後の先
腕の感覚がない。右腕はもがれてないが、柄を握る左腕は焼け焦がれ、脱力してぶらついている。力を籠めることは出来ない。——出来るわけがない。けれど、本殿の奥の台座らしきものに、意味ありげに春遥が寝かせられているのを見て、籠められるはずのない力を頭のてっぺんから、足先に至るまで籠められずにはいられない。
「童。覚悟を。」
「はっ。ガキはそちらだ。かかってくるがいい。無意味なのは分かりきっているけどね。」
————。焔が音を立てて燃え盛る。そして一切が静寂。
心臓が余計高鳴る。
「焔。」
本殿に灯る焔に映る陽炎。
「焔。蒼炎となりて。」
柄を握る片手。もはや焼け爛れ見るに堪えない。
「この剣、真焔なりて。」
皇子の振るう御剣、人の叢を焦がして。
「八雲に八重垣作りたる神剣。」
——その名を、今は叫べない。
けれど斬撃は、かの邪龍を討ちとりし神威の一撃。
「回避不能。喰らえぇっ!!」
鞘から引き抜かれた妖美な刃の色。そして鮮血。幼体から勢いよく吹き出す刹那——。
「馬鹿な——。」
確かな手ごたえがあった。ようやくだ…。逆転の兆しが見え始めた。
「だがね、結局は紛い物。私の核には…。」
しかし、奴の血はとめどなく流れる。
「紛い物と言えど、一時の神剣。絶えず貴様は、その神の恩寵を削がれ続ける。」
「…そうね。」
奴は鼻血を拭った。
「つまり後はシンプルか。斬りあい、殴りあい。低俗な殺し合い。人間のように。」
けれどそううまくはいくまい。相手はどうやら“奴”と同格。この程度では殺しきれん。故に——。
「道鐘!」
「よしきたぁ!」
奥から、春遥を抱えた道鐘が飛び出してくる。
「契約を果たせ!天使!春遥の身があぶねぇぞぉ!!!」
「——履行。」
瞬間、雷が本殿を貫く。直撃はしなかったが衝撃で、私たちは吹き飛ばされる。
「大丈夫かぁ!道鐘ぇ!!」
「ええ、ええ!桐生さんの読み通りでした。狙いはあくまで春ちゃんっ!その上、春ちゃんからは離れられない。」
「全く、なかなかな賭けをしてくれる。辛うじて残っていたから何とかなったがね…。」
天使は悪態をついた。とするとあの轟雷は奴のもので間違いない。
「あれはどうする。」
「短期決戦さ。それ以外ない。けれど、それほど余裕もない。当然手伝うね。」
「…あーあー。わーったよ。やってやるよ。道鐘は先にここから出て脱出ルートの確保を頼む。」
道鐘がそれを聞いて走り出そうとしたのを春…天使は手で遮りこう言った。
「ここは非常に強度の高い結界だ。主をどうにかしないと君らには出られないよ。」
「…君がそういうんなら、僕は後方支援に回らせてもらいます、桐生さん。」
「ああ、心強い。」
「…君に出来ることはないよ?」
気を使ってくれた道鐘の心意気を天使は粉砕した。
「お前はちょっと黙ってろ。」
語気を強めにそう言うと、眼前をハヤブサの勢いですり抜けるものがあった。
「お出ましだね。」
サリの方から強烈なハイキック。手で軽くあしらった天使は、次いで二撃をすんでで回避して今度は強烈なカウンターミドルキックをお見舞いした。サリのより小さな肉体は当然耐えられず吹き飛んだ。
「もらったぁ!!」
俺は一気に踏み込み、首を取ったと思い込む。けれど、
「そこまで甘くはない。」
宙に浮いていたはずの肢体を物理法則を無視した動きで、私の鳩尾を蹴り上げた。
「うごおぉぉあぁっ…。」
しくった…。俺は地面に無様に転げ落ちた。
「くっそぉ…!くらえ!!」
背後で何か道鐘がやっているのだろうが、俺はどうにも起き上がれないようだ。
「こぉおぉ、のぉおぉぁあ!!」
すんでで、サリの追撃を免れ、すかさず反撃を入れようと地面すれすれの極下の姿勢を取る、しかし、再び蹴り飛ばされる。
「あぁ!?天使、てめぇぇえぇっ!!!」
「少し休憩。それにまだ、得物に慣れてない。」
「桐生さんっ!!おあぁっ!ぶね。」
辛うじて道鐘に受け止めてもらった。
「道鐘。すまん、助かった。」
「ええ。天使の奴、何考えて…。」
