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12話 笠木先生

「修行がしたい、ですか?」

「はい」


ジェームズは無表情のまま小春の言葉に耳を傾けていた。読めない表情に小春はごくりと喉を鳴らす。


「分かりました……と言いますか」


ジェームズは少し言い淀んだ。何かまずい事でもあるのだろうか、と小春も少し緊張した。


「実はすでに教師を手配しています。もともと小春様には修行してもらうつもりでしたので」

「ありがとうございますっ!」

「いえ。こちらとしても小春様に強くなってもらった方が良いので」


思ったよりも簡単に頷いてくれたので小春は嬉しくなった。椎原家ではなかなか進まなかった修行だが、今はもう枷となる悪鬼もいないし、邪魔してくる秋穂もいない。

 それに、小春にはロイのそばにいたいという目標もできた。


ーー私、絶対役に立ってみせる。


かりそめの妻は期間限定だが、有能だと示せればそれ以降も使用人として雇ってもらえるかもしれない。そう思った小春はまずは陰陽師としての修行を積むことにしたのだ。

 足取り軽くジェームズの執務室を出た小春の足元にわらわらとあやかし達が寄ってくる。


「小春ー」

「元気ソウダネー」

「ふふ。だって修行ができるのよ。楽しみだわ」


アスター伯爵邸は結界が張ってあるため、悪意のあるあやかしは入れない。しかし小さなあやかし達は小春と遊びたいだけで悪意がないので簡単に入れるらしい。「チョットピリピリスルー」とは言っていたが、出入りは簡単に出来ると言っていた。

 屋敷の中にはあやかしが見えている使用人もいるようだが、誰も彼らを追い出そうとはしない。ちらっと横目で見るだけだ。


ーーそういえばこの屋敷は少し人間じゃない気配が漂っているのよね。


小春がこの屋敷に来てからというもの、使用人からあやかしの気配を感じる事がある。

 おそらく本当にあやかしが使用人として働いているのだろう。日本でもたまに見かけるが、数は少ない。当然椎原家はそう言った事は「穢らわしい」と言ってしていなかった。むしろ分け隔てない陰陽師を見下していた事さえあった。


ーーロイ様はあやかしと人間を差別しない方なんだわ。


小春も最近は人間よりあやかしとの付き合いが深くなっていたせいか、その事がとても嬉しく感じた。


「小春、修行スルー」

「僕達モスルー」

「え?修行するの?」

「ウン。小春守ルノ」

「怖イモンスターイル言ッテタカラ強クナルノ」


きっと吸血鬼の話をどこからか聞いたのだろう。彼らはやる気に満ちていた。そんな彼らの気持ちが嬉しくて、小春は笑顔をこぼした。


「ありがとう。みんな」


お礼を言われたあやかし達は照れながらきゃっきゃとはしゃいだ。


「おや。小春様ではありませんか」


その時、聞き覚えのある声で名前を呼ばれた。顔を上げると、そこには椎原家でお世話になった笠木が立っていた。


「え?笠木先生?どうしてここに?」


秋穂の話では、小春から秋穂に変わる予定だったはずだ。だから今頃は椎原家で秋穂に教えているものだと、すっかり思っていた。


「私は椎原家の教師を辞めましたので」

「え!?そんな……」

「もともとそう長く勤めるつもりは無かったんですよ」


笠木は困ったように笑って見せた。するとジェームズが執務室から顔を出してきた。


「おや笠木。戻りが早かったですね」

「ええ。貴方に言われて大急ぎで戻ってきましたから」

「てっきり椎原家で足止めを食うと思ってましたよ」

「そうなる前に辞めましたから」


二人の会話から知り合いであることは分かるが、どうにも話についていけない。小春は呆然と二人の会話を聞いているしか出来なかった。


「ああすみません、小春様。私、実はロイ様に仕えているんです。任務で椎原家の情報収集で潜入するため先生をしていただけなんで、ロイ様の訪問が終わった後は元々教師を辞めるつもりだったんですよ」


小春はさらに驚いた。笠木がそんな目的で椎原家の教師をしていたなんて思いもしなかった。


「ちょうど良かった。笠木、小春様の修行を見てやってほしい」

「ええ。そうなるだろうと思ってましたよ」

「えっ……と?」


ジェームズがこほんと咳払いした。


「小春様、今日から笠木が修行をつけます」

「笠木先生が!?」


それは小春にとってはもちろん嬉しい事だった。


ーー私にとって都合のいい夢とかじゃないよね?


まるで夢のような展開に小春の頭は追いついてこない。それを察したのか、笠木はクスクスと笑った。


「小春様が戸惑うのも無理もないですよね。でもこれはロイ様からの指示でもあるんですよ」

「ロイ様の?」

「はい」

「そう、ですか」


小春は何故か嬉しくなった。

 本音は囮作戦のために小春にもっと力をつけてもらうためだろう。それはそうだとわかっていても、小春の負担を少しでも減らそうと気心知れた相手を選んでくれた、のかもしれない。そう思うと心がじんわりと温かくなっていく。


「ロイ様は素直じゃないところがありますからね」


笠木は悪戯っ子みたいな笑顔を見せた。

 その笑顔でロイの本心が分かってしまった。

 小春はほんのりと頬を赤くして、笠木の言葉に頷いた。


「そうですね」


小春はこれからの生活に胸を躍らせるのであった。


◆◆◆


 その頃。椎原家は穏やかな時間を過ごしていた。小春が椎原家を出て行ってから、あやかしの数が目に見えて減った。

 千代は穏やかな日の光にあたりながら、優雅にお茶を飲んだ。その隣にはすっかりくつろいだ辰彦の姿もある。


「最近平和で何よりですわ」

「全くだ」


辰彦は周囲の気配を探った。


ーー小春が出て行ってから悪鬼の気配を全く感じない。小春に着いてこの町を出て行ったのか?


