帰結

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

19/20

5

ついにクライマックスです。

「……参りました」


 私は肩の力を抜き、深く頭を下げる。


(うーん、やっぱり挽回できなかったか……。でも、これで本当に、五年間の対局も、仮婚約の契約期間も、全部終わっちゃったんだな)


 勝負がついた安堵とともに、胸の奥を重く押し潰すような寂しさが込み上げてきた。

 明日からはもう、こうして放課後に王宮へ通い、殿下とチェスを指すこともないのだ。

 私がひとり静かに感傷に浸っていた、その時だった。

 殿下は盤上から、ご自身の黒のキングの駒を手に取ると、スッと向かいの椅子から立ち上がられた。


(あれ? キングの駒を持って、どうしたんだろう……?)


 首を傾げる私の前で、殿下は静かにテーブルを回り込み、こちらへと歩み寄ってくる。

 そして——次の瞬間、殿下は私の予想を超える行動に出た。

 私の目の前で片膝をついたのだ。


(えっ……!? ひざまずいたー!? なんで殿下が、私の足元に……!?)


 思わず目を見開いたまま固まる私を見上げながら、殿下は少し緊張に強張った面持ちで、手にしていた黒のキングの駒を私の手にそっと握らせてくる。

 受け取った瞬間、駒の中から、カラカラ……と繊細な金属音が小さく鳴った。


「で、殿下……? これは一体何でしょうか……?」


 あまりの出来事に、声が少し裏返ってしまう。

 殿下は私の視線をまっすぐ見つめ返し、低く真摯な声で呟かれた。


「底の蓋が開くようになっている。……開けてみろ」

「は、はい……」


 言われるがまま、私は指先に力を込め、キングの駒の底面をそっと横へ滑らせた。

 カチリ、と小さな手応えとともに蓋が開き、中からコロンと転がり出てきたのは——

 繊細な装飾が施された、プラチナのリングだった。

 その中央には、澄みきった深い紫色——殿下の瞳とまったく同じ色をした、息を呑むほど美しい紫水晶が嵌め込まれている。


「……っ!?」


 静かな対局室に、私が息を呑む音だけが小さく響いた。

 どう見ても、どこから見ても、それは世界にひとつだけの特別な婚約指輪だった。

 脳内の処理能力が、完全にオーバーヒートした。


(えっ? 指輪? 紫水晶……殿下の瞳の色? チェスの駒の中に指輪……? えっ、待って待って待って!!)


 怒涛の勢いで駆け巡っていた思考が、ひとつの結論にたどり着いた瞬間、私は勢いよく立ち上がり、椅子を倒しながら後ろへ跳びのいた。


「は、はわ――――っ!!? ええっ、ででで殿下って、私のこと好きだったんですか――――っ?!!!」

「っ……!?」


 突然後ろへ跳びのいた私を前に、足元でひざまずいていた殿下は一瞬言葉を失い、それから盛大にため息をついた。


「今頃気づいたのか……」


 あまりの驚きと予想外すぎる展開に、私は目を丸くしたまま、手の中の指輪と殿下の顔を交互に見つめて固まっていた。

 殿下は改めて息を整えるようにひとつ深呼吸すると、ひざまずいた姿勢のまま、私の目を逃がさないようにまっすぐ見つめ直してくる。


「……好きだ、アデライダ。俺と結婚してくれ」


 あまりにも真摯で、熱を帯びた、まっすぐすぎるプロポーズ。

 直球そのものの言葉が胸に突き刺さり、私の頭の中は「好き」と「結婚」という言葉だけでいっぱいになってしまう。


「えっ……あの、でも……! 私たち、ただの仮の婚約者として、虫除けの契約を結んでいただけでは……!?」


 パニックのあまり支離滅裂なことを口走る私に、殿下は呆れたような、それでいてどこか照れくさそうな溜め息を吐いた。


「大体な、いくらチェスが好きだからといって、好きでもない相手をわざわざ毎日呼びつけて対局なんてするか」


 そこでいったん言葉を切り、殿下は私をまっすぐ見上げる。

 

「毎回、お前の好きな焼き菓子を用意させて、土産に持たせたりもしない」

「それは……殿下の優しいお心遣いだと思っておりました……」

「……お前なぁ」


 殿下は眉間を押さえ、困ったように微笑んだ。

 けれど次にこぼれた声は、少しだけ切なかった。


「五年間の契約期間は、今日で終わりだ。……今ならまだ、お前にはこの契約を白紙に戻して、俺から逃げる権利がある。……どうする?」


 逃げる権利。

 その言葉が、私の胸を激しく揺さぶった。


(逃げる……? 私が、殿下から……?)


 静まり返った対局室で、自分の鼓動だけがやけに大きく聞こえる。

 私は必死に自分自身の心と向き合い、この五年間の日々を思い返した。


 この容姿。

 気味悪がられる黒髪に赤い眼、そして左頬の傷痕。

 周囲から悪い魔女と忌み嫌われてきた私を、この場所で出会った人たちは、誰ひとりとして差別しなかった。

 コンラートさんも、国王陛下ご夫妻も。

 ……そして何より、目の前にいる殿下が。


(初日に私の顔を見て盛大に舌打ちしたのは一生忘れないけどね……!)


