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本日、2回目の更新です。
そして——ついに、殿下の卒業式がやってきた。
学園の講堂は、華やかな装飾と格式ある空気に包まれている。
壇上には色鮮やかな花々が飾られ、客席は隙なく整えられ、卒業生たちの表情には誇らしさと名残惜しさが滲んでいた。
私とハリエットさんは、在校生として二階席からその式典の様子を見守っていた。
(ゲームの筋書き通りなら、このあと生徒会長としての挨拶のために登壇した殿下が、プリシラを伴って私を壇上へ呼び出して、悪役令嬢としての断罪イベントが始まるはずなんだけど……)
一階の卒業生席へ目を向けると、殿下は他の生徒たちと並び、静かに自席についていた。
そう。殿下は公務とチェスの時間を優先し、ついに生徒会へ入ることはなかった。
当然、生徒会長として壇上に立つこともない。
(うん、やっぱり殿下の無自覚の危機管理センサーは素晴らしい)
そんなふうに改めてその精度を噛みしめていた、その時だった。
私の視線が、ある一角でピタリと止まる。
卒業生席の後方に設けられた、一般の保護者席。
そこに、絶対にいてはいけないお二方のお姿があった。
そこにいたのは、美しく仕立てられた衣装に身を包み、どう取り繕っても気品を隠しきれていない王妃様と、その隣で穏やかに微笑んでいらっしゃる国王陛下——そのご夫妻だった。
(……えっ? なんで???)
私は思わず目を疑った。
学園は王立だし、ご子息である王太子殿下が卒業生なのだから、ご父兄として参列されていること自体はおかしくない。
おかしくはないのだけど——
(なんで来賓席ではなく、一般の保護者席に座っていらっしゃるの——!?)
王妃様はとても楽しげに、隣の席の奥様と談笑していらっしゃる。
たまたまそのお隣になってしまったどこぞの卒業生の親御さんは、緊張のあまり今にも泡を吹いて倒れそうなお顔だ。
そして陛下もまた、そんな周囲の惨状などまるで意に介さず、いつものように飄々としていらっしゃる。
(殿下が一般生徒席になったからって、国王陛下ご夫妻まで一般席になっちゃったの!? 周囲の保護者の皆さまが、完全に致死量のプレッシャーを浴びてるんだけど!!)
心の中で激しく突っ込んでいると、隣から「うぐっ……」という苦しげな呻き声が聞こえてきた。
振り返ると、ハリエットさんが両手で顔を覆い、今にも崩れ落ちそうな体勢で頭を抱えていた。
「ハ、ハリエットさん……? 大丈夫ですか?」
「く、黒歴史……! 黒歴史が……!!」
ぶつぶつと、蚊の鳴くような声で呟くハリエットさん。
「バグだらけでゲームのシナリオから乖離しまくっているというのに……どうして、どうしてこんなノリと勢いだけで書いたトンチキな設定にだけ、妙な強制力が働いて再現されてしまうのですか……!!」
ハリエットさんは顔を真っ赤にし、ぷるぷると肩を震わせながら絶望に打ちひしがれていた。
その言葉と様子を見て、私は合点がいった。
(あ、なるほど……)
国王陛下ご夫妻が一般の保護者席に座っていらっしゃるのは、世界のバグでも何でもない。
単にハリエットさんが前世で、「王様たちも親バカっぽく一般席に座らせちゃおう」と徹夜明けのハイテンションで書いた原作シナリオが、無駄に忠実に現実化してしまった結果なのだ。
(ハリエットさん……乙女ゲームのシナリオライターとしては優秀なのに、たまに差し込まれる謎のノリが凄まじいな……)
一般保護者席に座る国王陛下ご夫妻の存在感があまりにも強烈すぎて、会場にはどことなく異様な緊張感とざわめきが漂っていた。
それでも式典そのものは、驚くほど滞りなく進んでいく。
校長先生の祝辞が終わり、卒業証書の授与も何事もなく続いていく。