どうにか逸る闘志を抑えて天使の言うように、一旦平静を取り戻すことにした。だが、その思惑とは裏腹に未だ終わらぬ拳戟に俺は見惚れてしまった。
「…っちゅうか、あれ春ちゃんの体やんけ!天使、こら、その体雑に扱うんちゃうどぉ!桐生さんもホラ…、桐生さん?」
みえる。——視得る。速さはやはりとんでもないが、早さは大したことはない。
「道鐘。これ、預かっておいてくれ。」
「え、桐生さん…。あ、あっつぅ!?ちょっ、ちょ桐生さん!?」
抜き足で、即座に距離を詰める。天使一辺倒だったサリが、即座にこちらに標的を切り替える。そしてその、恐ろしい速度の前蹴りを放つ。が、前蹴りなのは分かりきっていた。その幼い足を最大の握力で掴み、後ろへ放り投げた。
「休憩は終わりか、桐生。」
「ああ、交代だ天使。あいつは俺が殺す。」
****
桐生のそれは、「殺人拳」である。活人拳と言われるかもしれんが、とにかく桐生の使うそれは様々な格闘技のエッセンスを感じる異様な武術である。玉石混合のその系譜を武術のレベルにまで昇華させているのは、彼の師範である祖父君のそれまでの修練の賜物と言えよう。
「まぁ、一旦はその方向性でもいいか。とりあえず、私によく見せてみろ。私を興じさせてみよ。話はそれからだな。」
“自称”天使は楽しそうに笑う。
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[瑕為。技の起こりを視よ。それこそ、我が拳術の根幹。対人である以上、唯一の、しかして確実の勝機とはここにある。“後の閃撃“とワシは呼ぶ。これを極めよ。]
今に至るまで、じいちゃんが何を言っているのかが分からなかったが、ここだ。この死線の先にある。視界が狭まる。眼前の敵の姿のみ、後の情報は全て削ぎ落してしまう。
「何が起きた…!?先刻は容易に吹っ飛ばしたのに、今度は、うっ、ぅ私が…?」
木を背に向けたサリに追撃を入れる。しかしこちらの攻撃は容易に躱されてしまう。
「はは、暇つぶし、と言った、でしょう!!!」
ああ、また中段が来る。足を掴むが、次は捻りを入れてこちらの腕を折るつもりか、ならば、
「ぐががぁああ!!!???」
敵の右膝に、痛烈にひざを入れ、v字に折る。そのまま横っ面を力任せにぶん殴り、十尺は吹っ飛ばす。
「存外弱いな、お前。」
手ごたえのなさに驚いた。まさか、本気ではないのか。
「あまりなめるなよ、塵芥風情が。」
眩い閃光を放つかの如く蹴りが飛んでくる、三秒後ぐらいに。なので少しかがみ、飛んできたところに両手を添えて左足を掴む。
「は?」
そのまま体を地面に叩きつけ、ひるんだ隙に左足の半月板を破壊する。
「ごあああぁあぁっぁぁあぁああ!!!!」
そして、折れた両足を持って二人の方へ引きずっていく。
「はぁ、はな、せぇ…。」
****
「こいつの殺し方は?」
「道鐘の持つそれだ。」
桐生さんは、僕に近づく。鞘にしまわれたこの剣は先ほどよりは熱くないが、この間に僕の手も火傷を負ってしまった。
「道鐘。」
瞬く間にすぐそこに来ていた。僕の足はガタガタ震えていたが、両腕は何とか、桐生さんに剣を渡してくれた。
「ああ、ありがとう。」
鞘から抜き取った刃は妖しく光っていた。
「その前に、私から。かつての同胞よ、君は鵺からの使者だね。」
「…。」
「言っておくが黙秘権はないよ。神剣に切られると、私たち上位存在とはいえ、あっちに帰れるか定かではない。あれだね、人間でいう、銃をこめかみに向ける、っていうシネマ、とかで見るやつだよね、確かね。」
しかし、桐生さんはピクリともしない。地面に力なくへたり込むサリちゃんをまっすぐ見下ろしている。
「…まぁ、いいや。で、どっちなんだい。」
「…その通りです。密偵として、緊急時の暗殺者として送り込まれました。ですが貴方がこの社へ向かうという計画を打ち出したため、急遽予定を変更したまでです。」
「その目的とは?」
サリちゃんは、とうとう口ごもってしまう。
「…いくら、貴方様と言えど、流石にそれは。守秘義務もありますし…。」
「そうか、なぁ桐生。話してくれないってよ。」
