14話:マドンナと透明人間
深い優しさほど、目に見えない形で
届けられているのかもしれない。
ある日の夜、残業を終えて一人で
自宅への夜道を歩いていた藤咲の背後に
暗い影が忍び寄っていた。同僚の高木だ。
酒の匂いをさせて狂気を孕んだ目で
藤咲の腕を強引に掴む。
「藤咲、なんで俺を拒むんだ?」
「やめてください高木さん! 放して……!」
悲鳴すら掻き消されそうになったその時
同じく帰宅途中だった俺の耳にかすかな
悲鳴が届いた。胸を騒がせ路地裏へ
駆けつけると、高木に押し倒されそうに
なっている藤咲の姿が視界に飛び込んできた。
頭が真っ白になった。生身の男として藤咲を
守りたいが、高木の体格と力に対し、丸腰の
俺が立ち向かっても敵わない。
俺は迷いを衣服ごと捨てて全裸になり
透明人間へと姿を変える。風を切るように
全力疾走して高木の手を力任せに振り払った。
「な、なんだ!? 」
混乱する高木のみぞおちに強烈な体当たりを
叩き込み、地面に転がす。高木は恐怖に
悲鳴を上げながら、夜の闇の中へ逃げ出して
いった。恐怖で身体を震わせて、力なく
座り込む藤咲を横目に、胸の奥で警報のような
激しい動悸が打ち鳴らされる。極度の緊張と
全力疾走の疲労、そして何より愛おしい藤咲を
救い出した興奮と安堵。それらが重なり
俺の心拍数は限界値を遥かに突き抜けていた。
「くっ……しまった......!」
心拍数オーバーによる強制実体化が行われて
空間から歪むように全裸の俺の姿が
藤咲の目の前に鮮明に立ち現れた。
「きゃーっ!!」
静かな夜の路地裏に、甲高い藤咲の悲鳴が
響き渡る。藤咲は両手で顔を覆いながらも
指の隙間から目を丸くして俺を見つめていた。
「さ、佐藤さん……!? なんで……!?」
混乱を極めている藤咲を前に、俺は慌てて
脱ぎ捨てた服を抱えて、その場を後にした。
服を着直して、急いで路地裏へと駆け戻ると
そこにはまだ身体を震わせながらたたずむ
藤咲の姿があった。
「藤咲さん、怪我はないですか……!?」
息を切らせて駆け寄る俺を見て、藤咲は
困惑した瞳で俺を見つめた。
俺は深々と頭を下げ、意を決してこれまでの
全てを話し始めた。弁明しながら正直に
全てを明かした俺に、藤咲は目を丸くして
息をのんだ。目の前で顔を真っ赤にしながら
必死に頭を下げる不器用で誠実な佐藤の姿。
その姿が、これまで何度も自分を救ってくれた
見えない優しさと重なった瞬間、藤咲の
大きな瞳からボロボロと温かい涙が溢れ出した。
「……気味悪いなんて思いません。
ずっと陰から守ってくれていたんですね……」
込み上げる感情を抑えきれなくなった藤咲は
俺の服の裾をギュッと両手で掴んで、胸に
顔をうずめるようにして泣きじゃくった。
会社で見せる完璧なマドンナの表情は跡形もなく
消え去り、そこにあったのは幼子のように
無邪気に感情を溢れさせるあまりにも小さく
可愛らしい素顔だった。身体を細かく
震わせながら、言葉にならない感謝と
愛おしさを全身で伝える彼女の温もりが
掴まれた服の裾を通してダイレクトに
俺の胸へ伝わってくる。これまで
誰にも頼らず一人で孤独に戦ってきた
藤咲の心に俺の存在がどれほど深く
寄り添っていたかを物語っていた。