プリシラが壇上に駆け上がってくることもなければ、殿下が私を糾弾することもない。
静かな拍手が講堂を包み込む中、卒業式はついに最後まで何の波乱も起きないまま、拍子抜けするほどあっけなく幕を下ろした。
卒業式が無事に終わり、講堂を出た生徒たちで回廊が賑わい始めていた時のことだ。
ハリエットさんと一緒に人混みを避けるように歩いていると、曲がり角の先で待ち構えていた人物が、鬼のような形相で立ちはだかった。
「ちょっとぉぉぉっ!! どうなってんのよ!!!」
回廊中に響き渡る大声で叫んだのは、言うまでもなくプリシラである。
髪を振り乱した彼女は、怒気をはらんだ目で私を指さした。
そして、スカートの裾を乱しながら、そのままこちらへ突っ込んでくる。
「何も起きなかったじゃない! 断罪イベントも、スチルの回収も、何もないまま卒業式が終わっちゃったじゃないのよ! アンタ、あたしをいじめるって言ったじゃない! 嘘つき!!」
あまりにも自分勝手な怒りを撒き散らすプリシラ。
周囲の卒業生や在校生たちも、何事かと足を止め、ひそひそと囁き合い始める。
それでも私は少しも動じず、静かにその場へ立っていた。
胸元で扇子をそっと閉じ、冷ややかな笑みを浮かべて彼女を見つめ返す。
「あら……何を仰っているのですか、プリシラ様?」
「とぼけないでよ! あたしは悪役令嬢であるアンタに、『あたしをいじめろ』って言ったの! なのに、何ひとつ嫌がらせなんてしてこなかったじゃないのよ!」
キーキーと喚くプリシラに、私は小さく息を吐いた。
そして静かに、それでいて回廊にいる誰もが聞き取れるほど澄んだ声で告げる。
「おかしなことを仰いますね。私は約束通り、きちんと悪役令嬢としての役目を果たしましたよ?」
「……はあ? なに言って……」
プリシラが言葉を詰まらせる。
私は一歩、彼女へ歩み寄った。
瞳の奥に静かな冷たさを宿しながら、極上の微笑みを咲かせて言い放つ。
「私は悪役令嬢ですから。——ヒロインであるあなたが望むことなど、何ひとつ叶えて差し上げない。それこそが、私なりの最高の嫌がらせです」
「……え?」
「私に悪役令嬢になれとお求めになられたでしょう? ですから私は、悪役令嬢として、あなたの望み通りに動くことを一切いたしませんでした」
プリシラがわずかに目を見開く。
「あなたが求めた分かりやすいいじめも、断罪イベントも、何ひとつ与えない。それこそが、私からあなたへの——あなただけに抜群の効果を発揮する、特別な嫌がらせだったのです」
(悪役令嬢になれって言うから、悪役令嬢らしくその望みを叶えなかったんだよ!)
その意図をようやく理解した瞬間、プリシラは全身を硬直させた。
「え……あ……、え……っ!?」
口を金魚のようにパクパクと開閉させるものの、漏れてくるのは声にならない呻きばかりだ。
自分が悪役令嬢になれと求めたことそのものが、そのまま自分の首を絞める罠になっていたのだと悟り、完全に混乱しているらしい。
「あっ……!!」
隣でそのやり取りを見ていたハリエットさんが、ハッと目を見開き、自分の手をパンと打ち合わせた。
「そういうことでしたのね……! 相手の要求を逆手に取り、悪役令嬢だからこそヒロインの望みを拒絶する――そんな論理の手品で、一切の暴走を封じ込めていらっしゃったなんて……!」
ハリエットさんは感嘆の息を漏らし、私の仕掛けの意図をようやく理解したように深く頷いた。
「な、何それ……そんなの……そんなの、あんまりじゃない……っ!!」
身勝手な思い込みと浅はかな要求によって、自ら完璧な詰みの形を作り上げてしまったプリシラ。
目を見開き、青ざめたまま固まる彼女の前に、回廊の奥からコツコツと格式高い靴音が近づいてくる。
