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11話 悪鬼襲来

 アスター伯爵邸にはあやかし用の結界が張られている。悪意のあるあやかしは安易に入れないようロイが張ったものだった。

 しかしそれも簡易的なものであり、不意に強力なあやかしが来た時には対応できない。

 だからこそ叫び声を聞いたロイの表情に緊張が走った。


「ロイ様、侵入者です。日本のあやかし……鬼でしょうか?二本の角が生えているように見えます」


ジェームズが窓から様子を確認した。ロイほどではないが、美しい男が門のあたりに立っている。遠くからではよく見えないが、頭に二本の角が生えているように見えた。


ーー鬼!?


小春は全身の毛が逆立つような感覚になった。すぐさま二年前の事件の悪鬼の記憶が蘇った。


ーーまさか……まさか!


小春の目の前で人を襲い、逃げ惑う椎原家の人間を遊ぶように追いかけ回していたあの悪鬼の姿が、今でも鮮明に思い出される。

 そしてそんな悪鬼に小春自身も何もできなかった。ただ目の前で倒れる人を支え、怯えるしか出来なかった。あの時の手のひらに残る血の感覚が思い起こされて、鼓動が速くなる。


「小春ゥ!ココニ居ルノハ、分カッテルンダヨ!早ク出テコォイ!!」


その時、鬼の雄叫びが屋敷中に響き渡った。


ーーやっぱり!


小春の顔が真っ青になった。聞き覚えのあるねっとりとした声はまさにあの悪鬼のものだった。


ーーここまで追ってきたの?しかもこんなに早く!?


その執念に小春は恐怖した。

 しばらくは悪鬼が追ってくることもないと思っていた。けれどそれがどんなに甘かったか今思い知った。

 カタカタと小さく震える小春を見て、ロイは部屋を出ようとした。そんなロイを引き止めようと、小春は咄嗟に叫んだ。


「伯爵様!お待ちください!あの鬼は危険です!」


しかしロイは不敵に笑って見せた。


「危険だから逃げるのか?」

「そ、それは……」


確かにあのような悪鬼から人々を守るのが陰陽師の役目だ。出来ないからと言って逃げていては話にならない。


ーーでも……でもっ!


それでも小春は行ってほしくなかった。もうあんな惨状を見たくない、その思いでいっぱいだった。

 自分にもっと実力があれば、こんな思いをしなくていい事も分かっている。けれど今の小春では力不足なのだ。それも嫌というほど分かっている。

 小春は何も出来ず、何も言えず、ぎゅっと目を瞑った。

 そんな小春の頭を、ロイが優しくポンポンと撫でた。不器用な撫で方だったが、充分優しさが伝わってくる。

 小春はさっきまでの恐怖心を忘れて、目をぱちくりさせながらロイを見上げた。


「大丈夫だ」


ロイは自信に溢れていた。その頼もしい姿に小春は見惚れてしまった。


「俺が負けるわけないからな」


そう言ってロイは部屋から出ていった。小春はロイが出ていく姿を呆然と見つめていた。

 そして扉が完全に閉まった時、ようやく意識を取り戻した。


「た、大変!私も……っ!」

「お待ちください」


そして慌ててロイの後を追おうと扉の方へ駆け寄った。が、すぐにジェームズに呼び止められた。


「お言葉ですが、足手纏いになるかと思われます。ここで待機している方がよろしいかと」


ジェームズの言う通りだ。

 椎原家で二年間まともに修行できなかった小春は、悪鬼に何も出来なかった時のままだ。


ーーでも。だからってこのままでいい訳ない。


ロイの言葉が頭の中で呼応する。「危険だから逃げるのか」と問われれば「否」と答えねばならない。


「でも……私も陰陽師の端くれですから」


小春はそう言って部屋を出た。その声はわずかに震えていた。

 まだ慣れない廊下を迷わないよう思い出しながら玄関を目指した。


ーー私では力不足なのは分かってる。でもあの悪鬼の目的は私の血。それなら!


小春は自分の血を利用して悪鬼の隙を作ろうと考えた。囮作戦の予行演習だと思って、小春自身の存在意義を示したいとも思ったのだ。


ーー私だって役に立ってみせる!


陰陽師として、そして契約の妻として。小春は自分にできそうな事をしようと心に決めた。

 そして玄関の扉を勢いよく開けた。


「何ダオマエエエエェェェ!!」


すると悪鬼が雄叫びを上げていた。


「何デ何デ何デ何デ何デ何デ」


動揺して嫌な汗をかいている悪鬼が、荒い息でロイを睨みつけている。

 そんな悪鬼の片腕は綺麗に切り落とされていた。


「何で、だと?」


ロイは一振りの刀を持っていた。その刀からは赤黒い血がポタポタと滴り落ちている。


「貴様が弱いだけだろう?」


ロイはさっき小春に見せた不敵な笑みのまま、そう告げた。悪鬼は何も言えず痛みに耐えながらロイを睨みつけていた。

 しかしその時、悪鬼は屋敷の玄関に立ち尽くす小春を見つけた。

 そして小春を見つけた瞬間、ニヤリといやらしい笑みを見せた。突然変わった悪鬼の態度にロイもすぐ気がついた。

 振り返って何かあるのかと確認すると、そこに小春がいるのが見え、目を丸くした。


「小春ゥ。見ツケタァ」


悪鬼はよだれをダラダラと垂らしながら小春に近寄っていく。片腕を落とされているのでそこまで速くはない。

 逃げようと思えば逃げれる。

 だが小春は動けなかった。


ーーやっぱり怖いっ!


