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13話 小春の血

 あれから小春は平穏な日々を過ごしていた。

 悪鬼に怯える事もなく、薄暗い部屋に閉じ込められることもない。遊びに来るあやかしを相手しながら、悠々自適に修行に励む日々。

 そして今日も小春は笠木の指導を受けていた。


「今日は吸血鬼についての知識を持ってもらいます」


吸血鬼という言葉に小春は少し身構えた。


「それはもしかして作戦の日が近いという事ですか?」

「いえ。まだ詳細は決まっていません。囮作戦は結婚披露宴の際に行われると思いますが、まだイギリスや日本との調整が終わっていないようですので」

「そうですか」


そうは言うものの、小春がアスター伯爵邸に来てから数週間が経った。いつ作戦があってもおかしくはないのだ。


ーー気を引き締めなくちゃ。


あれから修行を積んでいるとは言え、まだ小春には修行が足りない。小春は気合を入れて握り拳に力を入れた。


「小春様は吸血鬼とは何かご存知ですか?」

「はい。ロイ様から血を吸うあやかしだと教えていただきました。血を吸われた者は干からびて死ぬか吸血鬼のしもべになると」

「その通りです。そして主人である吸血鬼が死ねばしもべになった人間も死にます」


小春はゾッとした。吸血鬼に血を吸われた被害者なのに、吸血鬼に良いように使われて、そして吸血鬼と共に死ぬなんて、何とも報われない。


「吸血鬼は血を吸えば強大な力を得ます。空も飛べるし、人間ではとても太刀打ちできない腕力も持っています。しかし弱点もあります。それは日の光です。夜の世界の帝王である吸血鬼は太陽の光を浴びると灰になって死にます。あとは対魔用武器で心臓を刺す、とかですね」

「太陽の光か、対魔用武器……そうなんですね」

「そして小春様の血ですが」


あの悪鬼も小春の血があれば強くなれると豪語していた。血を吸う吸血鬼が小春の血を吸ったらどうなるのか、想像するのも恐ろしい。


「あやかしにとってはかなり力を秘めた血なので、一口飲めば倍以上の力を手に入れられます。椎原家が封印していた悪鬼がそれを証明していますね」

「え?ああ……」


そう言えば悪鬼は小春の血を舐めていた。


「あの悪鬼について調べましたが、本来なら椎原家の当主様、いえ二年前の小春様でも対応できたはずなのです」

「そんな!」


小春は信じられなかった。小春の血を舐める前から悪鬼は体も大きく、歩くだけでも地響きが起きていた。そして体だけでなく、その力も当然強かった。腕を握られた時の力は凄まじかった。そんな悪鬼が本来ならば椎原家で退治できる程度の力だったと言われても信じられない。

 確かに小春の血を舐めた後は、いとも簡単に人に大怪我を負わせられるほどの力になっていたが。

 小春は分からない、と言いたげに首を傾げた。

 笠木もそんな小春に優しく微笑んだ。


「信じられないのも無理もありませんね」


そこで笠木はふと小春の周りをウロウロするあやかしに目をつけた。笠木と目が合ったあやかしは慌てて逃げようとしたが、そのうちの一匹はいとも簡単に笠木に捕まってしまった。


「キャー!助ケテー!」


そう言って短い手足をパタパタ動かすのは狼のあやかしだ。


「彼で試してみましょう」

「え!?」

「安心してください。別に痛い事はしませんよ。小春様の血を与えるだけです。少しだけならそこまで強大な力は得られませんから」


そうは言うものの小春は迷い、狼のあやかしに視線を移した。狼のあやかしは瞳を潤ませ小春を見上げている。耳と尻尾が垂れているたころがなんとも可愛らしい。


「小春ゥ。僕、強クナル?血飲ンダラ強クナルノ?」


狼のあやかしはプルプル震えながら尋ねた。こんなにも怯えているというのに、狼のあやかしは強くなることを望んでいるのだ。

 だと言うのに小春は自分の血が怖かった。もし、狼のあやかしに小春の血が合わなかったら?思ったよりも大きな力を得て暴走したら?あの悪鬼のようになってしまったら……。そう考え始めると、どんどん嫌な方に考えてしまう。


