12話:マドンナの素顔
本当の素顔は、華やかな街の喧騒から
遠く離れた場所でひっそりと咲く。
週末、駅前の喧騒から数本外れた
静かな路地裏。古いレンガ造りの建物の
地下に潜むそのカフェは、ジャズの音が
静かに流れる、俺のお気に入りの隠れ家だ。
藤咲が高木に連れ出されていた
騒々しく派手なカフェとは対照的な
木の温もりに満ちた落ち着いた空間。
店内の奥まったソファー席で一人待ちながら
俺の心臓はすでに破裂しそうなほど
激しく脈打っていた。会社という盾もない
正真正銘二人きりのプライベートな
待ち合わせ。手のひらには汗が滲み
喉の奥がカラカラに乾いていく。
約束の時間の5分前頃に藤咲が店内へ。
その瞬間、俺の心臓は跳ね上がった。
私服姿の藤咲は、オフィスでの張り詰めた
雰囲気とは打って変わり、淡いクリーム色の
柔らかなニットに身を包んでいた。カフェの
温かな照明に照らされた透き通るような肌に
歩くたびふわりと揺れる綺麗な黒髪。
あまりの麗しさに、俺は一瞬
息をすることすら忘れて、呆然と見惚れて
しまった。俺の視線に気づいた藤咲は
少し頬を朱に染めながら、小さく手を振って
駆け寄り、対面のソファー席に腰掛けた。
「すごくステキなお店ですね。」
「き、気に入ってもらえて良かったです……」
声が裏返りそうになるのを必死で抑えながら
応じる。情けない俺の緊張をほぐすように
互いの休日や趣味の雑談を交わすうちに
二人だけの空気は徐々に和らいでいった。
テーブルにカフェオレとケーキが
運ばれてくると、藤咲は少しだけ表情を
曇らせて、手元のカップを両手でギュッと
包み込みながら、意を決したように
仕事の相談を切り出した。
「実は……新しい案件のリーダーを
任されそうになっているんです。すごく怖くて……」
俯きがちに語り始めた藤咲の口から
これまで誰にも見せてこなかった切ない
過去が明かされた。幼い頃から手のかからない
優秀な良い子であることを周囲から強く
期待されて育った藤咲。いつしか弱音を
吐く術を失い、完璧でなくてはならないという
強い使命感から一人で仕事を抱え込み
過労で倒れてしまったトラウマがある。
「人に頼るのが本当に下手で……
完璧じゃない自分には価値がないんじゃないかって
どうしても思っちゃうんです。だから今回の案件も
引き受けるのが怖くて……」
ぽつぽつと呟く藤咲の薄桃色の唇が小さく
震えている。職場で誰もが憧れる完璧な
マドンナとして振る舞っていた藤咲の
仮面の裏には、傷つきながら一人で
耐え続けていた儚い少女の姿があった。
そんな藤咲の告白に、俺の胸は締め付けられるような激しい痛みに襲われた。影から透明人間として
守ってきたつもりだった俺だが
藤咲の心の奥にある本当の孤独に
何一つ気づけていなかった。
「……佐藤さんになら、私の不甲斐ないところを
見せてもいいのかなって。
初めて勇気を出して弱音を吐けました」
上目遣いで少し照れくさそうに俺を
見つめてくる藤咲。その無防備で可憐な瞳を
見た瞬間、俺の中で何かが熱く弾けた。
他人に心を開かなかった藤咲が、自分を
信頼して見せてくれた本当の素顔。自分を
求めてくれた感動と熱い衝動が体中を激しく
駆け巡る。俺は深く息を吸い込み、藤咲の瞳を
真っ直ぐに見つめ返した。
「完璧じゃなくてもいいんです。
藤咲さんは十分すぎるくらい頑張っています。
誰よりも努力して、周りのために
頑張っている姿を僕はいつも見ています。」
俺の言葉は、完璧を演じ続けて疲れ切っていた
藤咲の心を優しく包み込んだ。長年の呪縛が
解かれていくように、藤咲の瞳から大きな涙が
ポロリと溢れ落ちた。溢れる涙を両手で
拭いながら、藤咲はこれまで背負っていた
重圧から解き放たれたように、今まで
見たこともないほど穏やかで可憐な
満面の笑みを咲かせた。
涙を流しながら救われたように笑う
彼女の姿を目に焼き付けながら
俺は心の中で強く誓っていた。もう二度と
藤咲を一人で暗闇の中に立たせたりはしない。
影からコソコソと守る守護者ではなく
一人の男として藤咲の隣に寄り添い
支え続けられる存在になりたいと
胸を焦がすほどの強い愛情と共に固く決意していた。