二年前の事件が蘇ってどうしても体が動かなくなる。


「逃げるんだっ!」


ロイに怒鳴られて小春は体をビクッと震わせた。

 しかし間に合わず、悪鬼は小春の目の前までやってきていて、襲いかかってきた。


「小春小春小春小春小春ゥ!オ前ノ血ガ、アレバ俺ハコイツナンカニ負ケナインダアァァ!!!」


その必死な悪鬼の形相に、小春は逃げ遅れてしまった。


ーーああ。悔しいけど、終わりかな。


両親が「死ねばいい」と言っていた姿を思い出す。まさか吸血鬼の前に悪鬼によって死ぬことになるなんて、思っていなかった。


ーー辛いことが多い人生だったな。


思い返してみれば、幼い頃から修行の毎日だった。それなのに目の前の悪鬼の事件があって厄介者として部屋に閉じ込められた。

 修行は楽しかったが、友人と呼べるのはあやかしくらいだった。


ーー友達も作りたかったし、恋もしてみたかった。


そう思って小春は覚悟を決め、瞳を閉じた。


「ギャアアア!!!」


しかし次に感じたのは痛みではなく、生温かい飛沫が飛んでくる感覚だった。どろっとした嫌な感覚が頬を伝う。小春はゆっくりと目を開けた。

 そこには小春以上に血飛沫を浴びたロイが立っていた。美しい白い肌に飛び散った赤色が、妙にロイの美しさを際立てている。


「大丈夫か?」

「え……は、はい」


ロイは険しい表情をしていたが、優しく手を差し伸べてくれた。

 小春は戸惑いながらその手を取った。


ーーあ……。


まずい、と思ったがそれはもう遅かった。

 ロイの手を取った瞬間、大きな涙の粒がぼろぼろとこぼれ落ちていく。泣くつもりなんてなかったので、小春も今の状況に驚いてしまった。

 しかし小春以上にロイが困惑していた。


「ど、どうした?どこか怪我したのか?痛かったか?」


オロオロしながら小春の体に傷がないかじろじろ見ている。


ーーあれ。おかしいな、私。


止めようと思ってもなかなか涙が止まらない。それどころか止めようと思うほど涙が溢れてくるのだ。

 二年前に助けを求めて伸ばした手。

 あの時、両親も誰もその手を取ってくれることは無かった。

 それなのに今、数日前に会ったばかりのロイから手を差し伸べられて、その手を取っている。


ーー私、ようやく……。


小春は、ようやく二年前の悪夢から引っ張り上げてもらえたのだ。


ーーここにいたい。


そうして小春はようやく居場所を見つけた。

 この居場所がたとえ契約で成り立つかりそめの居場所だとしても。


ーーロイ様のそばにいたい。


心の底からそう思った。


「本当に大丈夫か?」


まだ動揺しながら小春を伺うロイに、小春は必死に涙を拭って、精一杯の笑顔を見せた。


「はい、何ともありません。驚いただけです。すみません」

「それならいいんだ」


小春の笑顔を見て、ロイはようやく安心した表情を見せた。

 悪鬼と対峙していた時の自信満々な様子からは想像もつかない優しい笑顔に、小春はいつの間にか涙が止まっていた。


「ロイ様、ご無事ですか?」


そこにジェームズもやってきた。いつの間にか小春の後ろに控えていたようだ。小春は急に声がして肩をビクッと震わせた。


「ああ。傷一つない」


そう言って刀をジェームズに預けた。刀を受け取ったジェームズは鬼を切ってもなお鋭く輝く刀に感心していた。


「さすが破魔剣ですね」

「そこは破魔剣じゃなくて俺を褒めるところだろ」

「失礼しました」

「破魔剣、ですか?」


それは陰陽師の一部の人たちが使っている神具だ。陰陽師の術の腕前だけでなく刀の腕前も必要となるので扱いが難しいと言われている。

 まさかそれをイギリスから来たロイが使っているとは思わなかった。


「もともとイギリスでも剣を使っていたんだ。それならば日本のあやかしと戦う時には破魔剣が最適だろうと、いただいた物なんだ」

「そうだったんですね。素晴らしい使いこなしでした」


小春から褒められたロイは自信満々に不敵な笑みを見せた。


「当然だろう?」


その笑顔を見て、小春は何故か安心してしまった。

 そしてそれと同時に、このままでは駄目だと強く感じた。


ーーロイ様のそばにいるのに相応しい人にならなくちゃ。


小春はこの伯爵家で新しい居場所を見つけようと心に決めた。契約が終わってもここで働けるようになるために、今できることをしようと決意したのだった。


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