7話:マドンナの休日
運命を引き寄せる糸は
誰も気に留めない日常の中に結ばれている。
「たまには静かな場所で
美味しいコーヒーでも飲みたいなぁ……」
夜。自室のベッドの上でゴロゴロと
転がりながら、スマホを眺めて呟く藤咲。
部屋着の短いショートパンツから伸びる
しなやかな太ももの圧倒的な眩しさと
仰向けになることで無防備に放り出された
胸元の艶やかなライン。微かに鼻腔をくすぐる
藤咲の甘い体香と、身をよじるたびに
小さく揺れる肌の質感。いつもの通り
透明人間となって部屋の隅に潜入している
俺の視線は、侵されたように
釘付けになっていた。
画面に映っているのはレトロな喫茶店や
カフェの検索ページだった。完璧なマドンナ
として社内の羨望と視線を一身に浴び続けて
いる藤咲だからこそ、休日くらいは誰の目も
気にせず羽を伸ばせる居場所を求めていた。
ため息混じりに唇を尖らせる幼げな横顔は
社内では絶対に見られないほど愛くるしく
胸が締め付けられるほど愛おしい。
「どこに行っても混んでるし……
静かな隠れ家っぽいお店があればいいのに」
翌日の昼下がり。給湯室で一人
コーヒーを淹れていた時のことだ。
なるべく人とバッティングしない時間帯を
選んだつもりだったが、背後から軽やかな
足音が近づく。ふと視線をやると
そこにはマグカップを両手で包み込むように
持った藤咲が佇んでいた。ふわりと漂う
可憐な香りと、至近距離で対峙する
マドンナの圧倒的なオーラ。社内で
二人きりになることなど滅多にない俺は
背筋が凍りつくほどの緊張で
思わず全身に力が入る。
「お疲れさまです……」
お互いに軽く会釈を交わすと、俺は呼吸すら
忘れたままそそくさと給湯室を後にしようと
した。その去り際。焦ってポケットから
財布を取り出そうとした拍子に
一枚の紙きれがポロリと床に滑り落ちた。
「落ちましたよ……」
屈み込み、わざわざそれを拾い上げてくれた
藤咲。至近距離で見下ろす藤咲のうなじの
美しさに息を呑んだ。拾ったシートに
印刷されたレトロなイラストと
コーヒーチケットと書かれた文字に、藤咲の
視線がふと留まった。それは会社の喧騒から
遠く離れた路地裏に佇む、俺が一人で密かに
通っている隠れ家カフェのものだった。
しばらく物珍しそうにチケットを見つめる
藤咲の吸い込まれそうな瞳の圧力に
耐えかねた俺は絞り出すように
ボソッと声を漏らした。
「あ、すみません。
路地裏にある小さなお店のやつで……
休みの日によく一人で通ってるんです……」
その刹那、藤咲の瞳がパッと開かれ
ほんの少しだけ輝くように興味深そうに
揺れた。俺はそそくさとチケットを
ポケットに押し込み、逃げるように
短く頭を下げて給湯室を後にした。
(心臓が……
心臓が口から飛び出るかと思った……!!)
自席に戻った俺は、そそくさと逃げ帰って
しまった自分の情けなさと不甲斐なさに
冷や汗をダラダラと流しながら
キーボードを叩く手の猛烈な震えを
必死に抑えていた。どれだけ呼吸を
整えようとしても、胸の奥から湧き上がる
激しい動悸が収まらない。
あの瞬間の藤咲の表情が脳裏に焼き付いて
離れない。完璧なマドンナがほんのわずかでも
目を輝かせてくれたという事実。強烈な
高揚感が甘い毒のように全身の血を駆け巡る。
直接、言葉を交わしたからこそ皮膚感覚で
伝わってきた藤咲の熱量に、俺の胸は
歓喜と興奮で熱く満たされていくのだった。
その後の藤咲は、一体どんな顔をして
過ごしているのだろう。 昼間に蒔いた予期せぬ
小さな種が藤咲の中でどう育っているのか。
胸の鼓動を早めながら、俺はすでに今夜の潜入を
心待ちに思い、密かに心を躍らせていた。