回廊に響く足音とともに姿を現したのは、洗練された卒業生の衣装を纏った殿下だった。
その佇まいは、王位継承者としての気品と圧倒的な威厳を全身から漂わせており、周囲の生徒たちは自然と道をあけていく。
「……くだらない茶番は終わったか?」
氷のように冷ややかで、それでいて凛とよく通る声。
殿下がこちらへ歩み寄ると、周囲の空気までぴんと張り詰めた。
その一言だけで、先ほどまで騒がしかった回廊は、しんと静まり返る。
その声に弾かれたように、衝撃で固まっていたプリシラがはっと正気を取り戻した。
まるで救いの神でも見つけたかのように目を輝かせると、なりふり構わず殿下のもとへ駆け寄っていく。
「で、殿下ぁ……っ! 聞いてください! この悪役令嬢……アデライダを、今すぐ断罪してください! この女は、あたしに酷いことをしたのです!」
涙を浮かべ、いかにも痛々しく被害者ぶった仕草で殿下にすがりつこうとするプリシラ。
しかし殿下は、その手が触れそうになる寸前、すっとわずかに身を引いてそれを避けられた。
そして、軽蔑すら滲む冷ややかな眼差しで、彼女を見下ろすように一瞥する。
「……断罪だと?」
「はい! そうです! あたしはこの女に酷い目にあわされたのです!」
「……ほう。では聞くが、彼女は一体、あなたに何をしたというんだ?」
威厳に満ちた静かな問いかけ。
周囲の生徒たちも息を呑んで見守る中、プリシラは自信満々に胸を張り、大声で叫んだ。
「この女は……あたしに、何もしてこなかったのです!!!」
大講堂の回廊に、プリシラの悲痛な叫びだけが虚しく響き渡る。
「…………」
その場にいた全員の思考が、ピタリと止まった。
ハリエットさんも、周囲で見守っていた生徒たちも、呆れを通り越して耳を疑うような顔をしている。
(何もしてこなかったって……それ、そんなふうに堂々と叫ぶことではないでしょ……)
私ですら、思わず心の中で突っ込まずにはいられなかった。
殿下は一切動じることなく、ただ心底呆れ果てたように短く息を吐かれる。
「……何もしていない者を断罪しろと?」
「そ、そうです! いじめると言ったのに何もしてこないなんて、最悪の嫌がらせです!」
「……訳が分からん」
氷のように冷えきった瞳でプリシラを見下ろし、殿下はぴしゃりと言い放った。
「何ひとつ被害を受けていない者が被害者を騙り、何の害もなしていない者を罰せよなどと——正気の沙汰とは思えんな。話にならん」
「ひっ……!?」
「これ以上、我が国の学園の品位を汚すような戯言を吐くのであれば、王家への不敬に加え、他者への冤罪を捏造しようとしたものとして、相応の処分を検討せざるを得ないが——それでも良いのか?」
気品に満ちた完璧な立ち振る舞いのまま繰り出される、理路整然とした王族の威圧。
ぐうの音も出ないほど徹底的に理屈で叩きのめされたプリシラは、「あ……う……」と顔面を蒼白にし、今度こそ完全に言葉を失って膝から崩れ落ちた。
「行こう、アデライダ」
殿下は崩れ落ちたプリシラを一瞥することもなく背を向け、私へ向かって優雅に手を差し伸べられた。
「はい、殿下」
私はその手にそっと手を重ね、深く腰を落として優雅にお辞儀をした。
身勝手な欲望で周囲を振り回し続けた男爵令嬢をその場に置き去りにし、私たちは静かに回廊を歩き出す。
(これで、本当に……ゲームの『卒業式』が終わったんだ)
原作に存在したはずの歪んだ運命も、理不尽な断罪劇も、すべては私たちの手で回避され、静かで穏やかな幕引きを迎えた。
背後から何か喚く声が聞こえた気もしたけれど、殿下は一度も振り返ることなく、私をエスコートしながら迷いのない足取りで馬車へと向かった。
ゲームはエンディングを迎えましたが、お話はもう少し続きます。