それならばそれでいい、と辰彦はお茶をすすった。悪鬼が都心で暴れたら、その時は違うあやかしだと言い張れば良い。封印された悪鬼がいないと気付かれる前に、悪鬼は退治したと陰陽庁に報告しておけばいい。小春が出た後すぐに動けば怪しまれるので、しばらく様子を見つつ動く。

 辰彦はふっと笑った。


「やはり厄病神だったか」


小春が出て行ってから目に見えて良い方向に進んでいる。それが辰彦は嬉しくて仕方なかった。千代も同じ意見だったようでうんうんと何度も頷いた。


「全くですわ。こんな事ならさっさと嫁に出すなり捨てるなりすれば良かったですわね」

「後は跡継ぎをどうすか、だな」


二人の子どもは小春しかいない。しかしその小春がいなくなったので、他に跡継ぎを決めなければならない。


「あら。秋穂がいるではありませんか」

「秋穂か……」


千代は秋穂を気に入っているらしい。しかし辰彦は少し渋った。

 本来なら小春並みの実力者に椎原家当主を継いでほしいと思っていた。明治時代に入り、陰陽師の立場は微妙なものになってきている。だからこそ確固たる地位を築くためにも椎原家の格を上げる必要性を感じていた。

 修行を積んで成果を残せば、椎原家の格を上げることも夢ではない。それほどの実力を小春は秘めていた。だからこそ小春に期待していた。二年前の事件さえ無ければ、迷わず小春に継がせていた。

 だがそれはもう叶わない。

 秋穂は見所があるからと分家から引き上げたものの、どう見ても小春より劣っている。しかし他に候補がいないのであれば、秋穂には優秀な陰陽師の婚約者を見つけて椎原家を継いでもらわねばならない。


「婚約者を探さねばな」


そう呟いてもう一度お茶を飲んだ。

 だが今だけは、この平和を堪能したいと思っていた。


 その頃、秋穂はかんかんに怒っていた。

 憂さ晴らしに町に出て露店を見て回るがどうにも気が晴れない。


ーーどうして……っ!


小春から奪ったはずの笠木が秋穂の先生を辞退して出ていったと聞いたからだった。ようやく小春から全てを奪い取ったと思ったのに、何故思い通りにいかないのか。それが秋穂は悔しくてたまらなかった。

 小春は秋穂にない物を何でも持っていた。

 日本人らしい美しい容貌も、陰陽師としての実力も、本家生まれという地位も、何もかも。二年前の事件があってから、ようやく秋穂にも運が向いてきたと思っていた。

 しかし小春は囮作戦のためのかりそめとは言え、美しい旦那様まで手に入れた。秋穂に冷たく接するロイを思い出すと、ますます腹が立った。


ーー絶対に小春より良い旦那様を見つけてやるっ!


秋穂の目は復讐の色で滲んでいた。


「あら椎原家の秋穂様ではありませんか?」


ふと声をかけられ、秋穂は我に帰った。いつもの明るい笑顔を作って振り向いた。


「はい!どうかされましたか?」

「いえ……その、あやかしじゃあないんですけどねぇ。実はですね、西洋人が道で倒れているんですよ」

「西洋人、ですか?」


秋穂は目をぱちくりさせた。

 ここは小さな田舎町だ。髪や眼の色が違う人間なんて見慣れていない町民にとっては西洋人さえも恐怖の対象になっているらしい。町民は少し震えながら頷いた。


「どちらにいるのですか?」

「ええ!ええ!こちらです!」


何とかしてくれるのが嬉しいのか、町民は少し小走りで案内してくれた。

 案内された先は人通りのない鬱蒼とした山の獣道だった。町民が山菜採りのために通った時にたまたま見つけたらしい。町民は通りたくてもその西洋人が怖くて通れないのだと言っていた。

 秋穂は仕方なく西洋人に声をかけようと近寄った。日の当たらない場所にうずくまる西洋人は少し痩せて見えた。


「あの、大丈夫ですか?言葉通じますか?」


声をかけられた西洋人はゆっくりと顔を上げた。

 青く吸い込まれそうな瞳と目があって、秋穂は言葉を失った。

 薄汚れているものの西洋人の肌はきめ細かく白く美しい。金色に光る髪の毛も艶やかだ。とても人間とは思えない容貌をした西洋人に秋穂は一目で虜になった。


「あの、良かったらうちに来ませんか?」


そう言って秋穂は手を差し伸べた。西洋人はきょとんとしていたが、ゆっくりした動作でその手を取った。秋穂は手に触れただけで胸が高鳴ってしまった。

 そしてうっとりした表情で西洋人を見つめた。

 その西洋人がニヤリと歪に笑ったことなんて、秋穂には見えていなかった。




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