クリスティナ捕まる
胸が苦しい。息も欲しいだけ吸えない。好きに走るならもっと楽に行けると思うけれど、今はこれまでになく速く走っている。
汗が目にしみて痛い。男の子のように腕でぐいっと拭う間も必死に前を目指す。
ひゅんと音を立てるように何かが目の端をかすめ、クリスティナと同じ速さで顔の横を飛行する。
「クリスティナ、追いかけっこしてる。楽しいことはダーも呼んで欲しいのよ」
「ダー君っ」
どこに行ってたの? 同じ所にいてくれなかったから大変なことになっちゃったんだよ、と言いたいけれど、今はそんな余裕がない。
馬車まではあとどれくらいなのだろう。胸が破裂する前に着けるのか心配だ。
「ど、どこに」
これが精一杯。
「後ろよ」
後ろ? そんなはずはない。通ってきた道に停まっていたのはどれも高級車だった。
今度は車輪の音が響き、一頭立ての馬車がクリスティナを追い越していく。
ちらりと見上げた御者台には、見覚えのあるおじさん。これこそがクリスティナの乗ってきた馬車だ。
「ね?」
ダー君の得意げなお顔。「生意気っ」とおでこをピンっとしたいのに、余裕が全然ないのが悔しい。
馬車の速度が徐々に緩やかになった。完全に止まる前に飛び乗ってそのまま走ってもらえば、レイから逃げ切れるんじゃない?
クリスティナの胸に希望の火が灯る。
「ティナちゃん! レイさん? どうして走っているの?」
まだ止まらない馬車から身を乗り出して振り返ったフレイヤお姉さんは、明らかに困惑していた。
どうして走っているか。それは、追われているからです。
「フレイヤさん!」
レイの勢いが増したのを背中で感じる。
「デカい子、うるさい」
じゃ、ダー君がなんとかして。これも息が苦しくて言えない。
クリスティナがフレイヤお姉さんに手を伸ばすと、お姉さんも伸ばしてくれた。うまく掴んで飛び乗れば、いけるかも。
指先が触れそうになった時、自分の意思には関係なくクリスティナの体が持ち上がった。
腰から二つ折りになりそうなほどお腹が圧迫されて、ぐえっとなる。
ただでさえ走り過ぎて吐きそうになっているのに、なんてことをするのだ。
「クリスティナ、捕まっちゃった」
ダー君状況説明をありがとう。
「フレイヤさん、よけてください」
お腹にまわっているのはレイの腕。クリスティナをひと攫いにして、力強く路面を蹴り勢いを利用し馬車に飛び乗る。
地面との距離が急に変わって気持ちが悪い。クリスティナは瞼を閉じた。
「レイさん! この馬車は二人乗りよ」
「大丈夫ですよ。クリスとフレイヤさんを足しても男ひとりより軽い」
そのまま進むよう御者に指示したレイの膝にクリスティナは抱えられた。密着した体越しにレイの鼓動が伝わる。
少し汗ばみ呼吸も荒いのは、追いかけっこが負担だったせいだと思えば、自分の頑張りを讃えたい。私よく頑張りました。
私まあまあお姉さんなのに、抱っこで馬車に乗るなんて……そこは負けたし、座席が狭いので諦める。
「また、追いかけっこする?」
どこまでも楽しげなのは、フレイヤお姉さんのお膝におさまったダー君。
他の誰かとすることはあってもレイとはしない。
心に決めたクリスティナを乗せて、馬車は軽快に帰路についた。