桐生さんは躊躇なく剣を振り上げた。
「あ、ああぁあ!言います、言いますから。申し上げますと、詳しくは知り得ないのです。契約の都合上、この仕事の完遂で受肉を果たせるので、その目的などは聞き損じました。ですが、神剣の鋳造に関しては、曰く形代とし、何かを呼び起こすとかなんとか。その名を聞きはしたのですが、何せこちらの体系なぞ知らず、神なのかその他の何某なのかは知り得ません。私の持ちえる情報はこれまでです。天使様とその見初めし人間の御力に関しては一層感服いたしました。完敗です。ですので、受肉の件は諦め今一度地獄で頭を冷やしてまいります。…なので、その。」
「なので…、何だい。私としては私たちの旅路を邪魔されて非常に腹立たしいんだが、その程度の誠意で許されるとでも?」
「いえ、いえ!斯様な甘えた考えは微塵もございません。無論、貴方様の望む働きは致します。しかる後、どうかご慈悲を。」
「ふうん。で、どうする桐生。君が決めろ。」
「実に悪魔らしい考えだな、堕天使サリエル。」
「——っ、貴様…!」
は?堕天使?そんな話は全く出てこなかったんだが、桐生さんはなぜ、そんなことを…。
「看破していたか。多分隠蔽の魔術等使っていただろうが、よく人の身で推理して見せた。ちなみに根拠は?」
「サリ、なんて名前が分かりやすすぎる。こんな大事な局面でない限り、多分逆に予想も付かなかったが、今となっては、“天使のお前と主従関係にあったこと”と“契約で呼び出されたこと”つまり、こいつとは違って天使とかそんなんじゃなくもっと邪悪な堕天使、悪魔の類。そして今の態度、発言。今ここでこの肉体が死んでも、うっすらだが、別にそこまで痛手じゃないというか。死ぬことはそんな問題じゃない、ああ、そこで繋がったんだ。となるともう一柱に絞れるってな。もとの大天使サリエルは死と闇を司る天使。肉体さえ用意できれば、何度でもやり直せる口だろう、お前。うちの天使とは違って。」
「…。」
サリちゃん、いやサリエルは絶句している。逆に天使は顔に手を当て、…笑っている?
「…何なんだ、貴様は。」
「かつての同胞よ。彼はね、やがて英雄になる男さ。凌雲立ち込める、この先必ず訪れる終末世界に、我らが主の福音をもたらす、最後の希望。彼の相手は君ではどうやら役者不足だったみたいだね。」
「…ええ、そうですね。全くその通りです。私も認識を改めます。」
…なんだかさっきまで異様に緊張していた空気が少し和らいだみたいだ。
「さて。まぁ彼女もこう言っているし、また旅を続けようか。もと上司の私が保証しよう。こいつは使い方さえ間違えなければ、よく働くよ。」
「あ、ああ。車持ってきます。桐生さんはほんとに休んでください。…っちゅうか、違うわい。手当せなはよ、傷もその火傷した手も。救急箱車あるんでとにかく車持ってきます。」
僕は焦りつつも、駐車場へ駆けだそうとした。
「道鐘、天使。まだだ。まだ最後終わっていない。」
「は?」
僕は面食らってしまった。彼は、何を言っているのだろう。
「ぁ。」
刹那、鮮血が辺りに飛び散った。僕も天使も目線を外していた。幼子の生首が境内に転がって、終に僕の足元で止まった。
「は。」
「悪魔の言は一音一音全てが嘘だ。そも、敵の斥候を生かしておくか?即刻殺すべきだ。」
僕の思考は止まったまま、動かない。何で?
「なんで。」
その一語に脳を埋め尽くされた。
「一応言っておくが、憑依されたこの幼子はいわば脳死のような状態で、サリエルを祓えば助かる可能性も万が一にも一応あったわけだが…。桐生、君は。」
「…てる。」
おかしい、この人は。この人は…。
「狂っとる。」
「…いいや、いんや!それでこそだ!やはり私の目に狂いはなかったぁっ!」
天使は両手を掲げて天を仰いで高笑いしている。桐生さんは剣をもったまま幼子の骸を見ている。いつしか、境内を覆っていた帳は降りていた。強烈な日差しが入り、また蝉が鳴きだしたが、僕は耳鳴りが五月蠅くて五月蠅くて、気分が悪くて、やがて気を失った——。
体感、今年は蚊が大量発生してますね。