 でも、それ以降、殿下は一度だって私の外見など気にしたことがないように、私という人間そのものを、対等のチェスのライバルとして見つめてくれていた。

 ぶっきらぼうで口は悪い。

 でも、私が美味しいお菓子に目を輝かせれば満足そうにし、チェスで好手を指せば心から悔しがり、楽しそうに笑ってくれた。

 殿下と過ごす放課後の時間は、いつの間にか私にとって、何よりもかけがえのない温かな居場所になっていたのだ。


(そういえば……学園でプリシラが殿下にまとわりつき、あれこれ振り回して精神的に疲れさせた時、どうして私はあんなにも腹が立ったんだろう?)


 ただのビジネスパートナーが困っているから、だけでは説明のつかないほど激しい憤りだった。

 あれは、殿下が困っているのが嫌だったから。

 殿下が傷つけられるのが、どうしても許せなかったから。


(……あぁ、そうか)


 そんなふうに思った瞬間、視界がぱっと開けた気がした。

 胸の奥がぎゅっと甘く締め付けられ、熱いものがこみ上げてくる。


(私、ずっと前から——殿下のことが好きだったんだ)


 自分のあまりにもポンコツな恋愛感情にようやく思い至って、顔が火を噴きそうなほど熱くなる。

 それでも、不思議と迷いはひとかけらもなかった。

 私は深く息を吸って心を落ち着かせると、ひざまずく殿下の前へそっと歩み寄り、まっすぐその瞳を見つめ返した。


「……殿下。私には、逃げる理由がございません」


 動揺を抑え込み、できるだけまっすぐな言葉で伝える。


「私も……殿下のことが大好きです。ですから、殿下のお気持ちをお受けいたします」

「アデライダ……!」


 私の言葉を聞いた瞬間、殿下の瞳が弾かれたように見開かれた。

 それから全身の力が抜けたように、ほっと安堵の息を漏らされる。

 殿下は私の手首をやさしく取ると、指輪を薬指へと滑り込ませてくれた。


 薬指にはめられた紫水晶の指輪が、対局室へ差し込む静かな光を受けて、キラリと輝いた。

 指輪をはめ終えた殿下は、そのまま私の手を両手で包み込むと、心の底から安堵したように深々と息を吐かれる。


「……あぁ、良かった」

「殿下……」


 いつも気丈で強気な殿下が、まるで長く背負っていた荷をようやく下ろしたように、心から安堵している。

 私の恋愛方面の察しの悪さが、結果的に殿下へ余計な負担をかけていたらしい。

 そう思うとひどく申し訳なくて、それなのに、そんなふうに安堵してくださることがくすぐったいほど嬉しかった。

 そうして、ひとしきり二人だけの空気に浸ったあと、殿下はハッと現実に引き戻されたように表情を引き締めた。


「そうだ、父上への報告……」


 そう呟いた殿下の顔は、なぜか信じられないほど気が進まなそうだった。

 露骨に嫌そうな眉間の皺が、そのすべてを物語っている。

 私は思わず焦って、殿下の顔を見上げた。


「えっ……で、殿下? もしかして私との婚約を報告するのが、そんなに嫌なのでしょうか……!?」

「違う! 断じて違う!!」


 殿下は慌てたように即座に否定される。


「お前との婚約報告が嫌なわけがないだろう! そうじゃなくて……どうせ報告しなくても、父上はもう答えを知っているはずだ。だから、報告した時の父上たちの反応が想像できる。それが嫌なんだよ……!」


(報告する前から、陛下は答えを知っている? その反応が嫌? どういうこと?)


 私は首を傾げたけれど、だからといって報告しないわけにもいかない。

 結局、私たちは二人で並んで対局室を出て、陛下の執務室へと向かった。


 ◇


 殿下は執務室の重厚な扉をコンコンコンと叩くと、返事を待たずに「失礼します」と扉を開けた。

 中へ入った瞬間、私は思わず目を見開いた。

 そこにいたのは、陛下と王妃様だけではなかった。

 コンラートさんに、私たちのチェスの師匠であるエッカルト先生、さらには私の両親まで勢揃いしていたのである。

 しかも、私と殿下の姿を認めるや否や、執務室にいた全員がスッと立ち上がり、割れんばかりの拍手を送ってきた。

 

「「「おめでとう!!!」」」


(えぇっ?! 私たちまだ一言も報告していないのに!? ……って、お父様、拍手はしているけど、一人だけなんだかものすごく複雑そうだね?!)


 驚く私とは対照的に、殿下は少しも驚いた様子を見せず、ただ遠い目でぼそりと呟かれた。


「……はぁ。こうなると分かっていたから、嫌だったんだ」


 そんな私たちのもとへ、王妃様がパチパチと手を叩きながら嬉しそうに駆け寄ってくる。

 そしてそのまま、私の頭をやさしく撫で回した。


「やっとアデライダちゃんが私の娘になるのね。本当に嬉しいわ」

「ひゃっ……王妃様っ」


 頭を撫でられながら、私は何が何だか分からないまま、周囲の喜びようにただ圧倒されるばかりだった。

 そんな私に、陛下は目を細めて、にっこりと微笑んだ。


「五年前の私の勘は当たったよ、アデライダ嬢」


 

 黒髪と赤い瞳を持って生まれ、悪い魔女と蔑まれてきた私の人生は、まるで盤の端まで進んだポーンがプロモーションするかのように、大きく変わった。

 これからは、この温かな人たちと、大好きな殿下とともに、新しい盤面へ歩み出していくのだ。

このあと後日談があります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。