逆向へ
胃液が逆流してきたような気持ち悪さを喉の奥に感じて、思わず僕は飛び起きた。
「ーーっ、ぁ。ぅぁあ。寝とったんか…。ここは、…車か。」
キャンプカーの寝台に、申し訳程度のブランケットを傍に横になっていたらしい。ということは桐生さんにここまで運んできてもらったのだろう。
「目ぇ、覚めたか。」
運転席を見ると、桐生さんはハンドル片手に地図アプリを操作している。ちょうど赤信号のようだ。
「あ、…はい。す、んません、運んでもらっちゃって。」
「気にすんな。あと、あんまり大きな音は出さんでくれ。」
そう言うと桐生さんは親指で自身の後方を指した。見ると、座席に春ちゃんが、縮こまって眠り込んでいるのが見えた。慌てて僕は口を塞ぎ、音を立てないように寝台から降りた。
「場所だけ交代させときますね。」
「おお、流石。気の利く男よ。」
「は、思ってもないこと言わんで下さい。」
軽口を叩き合いながら僕は熟睡している春ちゃんを抱き抱えた。
…あまりに、簡単に持ち上げられてしまって少々たじろいでしまったが、(僕は一人っ子だからこの年頃の子のことなんて全然分からんが、桐生さんはおかしいと思ったんじゃないか)僕は春ちゃんを寝台に横たえ、助手席に移った。
「ぐっすりですね。」
「お前もな。二人とも大分無茶振りをさせてしまったな。本当にすまんかった。」
「いや、桐生さんの案が無ければ今頃どうやら、ですしこうやって三人とも五体満足なんで良かったですよ。」
「そうだな、本当に危ういところやったわ。今回ばかりは。」
「ほんまですよ。」
…。
「桐生さん…。」
「あのとき、…」
計らず二人の声が重なってしまった。僕の話は雑談程度のものなので、すんなり桐生さんへ譲った。
「あ、ああ。すまんな。…あのとき、私の心は二つあった。」
「…。」
「すんなり許す道もあったはずだ。結果的に奴の目論見は完全に阻止できたはずだから、天使の言葉を信じてこれから先手を借りて先を目指す道もあるにはあった。」
「…けど。」
「ああ、あの場では理屈を捏ねてみたが、単に復讐がしたかった。春遥やお前を危険な目に遭わせたサリエルを簡単に赦すわけにはいかなかった。報いを受けさせたんだ。完全な私怨で。」
「桐生さん…。」
「だが、お前たちまでそんな修羅の道を通る必要はない。殺人鬼はこの世に一人だけでいい。あくまで君らは私に誘拐されているだけだ。」
…。
桐生さんはチラリと僕の顔を見たが、生憎僕がこんな表情なので、苦い顔をしてすぐに前に向き直った。
「それじゃぁだめかー。」
「はい。」
「ストックホルム症候群じゃないが、あんまり美化され過ぎても困るんよなぁ。」
「桐生さんは桐生さんのままですよ。」
「それは、…どういう…。」
「ほら、信号青ですよ。」
「あ、ああ。」
あのとき見えた、"桐生さんじゃない"桐生さん。多分桐生さんは僕らに何かを隠しているだろうし、二度とそのことを話すつもりはないらしい。けれど、僕たちが一方的に彼に守られている中、僕も桐生さんを見えない何かから守らなあかん。
「ナビしますよ。折角助手席来たんやから。」
僕だってこの二人のために命を賭す覚悟は出来ている。
****
道鐘には話していない。無論、春遥にも。"英雄"とは何なのか。天使が譫言のようにのたまっていた、"英雄"とは。何で私が、何て思うこともたまにあるが、この二人のためならば私は何だってする。何にだって為る。結果、道鐘。君の期待を悪い意味で裏切ろうとも。私は前へ進むことにした。けれど今は、
「今一度の余暇を楽しもう。」
「え?」
地図アプリを凝視していた道鐘は呆気に取られたように返事した。
「いや、こうやって落ち着いていられるのも今のうちだからな。」
「…ですね。とりあえず空港までちょっとかかりますし、ゆっくり行きましょうか。」
「ああ。」
短めです。書き足すかも。