「僕、強クナリタイ」


狼のあやかしは決意を固めた目で小春を見つめてきた。まだ小刻みに震えているが、その目はしっかりしていた。


ーー私も覚悟を決めなきゃ


小春は唇を噛み締めて、力強く頷いた。


「分かったわ」

「ウン!僕、頑張ル」


そんな二人の微笑ましいやり取りを、笠木は優しく微笑んで見守っていた。そして笠木は小春の手を取った。もう片方の手には針を持っていた。


「少しチクっとしますよ」


そう言って小春の指先に針を刺した。その小さな傷口からぷくりと血が滲む。

 小春はその指を狼のあやかしに差し出した。

 狼は小春の指を嗅いで恐る恐るペロリと舐めた。


「甘ーイ」


狼のあやかしはパッと笑顔を見せた。小春は少し安心してしまった。もし苦しんだり不味いと言われたらどうしようかと思っていたが、杞憂だったようだ。

 そしてポワポワと狼のあやかしが光り始めた。それと同時に少しずつ狼のあやかしの体が大きくなっていく。


「え……!?」

「想像以上の力ですね」


これには笠木も驚いたらしい。手のひらに乗れるくらいの大きさだった狼のあやかしは、柴犬くらいの大きさにまで成長したのだ。


「ワーイ!大キクナッタ!」


そう言って狼のあやかしは喜びながら小春の足元を走り回った。尻尾を引きちぎれそうなほど振っている姿は本当に犬のようだった。


「す、凄い……」

「これが小春様の血の力です」

「こんなに……」


小春は自分の血の力に震えた。まさか少し舐めただけでこれほどの効果があるなんて思いもしなかった。悪鬼が欲しがるはずである。


「さて。せっかくですからこの狼のあやかしと主従契約を結んでおきましょうか」

「え!」

「ワーイ!僕小春ノシモベー」


何故か狼のあやかしも喜んでいる。

 こんなに喜ばれては結ばないわけにはいかない。小春は人差し指と中指を立てて「我が声に応えよ」と唱えた。狼のあやかしは嬉しそうに小春の足元に寄り、あっさりと契約を結んでしまった。


「コレカラ一緒ダネ」


そう言ってすり寄る姿が可愛くて、小春はあやかしを優しく抱きしめた。血のおかげなのか、もふもふする狼の毛並みに、小春も癒されていく。

 その時、扉が急に開いた。


「失礼する」


突然入ってきたのはロイだった。遠慮なく部屋に入ってきて、さも当然のように小春の隣に座った。


「おやロイ様。またお仕事を抜けて来たのですか?」


どうやら図星だったらしい。ロイは顔を真っ赤にした。


「ち、違う!妻の様子を見るのも私の仕事のうちなんだよ……て、何だ?そのあやかしは」


ロイは小春が抱きしめているあやかしを怪訝そうに見た。見た事のないあやかしを不審に思ったのだろう。笠木はロイに説明した。


「小春様の血を飲んで力を得たあやかしです。せっかくでしたので小春様の使役妖怪にしました」

「何?血だと?」


ロイの目が少し険しくなった。そして小春に歩み寄ると少し強引に指先の怪我を見た。


「これか」

「あの。全然痛くもないですから。飲んだ血も少しですし」

「そうか……」


ロイは険しい表情を狼のあやかしに移した。さすがにロイはまだ怖いのか、狼のあやかしはきゅんきゅんと怯えて泣いている。


「ロイ様、男の嫉妬は見苦しいですよ」

「なっ!嫉妬なんかしていない!」


笠木の指摘に、ロイが顔を赤くして否定した。


「そうですか。なら良いのですが」

「笠木、信じていないだろう」

「ええ。信じていません」


笠木はとてもいい笑顔で言い切った。これ以上何を言ってもきっと笠木は信じない。ロイは参ったと言わんばかりの表情でため息をついた。


「さて。吸血鬼の授業を再開しましょうか」

「はい」

「狼さん。今は外で待っていてくださいね」


笠木にそう言われると狼は尻尾を振って部屋を出て行った。どうやら仲間のあやかしに自慢しに行くようだ。

 そして授業は始まろうとしているのに、まだ残ろうとするロイにも笠木は声をかけた。


「ロイ様も自分のお仕事に戻ってください」

「吸血鬼のことなら私の方が詳しい。教師には最適だぞ」

「ジェームズに叱られますよ」

「もう手遅れですけどね」


突然聞こえたジェームズの声に、ロイは目を見開いた。笠木はやれやれとため息をつくばかりだ。


「ロイ様、探しましたよ」

「ジェームズのいい運動になっただろう?運動不足のお前のためだ」

「では私からもお礼をしなければなりませんね」


するとロイはしまった、という表情を見せた。


「さあロイ様、執務室に戻りましょう」


今後こそロイは黙って立ち上がったのだった。



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